「久万川右岸の河岸段丘上、高さ20メートの石灰岩の断崖直下に開けた岩陰にある。発掘調査の結果、今から1万2千年前の縄文草創期から後期にわたる複合遺跡です。延々1万年近くにわたり人が住んでいたという点で、長崎県福井洞遺跡と並んで貴重な縄文岩陰遺跡です。」と解説されている。
土器が少なく解読も難しいと思った。
◇「網かご」の映った土器である。
どのように作成したか想像はできるが、実際に造ったことは無い。
造ってみる価値のある土器である。
◇「土器を粘土ひもの輪積みによって制作する」というのが一般的に知られている方法だが「繊維や網目」を挟んでいる仕組みの土器もあるように思える。
◇「岩陰」果たして土器に模されているか、無謀な見方かもしれないが「岩陰」と思う印を探した。
都合の良い解釈を当てはめたようにも思える。吟味する必要がある。
※「高さ20メートの石灰岩の断崖直下に開けた岩陰」と説明されている。
「岩」とした土器の印と、何となく写真の断崖と似ているように思える。
◇土器の制作で、網かごに粘土を張り付けるような技法もあったと思う。
繊維土器というたぐいも頻繁に出てくる。これも同類と想像する。
縄文楽 浄山
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