Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

水圏環境リテラシー学実習第2回目

2009-08-03 | 水圏環境リテラシープログラム
 千葉県館山市周辺には本学の水圏フィールド研究センターが3つある。富浦,館山,坂田ステーションである。富浦は富浦湾の中心に位置している。富浦センターの前は多田良海岸という。毎日,富浦漁協に見学に行くが,マイワシ,ウルメイワシ,ワラサ,イシダイなど水産物が絶えることがない豊かな浦である。

 ここで,水圏環境リテラシー教育推進プログラムの水圏環境リテラシー学実習の一部としてシーカヤックの訓練が行われている。学生達は,シーカヤックに乗ることで,海と陸との関わりや陸を海から観察する,という貴重な体験をした。
 
 内田正洋氏のシーカヤック文化論の一部を紹介する。
 
20世紀にシーカヤックはとだえたが,シーカヤックはアメリカで復活した。川のカヤックは競技化し原型とは違ったものとなったが,シーカヤックは本来の2000年前から続いている原型に近いものである。

 海も2000年前と基本的に同じであり,今日の感覚は太古の人たちと一緒である。本来は,細い木を骨組みにして,動物の皮を張って縫い上げて作っていた。非常に緻密な形をしていていて,,今の技術では再現できない。防水するために,アザラシの油を塗ってあのような形になった。骨組みは男,皮を縫うのは女性。海は男が出るが,女はカヤックに乗せてもらえなかった。ウミヤックは大きなカッターのようなものは女性がこぐ乗り物であった。

なぜ,70年代によみがえったかというと,環境問題に繋がっている。自然の中を旅することで,文明の抜けているところが見えてくる。ということで,大学生達が自然の中に歩いていくというのが始まった。その流れが海に来て,海を旅すると言うことで今の社会の悪いことが分かるのでは,というのが,シーカヤックの始まりだ。

 昔は,漁をするためのカヤックであったが,今は旅をするためのものとして存在している。旅というのは海を航海するためのものである。手こぎで旅をできるのはシーカヤックだけである。食料を積んで日本一周できる。夏休みに熊本に帰り,北海道まで帰る手段としてカヤックを使った。11ヶ月で日本を一周した。それだけ能力がある船である。事故を起こしてなくなった方はいない。日本だけでも20万人はいる。歴史上最も増えている時代である。今の人々は,シーカヤックに何らかの必要性を感じている。

 シーカヤックの役割は何か?それは,海洋文化である。1人類に食糧を供給する,漁労の文化,2道の役割として交易貿易を生んだ海運の文化,3道を守る文化 政治的なもの,海軍など,4海洋芸術文化,日本は最も進んでいるのが,漁労である。3000種類以上を食べているが,こうゆう国はまれである。昔は,海で遊べと言われた。日本中の津々浦々に漁師がいたので,子どもたちを監視していた。しかし,今は消えているのが日本の現状である。このような点から考えても,シーカヤックは海から陸を見ることができる。海から陸を考えることはまさにリテラシーである。

 アウトドアはアメリカから始まったが,彼らは先住民の生活,文化をリスペクトしたのが始まりである。先住民がどれだけ自然に適応した生活を送っていたかを体験するためにできたものである。

 それが,日本にシーカヤックが紹介されて,どうなったか,日本列島の先住民の子孫であることを意識せざるを得なくなる。祖先から学ぶというのが,シーカヤックである。

 エコロジーは,公害を解決するために生まれた。エコロジーとはつながりである。シーカヤックに乗っていると,海で生きている動物たちと同じになるのである。クジラはカヤックを見に来るのである。シーカヤックは自然と一体に慣れるのである。

 日本はシーカヤックを楽しむ上で,とても適した場所である。

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