「この土器は、昭和7年の中通地区の耕地整理中に、浅井末吉(小魚)によって野中堂(現特別史跡大湯環状列石内)より発見されたものである。
縄文時代後期(約4000~3000年前)の壷形土器で、口縁部を欠いている。胴部には横位「逆S」字状文が描かれ、その中に細縄文が充填されている。 (底径6.0センチメートル、最大胴径15.0センチメートル、残存高13.8センチメートル)」
以上が解説されている内容です。環状列石は「太陽」の運行と関係していると察している。
大湯環状列石や伊勢堂岱遺跡などの地上に並べられた石の造形は「夏の太陽」「冬の太陽」と関連しているように作ったと思える。
太陽の運行ということで考えを進めていく。大湯環状列石の土器と類似する土器があるだろうか?
下の画像は、縄文期 伝山梨県釈迦堂遺跡周辺出土 渦巻き 土鈴といわれている。
この土器が、よく似ている。
山梨県の遺跡の出土品です。
「太陽」というイメージで眺めると両方が合致するように思える。
このような土器がある事も知りませんでした。
「太陽」はいつの世でも大切な存在物です。
太陽だとすると、遠い縄文の頃から太陽を崇拝し太陽を作って祀ったり願いをしたことが想像できます。
現在の「日の丸」になったのかもしれません。思い付きです。
「太陽土器は日の丸」といった発想は楽しいですね。
飛躍しすぎか!
他の解釈があってもおかしくない。
縄文楽 浄山
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