縄文の風

「北黄金貝塚公園」を中心に
噴火湾沿岸の遺跡情報を発信します。

「縄文土器」の解読がおもしろい。

03三内丸山(巨大柱どこに)

2021年10月06日 | 三内丸山

三内丸山遺跡の縄文土器は、数多く紹介されています。この遺跡には大きな柱の建造物巨大住居が存在します。その巨大建造物などは「おらの世界を土器に表す」からいえば土器のどこかに模されていても不思議でないのです。

土器のどこかで見つかれば、三内丸山遺跡の移り変わっていく様子が分かると期待しています。

きっと、縄文時代の一時期に「巨大柱」は存在したでしょう。

それと柱を建てる意味も土器から推察されるはずです。
柱を建てて儀式を行うための意味を土器の器形や紋様から探さなくてはなりません。はたして、柱が見つかり意味までも把握できれば、こんな楽しいことはないですね。

本当に見つけられるか三内丸山の土器に挑戦してみるつもりです。

三内丸山遺跡の土器を大きく「縄文前期」と「縄文中期」の時期に分けています。

大まかに、前期は温暖化の時期で「尖り底土器」、中期は「円筒型土器」で最盛期の時期としています。その後は衰退していく縄文後期の時期としています。

この土器から

・「海」と「山」部が二分して、海岸が山近くにまで来ていたと思われます。

・このような細長い土器は「深い海」を表現していると考えます。

・なんとなくのどかな縄文風景を感じます。山よりも海の幸が生活の糧となっていると思われます。

・海面も今より4~5メートルも高くなっていたでしょう。

・海岸が丘のふもとに伸びている風景が浮かびます。

・残念ながら巨大柱は見つかりません。

縄文中期といわれた時期は、三内丸山遺跡の住人は「あらゆるモノに魂が宿り、すべてが生きるという」という「縄文の心」を意識して生きていたと思われます。

縄文前期の土器(尖底土器)が出土しているか探せません。三内丸山遺跡の対岸にある道南の遺跡には「尖底土器」が出土しています。

「おらの世界を土器に表す」

縄文楽 浄山

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