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長崎街道まつり(鳥栖)


 又、ウォーキングです。
スタート・ゴールは、新幹線が停まる新鳥栖駅。
去年のレールウォークで、この辺り(新鳥栖駅)は見ていますが、周りは、そんなに変わってなく、多少、民家はあるものの、商業施設類はコンビニさえ見当たらない。
ただ、駅前の広い駐車場と、真新しい道路が目立っていました。

 この日は、「第10回とす長崎街道まつり」で、
まつり協賛?のウォーキングかな?
駅前ではテント張りの「長崎・佐賀・福岡・大分・観光物産展」をやっていて新幹線・新鳥栖駅のPRを兼ねているようでした。



 途中、見かけた『落書きバス』です。
当地で4月17日に行われた「東日本大震災チャリティイベント」の一環で、この『落書きアートバス』が生まれたそうです。

対象者は小学生までで、かわいい絵や文字が、
もう、色あせて消えかかっていますが、
こんな企画を引き受けてくれている、西鉄さんにも拍手です。




 去年の5月、「レールウォーク」が行われた新幹線の橋梁の下も、歩きました。 「おぅ、懐かしい!!」 
(九州新幹線最長の筑紫トンネルが見えます。)



 ちょっと見難いが、
レールウォークでは、橋梁の真ん中の階段から入り、
外側に見えてる階段は、出口に使われました。


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 遠道して、長崎街道に入りました。(田代宿です。)
今年は自粛モードなのか、出店屋台は見かけませんでした。
地元主催者が規制したのだろう。地元のバザーは、ありました。
又、毎年やっていた、華やかな大名行列もなかったようです。

随所随所に、お茶などの接待や、ボランティアがいて、
そこの史跡の説明を、してくれていました。
(街道まつりの雰囲気です。)



 これは、田代宿の追分石(鳥栖市重要有形民俗文化財)
追分石とは、街道が左右に分かれている所に道しるべとして
建てられている石(標柱)のことです。
「右ーさか 左ーくるめ」 と彫られています。



 鳥栖八坂神社です。




武士や町人の旅人姿の人達はボランティアの案内・説明員です。
周りの風景といい、ちょっぴりタイムスリップしたような気分!




 驫木宿と田代宿の境界の川で、驫木川です。
ここに番所があったことから、通称【番所川】、橋の名は【境橋】です。 おっと、そこにいるのは、旅人?旅芸人?


 境橋を渡って、すぐが驫木日子神社です。
ここでも、旅人姿の案内人が、


 何故か、ウォーキングコースは驫木宿の繁華街?は通らずに、
この後、一路ゴールへと向かいました。

約12キロ、田代宿~驫木宿と、ぐるっと廻って元の位置、
新鳥栖駅に戻ってきました。

  この道を挟んで反対側(熊本方面)です。

★☆★ +∵・∴+∵ ~★☆★ +∵・∴+∵ ~★☆★ +∵・∴+∵

ウォーキングが目的でしたが、旧街道・宿場を歩く時は、
多少、歴史が分ってないと気が引けます。

トップの写真は、
田代宿で良く見かけた、歩道にはめ込まれている陶板です。
良く見ると右上に、「對州田代領」の印?が、

佐賀は肥前鍋島藩の領土ですが、
何故か田代宿は対馬藩の領地です。(いわゆる、飛び地領)
ここ(鳥栖)の大部分が、対馬藩の領地だったそうで、
どうして、そうなったのか?

兎に角、鳥栖では一里も離れていない場所に、
田代宿(対馬藩)と、驫木宿(鍋島藩)の2つの宿場が存在します。 色々、調べてみると面白そうです。
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西鉄折尾線の跡地を歩く


 先日、22日(土)に、
西鉄折尾線の跡地(折尾から金山川まで)を、
歩く機会に恵まれました。
綺麗に舗装されていますが、まだ用途が決ってないらしく、
この日は特別で、普段は立ち入り禁止です。

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 まずは、下の写真をご覧下さい。
2000年11月25日、
西鉄折尾駅(電停)が、入っていたビルです。
この日が西鉄折尾線の最後の日、と言うより、
北九州市内から、路面電車が消えた日となりました。

お祭り男は、この日も行動しています。
初期のデジカメで、写りは良くありませんが、ご辛抱のほどを。



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現在のJR折尾駅前広場、 西鉄折尾駅があった場所です。
ビルは取り壊されれ、駐車場に。その後ろに赤いレンガが、



赤いレンガは、この三連アーチです。(この上にホーム?)
駅ビル・ホームは、JR福北ゆたか線を跨いでいた?





上にのぼって、これが駅に向かう線路跡、
ホームだったかな? ここも、駐車場になっていました。



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折尾駅・ホームの、最後の姿です。
記念乗車(無料)で、2往復はしているのに、
写真はあまり無いです。



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    (↓ 折尾東口の電停があった場所)
 

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最後の日の「車窓から」と車内


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この陸橋は、金山川に架かっている陸橋です。
整備されているのは、ここまででした。


その先の金山川に架かっていた鉄橋


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JR折尾駅に戻って、堀川です。
まあ、ゴタゴタした所に、飲み屋がぎっしり、
JR駅の改築、区画整理で無くなるのかな?


西鉄折尾線が廃線になって、もう11年です。
跡地は(黒崎~折尾間)、あまり利用されてないですね。
ここの区間は、両端に民家が接近していて跡地も狭いです。
(折尾線は、何処も大体、同じだったかな?)

遊歩道、サイクリングロード等、計画はあるようですが?
踏み切りの跡が、数箇所あり、
交差する道は狭いのに、車は多くて危ないような?

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この企画は、JRウォーキングでした。
毎年コースは、少し変わるが、基本的には、
駅→瀬板の森→金山川→堀川→駅 のコースです。
瀬板の森に行くのに、鹿児島本線の横の道を使っていたが、
市と西鉄に交渉して、急遽この西鉄線路跡が決ったそうです。
それにしても、うれしい変更でした。


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『追加しました。』

今のJR折尾駅です。
この駅舎は木造2階建てで、建設は1916年大正5年
現在、建て替えの準備(区画整理)等は、
着々と進んでいるようで、

一応、駅舎は2016年までに、建て替えられるそうです。
で、この駅舎はどうなるのか?何処かで保存される?
スクラップ?部分的に再利用?その他?

その前に、一度観ておくといいです。見納め?に!

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海老津の「赤レンガアーチ」を訪ねて


     九州鉄道・海老津赤レンガアーチ
  九州鉄道(国鉄の前身)が明治23年(1890年)
 遠賀川~博多間が開通したとき、ドイツ人技師により
 イギリス積み工法で設計・建造されました。
 当時は、現在のようなトンネルはなく難所である急勾配の
 城山峠を越えていました。
 九州内では最古級の鉄道遺跡です。
     岡垣町指定文化財 平成18年4月指定
         平成18年4月  岡垣町教育委員会


この「赤レンガアーチ」の前に、こんな説明文がありました。
場所はJR海老津駅より博多方面へ、約800m位の所です。



 説明文にあるように、この西側に、
城山東麓の標高80mの城山(じょうやま)峠があります。
峠越えは、列車の後にも機関車を付けて運行していました。

線路の複線化に伴い、
1910(明治42)年に城山トンネルが開通し、
僅か19年間で、この橋梁の路線は不要になりました。
新しい(現在使用の)線路は、
この赤レンガアーチの直ぐ側です。



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実はその直ぐ前の線路、(現在の鹿児島本線)にも、
赤レンガアーチの橋梁がありました。
(↓それが、これです。) 



この路線が開通した明治42年当時の物かな?
(100年は過ぎている。)


☆.。.:*‥° ☆.。.:*‥°.:*‥°☆.。.:*‥ °☆

この後、高倉神社へ、赤鳥居から入りました。




峠越えの約3キロ、心地よいウォーキングです。



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高倉神社に到着




龍昌寺です。




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「公園通り」だったかな?
岡垣町の高級感あふれる住宅街



この日、「まつり岡垣」で賑わっていました、
(サンリーアイ会場)



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↓ここは海老津駅の数100m手前、何回か通った道ですが、
この斜面の剥き出しになった堆積地層が、気になっています。
学術的に重要なのかもしれない。



海老津駅から、
赤レンガアーチ、高倉神社・龍昌寺、
まつり岡垣会場と、ぐるっと廻って約10キロ。
爽やかな秋風を感じたウォーキングでした。




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 *速報です。
今年の八幡の起業祭は、11月4日(金)~ 6日(日)です。
工場見学は6日(日)で、久しぶりの戸畑構内です。
詳細は、↓をご覧下さい。
       (飛幡門とは旧戸畑西門のことです。)

   (クリックで、大きくなります。)
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金山川アートギャラリー


 芸術の秋です。
金山川の秋の風物詩「アートギャラリー」も、
今年で14回目。

縦1.8メートル、横3.6メートル(畳4枚分)の巨大な絵画、
約50点が川岸に並ぶ光景は、見る人の目を楽しませてくれます。

又、夜はライトアップされるそうですが、
まだ見たことはありません。
期間は9月26日~10月22日です。

10月8日~9日の、「金山川ふれあいまつり」で、
優秀作品(金賞、銀賞、銅賞、その他の賞)は表彰されます。
まつり(表彰)の終わった10日に、見てきました。






パネルの裏と表、結構大きいです。 
夜の照明のランプが見えます。



金賞に輝く今年の最優秀作品。



筑豊電鉄のガードを潜って、下流の方へ移動。



氏田橋近くのコスモスは、いまいち! 来週16(日)、
「則松金山川コスモスまつり」を予定してるらしいけど、
大丈夫かなあ?



8~9日「金山川ふれあいまつり」があった永犬丸中央公園です。
祭りの後の静けさでしょうか、黙々と後片付けをしていました。


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龍尾(たつのお)橋と笹尾橋



八幡東区から八幡西区へ、皿倉山山麓伝いの道路を、
「山手線道路」と言います。(北九州高速のすぐ下です。)

白秋の『八幡小唄』にあるように、昭和の初め八幡の町が、
山へ山へと拓けていった頃、交通の利便性向上などで、
昭和5年に着手され、昭和11年完成しています。
市政だより 「八幡東区版・東区往来」 に載っていました。

その中に、『龍尾(たつのお)橋』のことも載っていて、
そう言えば、名前は知らないが、そんな橋が、・・・ 
で、見に行って来ました。

この辺りは、結構知ってる場所で、すぐに分りました。
平野川の上流、花尾町です。

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橋柱・欄干が見え、ここが橋であることは分りますが、
表面は道路と同じ舗装で、
区切りも無く注意してないと見落とします。



 親柱に橋の名が、達筆に書かれていました。
読めましたか? 

たつの越はしと刻まれています。

当時の八幡市長・図師兼弐氏の命名で、
【越】は、【お】と読めるそうで、(読ませたのか?)

たつのおはしです。 



地図では何故か【越】は【尾】の字が当てられて、
龍尾橋」花尾の【尾】に関係しているようですが、
実際の処は良く分りません。

市政だよりでも、龍尾(たつのお)橋とあるので、
これが正式な名前なんだろう。(↓ ゼン〇〇の住宅地図です)


見事なアーチ橋で、主体部は鉱滓煉瓦(こうさいれんが)積み、
表面仕上げは、橋の基礎部分には花崗岩切石積み、
欄干は、河内貯水池堰堤(えんてい)の欄干と同じく、
細く割った切石を用いています。
市政だより・東区往来より抜粋


鉱滓煉瓦とは? 
(八幡)製鐵所から出た鉱滓を使っているのだろう。
完成は昭和6年、満80歳の貫禄です。
  細く割った切石を用いた欄干
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この「山手線道路」を、帆柱ケーブルの下まで歩きました。
昔の道ですから狭いです。車がやっと離合できる広さです。
それでもバスは、1時間に1本は走っています。42番系統です。

知る人ぞ知る!
西鉄『西台良バス停』より、更に10数m行くと・・・、
親柱や欄干・橋柱は、無くなってありませんが、
ここにも見事な「アーチ式の石橋」が、
ガードレールのところです。(普通は気が付かないだろうな!)


ご覧下さい!
「龍尾橋」より一回り小さいが、見事なアーチ式石橋です。
名前を示すような物はなく、(見つからなかったが、)
「笹尾橋」と言うそうです。
平野川の支流に架かっていました。
(龍尾橋と同じ時期の建設、兄弟橋?)


 ↑「笹尾橋」のすぐ下を流れる川は、狭くて急勾配です。

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今回、アーチ式石橋を、二つ紹介しましたが、
石橋がそんなに、いいかって?

はい、そこの住民の生活と密着した、このような小さな石橋は、
鉄骨(形鋼)とセメントで造った素っ気ない橋に比べれば、
人の温もりと言うか、古いだけに、その当時の建設状況、
完成時の喜び・・・、そこを渡った人々の喜怒哀楽と言うか、
そんな光景が、眼を閉じれば浮かんできます。
(特にアーチ式は、その曲線美がいいです。)


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この日は、残暑が厳しかった9月の或る日、
祇園町から歩いたが、とにかく暑かったです。

この辺りを見ても八幡の町は、
「はがねつむように 家がたつ」
生活の便利さから言えば難点だが、眺めは抜群です。




  後ろを見たら更に家が、そして皿倉山が目の前でした。

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