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昔、皿倉山は帆柱山?

(↑写真は昭和30年代、桃園アパートから見た皿倉山です)

 このブログは八幡のことが主テーマです。
最近は横道に逸れることも。

訪れる人も、八幡に関係・興味のある方が多いと思われますので、今回は八幡の山、皿倉山と帆柱山のことをアップします。

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皿倉山(622m)、帆柱山(490m)の他に、権現山(618m)と、花尾山(351m)があり、この一帯を、帆柱連山と呼んでいます。

   (↓ 八幡西区引野地区より見た帆柱連山)


八幡で生まれ育った人は、
皿倉山と帆柱山の違いは判ると思いますが、
若い人が、お年寄りと話していると、どうも皿倉山のことを、
帆柱山と言ってる様な気がする。
他所から来た人には尚更で、???では、ないでしょうか?

そうです。 
昔は(昔の人は)皿倉山のことを、帆柱山とも言ってました。

では、何故だろう?
本当の帆柱山を知らなかった?
そんなことはありません。


   (↓ 写真は中央町、高炉台公園から)


 山名の由来で、帆柱山は、
「日本書紀」仲哀紀には、仲哀天皇と神功皇后が西征の折、
豪族・熊鰐が山で帆柱をきりだしたという伝説。
また、「遠賀郡誌」に『山の名義は、神功皇后征韓の折、
造らせ玉ひし御船の帆柱材をきりだせし故に名づけたまう』
と記されています。

 それに対して、皿倉山は、
皇后が西征のおり、当山を登られ、はるかな国々を眺望され、
下山した折りさらに夕闇が深まったので、「更に暮れたり」
といわれたことから「更暮山」と呼ばれた。とあります。
(更暮山→皿倉山)

 これを読むと帆柱山が主で、
皿倉山はついでに名付けられた様な気がする?
全く個人的な意見ですが、
帆柱の方が皿倉よりも品格が高く? 語韻もいい。

 旧八幡市歌で、
 ♪高き理想を帆柱山に、深き希望を洞海湾に、
と歌われていますし、
又、ほとんどの小中学校の校歌でも、帆柱山は出てきます。

歌詞の内容から、皿倉山を指していることは明確なんですが、
こんな理由で(品と格、語韻で)、帆柱山を採用したのでは?
名前だけを借用して実際は、皿倉山のことを歌っています。

   (↓ 大蔵より、河内方面へ行く道です。)


   (↓ 洞海湾を挟んで、若松より、)


 私の答え(推理)は、
市歌・校歌が、皿倉山を帆柱山の名前に置き換えたのと同じで、
八幡の最高峰の皿倉山のことを、品格・語韻の良い帆柱山とも言ってたのでは?(あまり、説得力はありませんが?)

 昔、家族で「帆柱山に行こう。(登ろう。)」と言ったら、皿倉山のことでした。
何故なら、帆柱山は今でこそ獣道をちょっと整備した道がありますが、昔は道らしき道は、ありませんでしたから。

 今では事実は事実として、皿倉山のことを帆柱山とは言いません。 校歌も統廃合で出来た新しい学校の校歌では、皿倉山が出てきます。 又、古い文語調の校歌から、新しい校歌に変える学校もあり、皿倉山が登場しています。

   (↓ 門司の海浜公園より、)


   (↓ 皿倉山の山頂より)

   (↓ 皿倉山の山頂より)


【余談】
私のHN(ハンドルネーム)も、そんな理由から
sarakura【さらくら】ではなく、hobashira【ほばしら】にしました。

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「参考」
昭和32年に開業したケーブルは、皿倉山にあるのに帆柱ケーブルです。又、皿倉山の麓の広範囲が帆柱町です。八幡には皿倉町はありません。 これは今でも、変わっていません。

【追加です】
この記事の作成時では、「帆柱ケーブル」でしたが、
2015年4月1日より「皿倉山ケーブルカー」に、名称変更されています。「速報!帆柱ケーブルが名称変更」←クリックでご、覧ください。


(↓ 皿倉山が一番きれいに見えると言う八幡駅前より、)


【これ又、余談】
北九州が舞台の歌で、小倉の「無法松の一生」、
  ♪小倉生まれで、玄海育ち ・・・ ・・・
   愚痴や未練は玄海灘に 捨てて太鼓の乱れ打ち

若松の「花と竜」でも、
  ♪波も荒けりゃ 心も荒い
   度胸ひとつの 玄海男

と歌われていますが、
正確には玄界(海)灘ではなく、響灘(ひびきなだ)です。
玄界灘は宗像の鐘崎より西の海のことで、東は響灘です。

この二つの歌も、玄界灘の方が品が高く、(全国的に有名で、)
そして語韻がいいから、採用したのでは?


最後は、八幡西区鉄王地区からです。
新日鐵のアパートが僅かに残っていますが、跡地の一般住宅化が進んでいます。 この辺りは、まだ(宅地)造成中ですが、既に入居した家が、多く建ち並んでいます。

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追加です。
 この記事は、2010年8月投稿の記事です。
ここまで読まれた方、有難うございました。
テーマの『昔、皿倉山は帆柱山?』は、
私の推理も一理あるかと思いますが、

 新しい説(展開)が出ました。
此方の説の方が、説得力があり、多分、正解?かもしれません。
「昔、皿倉山を帆柱山と呼んで
いたのは?」でアップしています。

宜しければ、ご覧下さい。
           2013年7月31日 hobashira

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皿倉夜景


残暑厳しい日が続いています。
週1回の皿倉山登りも休止状態です。

そんな中、

「皿倉サタデーナイトライブ 」
新日本三大夜景に選ばれた皿倉山の夜景を観ながら聴ける癒しの音楽♪


の誘いを受けました。
要は暑いから、夕方登山と言うことです。
17時30分ケーブル横の駐車場から「煌彩の森コース」を出発。

ふと、考えたら、
日没が19時前だらか、山頂から響灘に落ちる夕日が見られるかもしれない。
処がところが、やっぱり暑い!
途中休憩、休憩で、汗びっしょり、ヘトヘトです。

予定通りにはいかない。
途中、木陰からチラッと見えた夕日。
ピッチを上げて、19時にケーブルの駅横まで辿り着いたが、
雲に隠れて見えませんでした。
夕焼けも、いまいち。

展望台内ではミニコンサートが行われていました。
「スモールハンズ」と言うグループ。
ヴォーカル・ギターのマーブルとヴォーカル・カホンのナナの女性デュオ。
神戸女子大学のCMソングを歌ったりと福岡・博多を中心に活動中。とか、


ちょっと聴いたけど、趣味に合わないなあ!





デジカメによる動画です。写りが悪いですが、暇な方はどうぞ!


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明治の遺産が消えていく


暑さ厳しき折柄、        
くれぐれもご自愛のほど お祈り申し上げます。

                 hobashira拝

*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。. .。.:**:


先日、(八幡東区)大蔵に行く用事があり、ついでに、
両国橋の横に残る鉄橋の橋台(赤レンガ)を見てきました。



明治5年、新橋-横浜間に鉄道が開通して、
わずか20年足らずで、八幡にも陸蒸気が走りました。

明治24年、九州鉄道、小倉-黒崎間が開業。
明治31年 大蔵駅が開業
明治44年 廃止、廃線



旧九州鉄道大蔵線の橋梁で、
八幡東区の茶屋町と尾倉町の2箇所に、
煉瓦積のアーチ橋は残っていますが、
「鉄橋の橋台」は、ここにしか残っていません。

以前は、この赤レンガの上に民家が建っていましたが、
今では取り壊されて、更地になっていました。



川の中にも赤レンガが、
これも鉄橋の橋台の跡かと思われます。



こちらは、反対側(中央町方面です。)
赤レンガは見られませんので、早い段階で取り壊されたのだろう。



処が、ご覧のように、
現在この辺りは道幅拡張と、両国橋の拡幅・架替え工事中です。
何故か、ここの史跡は(市の)文化財の指定を受けていません。
故に、多分この赤レンガも取り壊されるのだろう。


 「嗚呼、明治の貴重な遺産が消えていく。」 


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