goo

黒崎宿・東構口

 構口(かまえぐち)とは、宿場の番所のことです。
宿場に入る、通過する為には、ここで検査を受けます。
(関所みたいかな?)

黒崎宿には、東西に構口(かまえぐち)がありました。
西構口は、ふれあい通りの熊手に、

東構口は(黒崎)田町にありました。
海蔵庵というお寺の前に、
その跡地を示す石碑が立っています。

*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

ここが田町2丁目の「黒崎宿東構口跡」です。




東構口から、(豊前)小倉方面です。(勿論、長崎街道です。)



こちらは、宿場町(黒崎宿)になります。



東構口から約100m、東に行ったところに、
『田町 歴史の径』(公園)が、出来ていました。

黒崎宿の詳細、黒崎地区の歴史等の説明パネルや、
移転された「黒崎湊の常夜灯」、
「城石村開作成就の碑」がありました。



左は船町あった「黒崎湊の常夜灯」、
右は「城石村開作成就の碑」(何処にあったのかなあ?)




黒崎宿の方に引き返して、右手に城山(黒崎城址)が見えます。



宿場内の本街道は、左に曲がります。 右は舟町です。
(昔、この辺りは海岸に近かったのかな、)
左に見える建物は、1919(大正8)年に、建てられた「末松商店」



 外装はモルタル塗りですが、構造には鉱滓レンガが使われています。



さらに進むと、鹿児島本線の踏み切りに出ます。
その先に見えるマンションは、
黒崎宿一番の宿屋、「櫻屋」があった所です。




 黒崎宿と言えば、熊手・藤田の(銀天街)が注目されますが、
東構口辺りは、何となく、如何にも街道筋って感じです。
今でも「東構口通り」、末松商店の前の通りを「お茶屋通り」
と云ってるそうです。

1990年に、解体された櫻屋旅館の離れ座敷の材木は、
引野小学校内で、いつの日か、再建される時が来る時まで、
保管されているそうです。
よく再建の話は聞くのだが? 待遠しいです。


(↓ 本街道はこの先、藤田と続きます。)

コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする