谷中のご隠居が来鎌。
古建築や庭園の師匠。
仏教史や美術にもうるさい。
「酔拳」の〝蘇化子〟みたいな形やけど、
じつはフランス帰りのインテリ。
今日は川喜多映画記念館での、
鎌倉市内4つのミュージアムの学芸員による
建築談義を聞きにきたのでお供。
講演会のあと、庭にある旧和辻邸を見学。
秦野の古民家を和辻哲郎が
練馬の自宅に移築して住んでいたものを、
川喜多長政・かしこ夫妻が邸内に再移築。
さかんに、いいねえ、を連発して、
駅前でビールを呑んで帰って行った。
谷中のご隠居が来鎌。
古建築や庭園の師匠。
仏教史や美術にもうるさい。
「酔拳」の〝蘇化子〟みたいな形やけど、
じつはフランス帰りのインテリ。
今日は川喜多映画記念館での、
鎌倉市内4つのミュージアムの学芸員による
建築談義を聞きにきたのでお供。
講演会のあと、庭にある旧和辻邸を見学。
秦野の古民家を和辻哲郎が
練馬の自宅に移築して住んでいたものを、
川喜多長政・かしこ夫妻が邸内に再移築。
さかんに、いいねえ、を連発して、
駅前でビールを呑んで帰って行った。
金沢文庫に「忍性菩薩展」を観に行く。
鎌倉の極楽寺は忍性さんが開山で、
裏手に大きな五輪塔のお墓がある。
律宗をひろめるため
奈良の西大寺から鎌倉へ、
さらには当時の東海道の終点、
常陸の三村山に一大拠点を
築いたはずなんだそうだ。
極楽寺とここ称名寺の
清凉寺式釈迦如来像を拝めた。
朝夷奈峠越えで徒歩1時間。
関東大震災後の帝都復興事業で
架けられた橋梁をみて歩く。
井の頭公園の池からはじまる神田川、
全長およそ25kmには140の橋があるそうだ。
隅田川に注ぐ手まえにかかる
柳橋[1929年竣工]が最後。
上部構造がきれいにライトアップされてる。
欄干には簪の浮き彫りが貼り付けてあった。
異界への入り口のよう。
隅田川(大川)へ合流すると、橋も大きくなる。
これは両国橋[1932年竣工]。
武蔵国と下総国の境に架かるので両国。
左岸の川べりにある遊歩道を進むと
遠くに清洲橋[1928年竣工、重文]。
左手から合流する小名木川に架かる
萬年橋[1930年竣工]。
全体に間接照明が施されてある。
このぶつぶつリベットがええな。
大型機械のような清洲橋を右岸へ渡る。
もはや風格をまとってる。
神田川の分流・日本橋川の最下流に架かる
豊海橋【とよみばし】[1927年竣工]。
まだ8時まえ、はずれとはいえ中央区やのに、
なんかこう〝結界〟のような静けさ。
すぐ下流の永代橋[1926年竣工、重文]。
日本橋川のさらに分流である亀島川の、
やはり最下流に架かる
南高橋【みなみたかばし】[1932年竣工]。
毎日こんな橋を渡って通うなら、
会社に行ってやってもええぞ。
佃橋を渡ってふたたび左岸の佃島へ。
何軒もある佃煮のお店はぜんぶ閉まってた。
まんなかが跳ね橋になってる
勝鬨橋[1940年竣工、重文]。
1970年まで稼働してたそうだ。
こっちがわが月島で、右手奥が築地市場。
この重量感がしびれる。
歩いている人がモボモガにみえる。
今日はここまで。
小雨のなか3時間、12kmほど歩いた。
今日は海、
横須賀へでかける。
新聞でみつけた横須賀市主催の、
米軍横須賀基地内にある横須賀ドックの見学会。
当選ハガキが送られてきたので、家族郎党で参加。
「世界情勢」もかわりなく、お天気も良好。
横須賀駅まえのヴェルニー公園からみる、
横須賀ドックのあたり。
背後の山から続いていた尾根を、
崩して掘り下げたそうだ。
セキュリティチェックを受け、
青色系の迷彩服がうろうろする “米国内” に入ると、
すぐに1号ドック。1871年竣工とある。
満水なので、ただの運河。
1884年竣工の2号ドック。
かなり大きい。
まんなかに間仕切りを入れる溝があって、
2隻同時に入れるようになってる。
高さがフィート表示されてる。
じっさいはフランス人が設計したからメートル法。
尺貫法はヤード・ポンド法に近いのに、
幕末の日本人がメートル法を学んで、
施工したそうだ。
1874 年竣工の3号ドック。
ここにロープをかけて、人力で曳航。
小1時間の見学会終わり。
海軍なので「NCIS」がいるらしい。
へんな動きしたら、すぐ射殺される。
お昼は横須賀名物、
カレーとハンバーガー。
行列に並んで食べたけど、
しょせんはアメリカモノなので。
ええ、カレーもなんか。
北斎の波が逆版なのが気持ち悪い。
記念館三笠に、えらいたくさんの人が入ってた。