関東地方の土器に変わります。最初は縄文早期の土器です。やはり尖り底土器です。
1、大丸遺跡は、神奈川県横浜市南区六ツ川地区にある標高82メートルの台地の上に広がっていた。
広さは50メートル×30メートル。台地の鞍部から北東斜面にかけて、土器や石器を含んだ土層が広がる遺跡だった。
遺跡からは魚の骨やサメの歯も発見されており、温暖化が進んだこの時代にはこの丘の近くまで海が入り込んでいたことを示しているという
坂はかなりの急坂で、谷底近くの急勾配では車が坂に張り付いているようにみえるほど。急勾配の深いV字型地形、鉄塔、電線、2カ所の島などが相まってつくる風景はどこか懐かしくもシュールな雰囲気の空間で、夢に出てきそうな独特な風景の坂道。
2、土器からわかる事
・おだやかな尖り底の土器に見えます。
・「土器の口縁」が太めになっているのは、台地を表現しているかと思う・・?
・底部が「なめらかな砲弾型」で底に向かって土器の胴部から引っ掻きで線が幾筋も引かれている。台地から底部に行くための「道筋」かと想像する。急な坂を表しているのか、底部は海につながると考える。
・「縄文坂」と名が道についているが、縄文ヒトも息を切らせて歩いていた道であろう。土器の器形の「V字」は、この様な急な坂を言っているのか?
3、思う事
・無紋の何もない単純な土器と思っていたが、解説文がていねいに書かれていて、参考にしながら土器の解読を試みた。
・引っ掻き線が、意味が未解決である。坂道の印か?
・土器は逆さまにおいて考えるのかもしれません。課題です。
「おらの世界を土器に表す」が「おらの坂のある世界」になるのかな?
本来は一枚の写真で判断するのは厳しい結果になると思う。同じ遺跡でいくつかの土器があると確実性が増すだろう。今後の課題である。
縄文楽 浄山
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