鎌倉に住んでる

うまいものを食べて飲んで、のんびり暮らしたい。

シャルロット・ペリアン

2011-10-30 23:30:00 | 日記
シャルロット・ペリアン19031999

なる人がいた。

戦前のパリで、

家具のデザインするアトリエを構えるが、

のちにル・コルビュジェのアトリエに入り、

そこで前川國男や坂倉準三と机を並べ、

日本のことを知る。

1940年に商工省の要請で訪日し、

民藝運動と交流する。

戦後もエールフランスに勤める夫の転勤について来日。

エールフランス日本支社や

パリの日本大使公邸の内装を手がけた。

日本びいきのフランス人女性。

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展示は、日本の伝統工芸にヒントを得た、

家具や室内装飾品のかずかず。

いまにつながるデザインが、

この時期に考え出されたのか、

と教えられることが多いです。

神奈川県立近代美術館鎌倉館

201219()まで




西村伊作の建築

2011-10-19 23:30:00 | 日記

愉快な家-西村伊作の建築-

こっちはホッとする

個人住居や小さな教会建築。

住みたいと思えるおうちの提案。

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お茶の水の文化学院の創立者。

戦前の日本において、

住みやすさ、家族との愉快な生活、

ふつうの人びとの感覚を

建築に採りいれた。

娘を入れるべき中学校がないので、

文化学院を創立して、

友人たちを教師にしてしまう。

紀伊山地の山林地主だそうです。

でも嫌味がない。

住んでみたいと思える家が並んでた。

しかし、文化学院のあの建物は惜しいです。

愉快な家-西村伊作の建築-展

東京・INAXギャラリー1

1119()まで




メタボリズムの未来都市展

2011-10-17 23:30:00 | 日記

今日は六本木ヒルズの森美術館で開催中の

「メタボリズムの未来都市展」

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1960年に東京で開催された「世界デザイン会議」。

この席で新しい建築運動「メタボリズム」が、

日本の若手建築家たちによって提唱された。

当時は若手だったけど、いまは大御所ばかり。

現役では、磯崎新、菊竹清訓、槇文彦。

故人の丹下健三、黒川紀章、大高正人などなど。

丹下をのぞいて、みな30歳前後。

好き勝手、自由自在に壮大な都市計画をぶちかましてる。

でもなあ、こんなとこ住みたくない。

さいわい、ほとんど実現されないまま、

日本はこれから人口減少時代を迎える。

よかった。

運動を理論的に支えた

川添登のインタビュービデオをじっくり見た。

いわく、人間の活動は言ってみればアリと同じ。

都市開発はアリ塚みたいなもの。

メタボリズムは一種の思想だからって。

ええっ~!

都市生活者は働きアリですか。

まあ一部で実現された単体の建築物も、

50年を迎えるまえに改修されることなく

つぎつぎに解体されてしまったところをみると、

文字通り「新陳代謝(メタボリズム)」なのかな。

と、またからんでみる。

都市の再生が再開発と同義なのは、

変わらないようだ。

メタボリズムの未来都市展

六本木ヒルズ・森美術館で来年115()まで

恐怖のタワー53階で開催中です。

こんなビルが林立して、

そのあいだをぬうようにめぐらされた

透明のパイプのなかを、

リニアモーターカーが走り回る21世紀は

夢だったのですね。


大阪万博の模型と、

映像展示がよかったです。




山下公園

2011-10-16 23:30:00 | 日記

日曜日の夕方、横浜へドライブ。

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横浜税関の塔、通称「クイーン」。

1934年竣工の、関東大震災復興建築。

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山下公園に係留されている氷川丸。

入館料が200円になって入館者が急増したそうだ。

今日は近づいたら「蛍の光」が流れてた。

1930年進水、11,622トン、全長163メートル、

北太平洋航路を行き来した豪華客船。

日本郵船氷川丸

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日没後はライトアップされる。

山下公園、この日はなぜか「インド祭り」。

チキンカレーとサモサとビーフンと鶏串と、

へそ踊りをみながら腹いっぱい食べた。

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1923年の関東大震災で焼け野原となった横浜の街。

大量に出た“がれき”を埋め立てできたのが山下公園。

公園北がわにある「インド水塔」は、

震災で被災したインド人救済に対して、

在日インド人協会が横浜市民への感謝と、

死者への慰霊のために建てたものだそうだ。

なぜ横浜にインド人かというと、

各地の絹糸がここ横浜港に集められ、

インド商人の手によって輸出されたから。

神奈川県版の新聞を毎日読んでいると、

こういうことがソラで語れるようになる。




大雅・蕪村・玉堂と仙崖

2011-10-12 23:30:00 | 日記
今日は出光美術館
「大雅・蕪村・玉堂と仙崖」-「笑」のこころ
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18世紀半ばの京都で、同時代を生きた文人画家による、
「笑い」の競演といったら趣旨にかなうのだろうか。
大雅のこんな剽軽な絵は知らなかったので、
まずは「瓢鮎図」がおもしろいです。
大雅の無邪気な咲(わら)い。
中国の文人画にならった大きな景色の片隅に、
小さな「笑」がみつけられる。
仙崖はブラックユーモア、「失敗作」、
それに本格的なものもあって、これはよかった。
玉堂は、いつもヒワイだなあと思ってたんだが、
どうやら、そのへんが笑いどころでいいようだ。
玉堂の小品を欲しいと言っていた人がいた。
たしかに小さいほうが詰まってていい感じだ。
大きいのはワイセツ。

蕪村はむずかしい。俳句のほうがええなあ。
テーマのわりに散漫とした展示だけども、
それぞれの絵は見ごたえがあった。
軽妙な図柄の絵唐津や景徳鎮が、
ところどころに置いてあって、
これもまた一興。

出光美術館
「大雅・蕪村・玉堂と仙崖」-「笑」のこころ
~10月23日(日)


*仙崖の「崖」の字は、正しくは「山」がない





今秋の紅葉はアカンわ

2011-10-02 23:30:00 | 日記

台風15号の風雨はすごかった。

市内に多く残る古い木造家屋の何軒かは、

ひさしが落ちたり、雨戸や屋根がはがれたり、

ひどいところは半壊した家もあった。

海岸部の由比が浜や長谷では

多くの草木の葉が枯れて茶いろになってしまった。

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鎌倉駅まえのイチョウもダメで、

遠く鶴岡八幡宮境内のケヤキも、

海岸側の半分が茶色に変色してる。

今年の鎌倉は紅葉がみられないかも。




彼岸花

2011-10-01 23:30:00 | 日記
和田塚の彼岸花がようやく咲きそろった。

和田塚には「和田一族戦没碑」のほか、

「戦没者慰霊碑」「大震災殉死者供養碑」や、

古い墓石などが多数並んでいる。

近辺の由比ケ浜南遺跡からは

中世の人骨が数千体ぶん出ているので、

風葬地だったということだろう。

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先週、大事な友人が2年の闘病かなわず、

亡くなってしまった。

元気に回復されることを信じて、

一度もお見舞いに行かなかったことが悔やまれる。

これからは彼岸花をみるたび思い出すだろう、

いつもニコニコしていた先輩のことを。

ご冥福をお祈りいたします。