鎌倉に住んでる

うまいものを食べて飲んで、のんびり暮らしたい。

吉野行き

2011-03-27 23:30:00 | 日記

2回めの帰省。

今回はクルマをもってきたので、

まだ行ったことのない吉野へ行ってみる。

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吉野といえば桜、開花はまだ先、

下千本で410日ころだそうだ

吉野といえば杉、花粉のピークは

過ぎたように思った。

吉野川べりから吉野山へ一気にのぼる。

標高差150メートルくらいか。

細い尾根に1車線強の道、

両脇にお店がつづく。

クルマでくるところじゃなかった。

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番茶で炊いた茶粥。奈良で唯一おいしい名物の柿の葉すしがつく



食事のあと、クルマを置かせてもらって、

まずは南朝方の御所だったという吉水神社。

後醍醐天皇の玉座というのもある。

吉野が歴史の舞台になるのは大きく3回。

壬申の乱前後、南北朝時代の南朝、秀吉の花見。

あと、義経一行が奥州へ逃れるさいに立ち寄ったり。

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狩野派の襖絵が無造作に置いてあった。

ほかにも由緒ある文化財が多数。

まちがいないのだろうけど、無造作ゆえに……傷んでるし

吉水神社

つぎに金峰山寺。

本堂(蔵王堂)と仁王門が国宝。

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あれ?本堂の入り口が逆がわにある。上手から行ったのにこっち向き。

うしろがわにある仁王門はあっち向き。いずれも大きな木造建築


吉野山はもともと役行者を開祖とする修験道の山。

参道には陀羅尼助と吉野葛の店が並ぶ。

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関西人なら陀羅尼助は誰でも知ってるはず。

正露丸を小さくしたようなやつ

中千本あたりからくだって麓におりる。

途中、後醍醐天皇陵があった。

桜の時期だとすごい人出だろう。

今日はあわせて50人くらいだった。

桜がないと杉が目立つ。いっそ、ぜんぶ桜にしたらよいのに。

と思ったら、そうしてるとこやわ、という感じの斜面もあった。

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吉野川を少しさかのぼって吉野歴史資料館。焼き杉板をまとってる

宮滝遺跡のほうへ行ってみる。

ここは飛鳥~奈良時代に離宮・吉野宮があったといわれる。

遺構は数期ぶん検出されたが、あまり遺物は出なかったらしい。

復元模型が立派だった。

吉野歴史資料館


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飛鳥板蓋宮跡。遺跡は記憶のまま

帰りに芋峠を越える旧道をたどって明日香村へ抜けた。

15年ぶりの飛鳥はショッキングだった。

車道が縦横無尽にめぐらされて、

徒歩、あるいは自転車でめぐった、

なつかしい景色が消えてた。




岡本太郎展

2011-03-24 23:30:00 | 日記

東京国立近代美術館

生誕100年『岡本太郎展』へ

仕事のあい間に、スッとでかける。

太陽の塔をみて育った、

といっても過言ではない、

こともない。

なんやかや言いながら、

多くの日本人にとって、

いちばん身近な「ゲージツ家」かもしれない。

晩年はバラエティ番組にも、

よく出ていらっしゃった。

そのへんの「誤解」を解くにも、

よい展覧会と思う。

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多くの作品がパブリックアートで、

展覧会場にもちこめない

「対極主義」とか「縄文土器論」とか、

理念の解説が多いけども、

ご自身のビデオ映像もあって、

とてもわかりやすかった。

すごくおもしろかったです。

若い人がたくさん来てた。

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出口にある海洋堂フィギュアの「ガチャガチャ」は要注意!

「坐ることを拒否する椅子」か「太陽の顔」が欲しいのに、

右の「動物」が2つ。ううう……と思っていたら、

「手」を3つ出した人が交換してくれた……



東京国立近代美術館

生誕100年『岡本太郎展』

58日まで





京都へ行きました2

2011-03-21 23:30:00 | 日記

今日は美術館めぐり。

丸太町で地下鉄を降りて、

御所の南側を東に向いて歩く。

途中でおいしい蕎麦屋をみつけた。

さいきん京都市内でも

おいしい蕎麦を食べられるようになった。

食べるのに夢中になると、

写真を撮るのを忘れる。

手打ち「花もも」


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丸太町通り鴨川べりに建つ旧京都電話局上分局。

以前はエビを食べさせる店だったはずが、スポーツクラブになってた!

結局つぶされた東京中央郵便局や、

つぶされそうな大阪中央郵便局を設計した吉田鉄郎によるもの。

烏丸姉小路で活用されてる新風館も同じ



岡鹿之助の絵が好きなのだが、

彼の絵にありそうな建物でいい感じ。

とりあえず、ここに来て確かめてみる。


鴨川を渡ってさらに東へ、ちょっと南へ下ル。

京都国立近代美術館『パウル・クレー展』

クレーは何度来るんだろう。

大阪の大丸、東京の大丸、

それぞれに行ったおぼえがある。

みると安心するのか、

おお、また来たかと。

今回はちょっと規模が大きくて、

初期から晩期まで、

クレーの生涯を追ってある。

そのぶん、いわゆる“有名な”絵が少ないか。

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ちょっと展示方法に無理がありました

4Fの平常展示場に、

それをおぎなう長谷川潔の版画。

京都国立近代美術館

『パウル・クレー』

515()まで

このあと、東京国立近代美術館へ巡回予定

531()731()



向かいの京都市美術館では『親鸞展』

信徒らしき人があふれてたのでパス。

ちょっと歩いて

細見美術館『麗しき日本の美』

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回廊式になってて、ちょうどよい大きさの展示室をめぐって、

最後にミュージアムショップ、そしてレストラン



3月13日までの前期が「若冲と江戸絵画の世界」、

17日からの後期が「琳派を愉しむ」。

酒井抱一の、宗達や光琳に対する憧れが痛い。

展示に関係ないけど、

ああこれ欲しいというものが、

この細見美術館には多い。

根来とか芦屋釜とか、春日の神鹿とか。

細見美術館『麗しき日本の美』

417()まで

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このあたりから鴨川を眺めると、できれば京都にもどってきたい、

なんとかならんかなあといつも思う



ああ、東京へ行かねばならない……




京都へ行きました1

2011-03-19 23:30:00 | 日記

関西へ疎開中。

いえ偶然、早くから帰省の予定で、

航空券を取っていました。

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おなじみ、京都駅前ベニテングダケ



1歳半をすぎた息子に蒸気機関車を見せるため、

梅小路蒸気機関車館



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大正時代の86という形式の蒸気に乗った。

SLとはSteamLocomotiveの略!



たぶん小学校の遠足以来。

試乗SLスチーム号、往復1km200円に乗る。

蒸気というのは走っている姿がよいのであって、

トンネルを抜けたりするならまだしも、

乗ってもあまりおもしろくない。

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京都から山陰線でふたつ目、二条駅だった木造駅舎が、

梅小路蒸気機関車館の玄関になってた



 JR西日本という会社は、

問題の多いJR各社のなかでも、

ひときわ悪行をかさねているところだが、

この梅小路の保存活用だけは評価したい。



脇の高架を走る山陰線が

いつのまにか複線電化されてる。

そういや移築されてる二条駅も、

その工事にともなうものだった。



往きは七条通りをまっすぐ歩いて、

梅小路公園をぬけてきたから、

帰りはちょっと遠まわりして島原へ。

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角屋の外観。現在は角屋もてなしの文化美術館。

まだ営業中だった1952年に国の重要文化財に指定されてる。

置屋と揚屋の区別も知らない……



芸妓・舞妓の世界である「花街“かがい”」と、 

いわゆる「遊廓」との違いについて、

深く考える必要にせまられたことがないので、

理解が浅いのですが、

「もてなし」といわれると抵抗がある。

芸や舞を極めるという精神性はわかるけど、

女性ひとりひとりの感情はどうだったのだろう。

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中央卸市場が近いせいか、こんなのが停まってた



つづいて龍谷大学大宮校舎のキャンパスへ踏み込む。

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龍谷大学本館は1879年施工、国の重要文化財。

左右に付随する建物もだいたいそう



西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山。

今年は宗祖親鸞が亡くなって750年だそうで、

お寺は準備で大忙しのようす。

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国宝・西本願寺唐門、別名「日暮らしの門」。

一日眺めていても飽きないからだそうだ。

秀吉の伏見城遺構といわれる桃山建築



東本願寺は予備校時代、

晴れた日にいつも昼ゴハンを食べてた。

西本願寺は来たことがなかった。

伝・聚楽第遺構の飛雲閣が無造作に見えるとは



ついでに電線がうるさいが、

門前町にある本願寺伝道院。

伊東忠太の名建築。

囲いがしてあったが、

まさか解体するのではないですね。



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伊東忠太設計、竹中工務店1912年施工



建築物のうんちくは、小学館『近代建築散歩-京都・大阪・神戸編-』に拠りました。





彫刻家 エル・アナツイのアフリカ

2011-03-13 23:30:00 | 日記

いつもと同じように

“南アルプスの天然水”を買いに

出かけたのだが、

これが手に入らなかった。

ついでにガソリンも、

卵もトイレットペーパーも。

2日流通が止まっただけ、

みんな焦らんとき。



鎌倉は空いてる。

葉山までも空いてた。

今日は神奈川県立近代美術館葉山館、

『彫刻家 エル・アナツイのアフリカ』

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エル・アナツイ、1944年、いまのガーナ生まれ、

現代アフリカ美術を代表する彫刻家。

アフリカ美術といえば、

まずティンガティンガが思い浮かぶが……



朝日の記事によると、

大阪会場の国立民族学博物館での開催に

難色を示したそうだ。

じっさい、

アフリカの…という前置きは

いらなかった。

飲料容器の金属蓋を針金でつないで、

タペストリーに仕立てた作品がメインだったが、

前半の木彫がよかった。

最後の展示室で

国立民族学博物館による

西アフリカ美術の背景にある

文化や習慣の解説があって、

理解が深まる。

『彫刻家 エル・アナツイのアフリカ』

神奈川県立近代美術館葉山館で

3月27日(日)まで

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海にのぞむ白い建物。相模湾を見渡せる気持ちのいい場所

こういうときこそ外に出て、

経済が停滞しないよう努めるのも、

ひとつの見識だと思う。

明日は早朝から停電。




祈り

2011-03-12 23:30:00 | 日記

20074月、長崎出張のおり、

いつものように寄り道。

この時は前日に休暇を取って、

五島列島へ向かった。

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長崎空港から入り、佐世保から高速船

上五島・中通島の有川港に着いたのは午後。

港近くのバイク屋でスクーターを借りた。

まずは島の北部へ、

短い橋でつながっている頭ヶ島をめざす。

明治の中ごろから戦前くらいまでの間、

五島列島を含む長崎を中心に、

九州各地で教会を建てた鉄川与助。

半日でなんとか34つ、

その鉄川が建てた教会をおとずれたい。

それがこの旅のテーマだった。

お孫さんがサイトを立ち上げられているので、

詳しくはこちらで。

おじいちゃんが建てた教会


うねうねと続く道を

フルスロットルでぶっ飛ばす。

50ccのスクーターやけど。

パッと視界が開けると

石造りの小さな教会がみえた。

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緑が多く、海の恵みも豊かな島だが、

禁教政策による悲劇がくりかえされた

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頭ヶ島天主堂。1919年献堂。国指定重要文化財。

鉄川施工唯一の石造り

誰もいない礼拝堂のなか、

木のベンチに座る。

背後で波音が聞こえる。

ああ、いいなあと思った。

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青砂ヶ浦教会。1910年献堂。国指定重要文化財

リヴ・ヴォールトの天井に、

派手なくらいのステンドグラス、

高台から小さな入り江を見おろすようにして建つ。

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目を閉じるとバッハのカンタータが聞こえてきた、

ような気がした

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大曽天主堂。1916年献堂

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結局、日暮れまでにあと冷水教会と、

あわせて4つ訪ねた

このころはまだ“世界遺産”とか、

うるさい話しはなく、

見学者もほかにひと組だった。



夜は思い切って割烹に入り、

イルカの大和煮、

ハコフグの味噌焼き、

トビウオなどをたらふく食べて、

おおいに酔っぱらった。


翌日、長崎へもどり、

“江戸の長崎をテーマに各所を取材、

そのあと天草に渡って、

島原・天草一揆の遺跡をみてまわった。

明治初期まで続いた

隠れキリシタンの歴史を、

学ぶきっかけとなった。

津波被災地の空撮映像を一日みていたら、

急にこの旅のことを思い出したので、

まとめてみた。




深夜の六本木

2011-03-05 23:30:00 | 日記

わけあって六本木に一泊。

不眠都市東京の代名詞というけども、

どのへんが危険地帯なのかわからない。

歌舞伎俳優とかが潜んでいるのはどこ?

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最上階の森美術館以外に踏み入れたことがなかった

0時すぎ、きわめて健康的な仕事を終えて、

近くのビジネスホテルにチェックイン。

夕食がまだ!

ファストフードかラーメンか、

とあきらめかけてたら、

小さなインド料理店。

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調理中に大きなクシャミをしてたのが気になったが、おいしかった

店員はひとりだけ、インド人。

ほかに客はいない。

たいくつだったのだろう、

ずっと横にいて話しをする。

カレーの作り方の指南までうける。

六本木午前1時、ちょっと異国体験。



しかし夜中に気持ち悪くなった。

寝るまえに本格インドカレーはきつかったか。

翌朝、不調のまま仕事場へ。

ホテルもよくなかった。

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安藤記念教会、1917年献堂。大谷石造り。

このあたりに“AVANTI”があるはず

仕事のあいまに麻布を散歩する。

大谷石造りの安藤教会を発見。

ステンドグラスは小川三知の製作だそうだ。

「安藤」さんは箱館戦争で榎本武揚について従軍。

調べるとおもしろそうだ。

安藤記念教会

天気はいいが、空気が冷たい。

そして大量のスギ花粉。

つらい一日だった。





琳派

2011-03-04 23:30:00 | 日記

東京・出光美術館

『-光悦・宗達から江戸琳派 琳派芸術』

金曜日の夜間開館に行ってみる。

やはり会社帰りのサラリーマンとOL風が多い。

展示は前期と後期にわかれていて、すでに後期。

季節柄、メインは『紅白梅図屏風』かな。

伝・尾形光琳の金地のものと、

酒井抱一の銀地のものがあって、

銀の使われ方が、ひとつテーマになっていた。

金が華やかさ、燦々と照らす太陽、

極楽浄土を思わせる背景に使われたのに対し、

銀は夜の静けさ、月の明かり、薄明。

光琳の金と抱一の銀、

上方から江戸へ琳派の系譜。

わかりやすい。

鈴木其一の『芒野図屏風』がよかったです。

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「琳派」といえば、2004年の東京近代美術館『琳派』展、

08年の東京国立博物館『大琳派』展を思い出されるが、

出光美術館くらいの展示が消化しやすい

東京・出光美術館

321日まで

ホームページには、

酒井抱一生誕250年と書いてあった。

どうりで抱一と其一が多いと思った。