三内丸山遺跡の縄文前期の土器です。
円筒型土器といって、この器形から「深い海」を表したことが分かります。その土器の低面が水平に切られていることが大切です。角が丸まっているのは「底がある」が底の見えない深い海とはちがうと認識しています。縄文ヒトは、土器の細部まで「おらの世界」を表現しているのです。
口縁が少しゆるやかに高くなっていますが、ここにも意味があり盛土としておきます。単なる道かも知れないが特別な道とも受け取れるので盛土としました。
盛土とした所から海まで道があります。特別なりっぱな道のようです。
人々は海を生活の場として生きていたことが分かります。縄文中期ですから温暖化が進み、丘のふもとまで海が進出していた時期で、人々は漁業をして生活していたことが土器から判断できます。巨大柱や大型住居は土器には見つかりません
この時期の土器は、円筒式土器で、北黄金貝塚の土器とそっくりです。北黄金貝塚の円筒土器時代を縄文中期と設定しています。三内丸山遺跡の土器も竪穴式住居がありますので縄文中期としました。
「全てのモノに命があり、全てが生きる」という意識が土器からうかがえそうです。気にかかる模様がないことは、穏やかに生きているということでしょうか。
縄文楽 浄山