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篠栗ウォーキング


 信仰心・宗教心など無いのだが、
ウォーキングのコースには寺院が入っている場合が多い。

今回のウォーキングのテーマが、
  「早春の南蔵院と涅槃像を訪ねて」

スタートが篠栗駅、ゴールが城戸南蔵院駅で、
お遍路さんコース、そのものでした。

このモダンな建物がスタートのJR篠栗駅です。




こんな道を歩きまして、わずか3時間足らずですが、
20近くのお寺と言うか、札所巡りをしてきました。
(本当は経由・通過したと言うのが正しいです。)



大きなお寺もあったが、
 〇〇〇〇堂と云ったよく分からないが、
質素なお堂だけのものが多かったです。
「篠栗八十八ケ所」と書かれた緑色の幟が目印です。


第七十一番札所 山王薬師堂です。
ちゃんと納経帳にサイン?してくれる所があります。
(当り前だろう!)



ここは立派なお寺、遍照院(第六十二番札所)です。




石工屋さん言うのでしょうか、
お地蔵さんを造っている店(仕事場)を多く見かけました。
この造りかけは、〇〇母子観音像でしょうか?



今回の一番の楽しみ?は、
 南蔵院の釈迦涅槃像を見ることでした。
(ウォーキングコースのスポットから、直線距離で200m位?)



南蔵院に入り、間近からです。
不謹慎ですが、
お釈迦様のお顔、いい顔していると思いませんか?





お釈迦様の足 仏足【ぶっそく】です。
(左側のおじさんと比べて下さい。大きさですよ)





涅槃像の横にあった「さば大師像」です。
大師さまの左手に持っているのが「鯖」です。
(後から気が付きました。)



南蔵院の不動明王も有名ですね。
第四十五番札所 城戸ノ滝不動堂がある所です。
「お百度参りのやり方」を示した看板がありました。



ゴールの城戸南蔵院前駅です。(門前町に相応しい作りです。)



先週の土曜(20日)、前日は雪が舞う寒い1日だったのに、
この日は朝から快晴、気温もぐんぐん上がって、
歩いていると少し汗ばむ陽気、
約10Kmのウォーキングは快適でした。

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三岳で梅見


昨日(21日)、小倉南区の三岳梅林公園に行ってきました。
谷間に、約350本の紅梅白梅が咲く北九州一?の梅の名所です。
梅見で一杯(甘酒)と洒落こんだ。

肝心の梅の咲き具合だが、満開の梅もあるが全体的に見て、
まだ4分か5分咲きでした。 これからです。












ここの梅は、何故か(近隣に比べて)遅いです。
分かっているけど、情報収集不足?タイミングが悪かった。

それでも車はいっぱい、
地元の野菜、筍を売ってる店も出ています。
勿論、甘酒も。

近くの小学校の生徒達の(吊るされた)竹短冊に書かれた
俳句を見る(読む)のも楽しみだが、
今年の新しいのは未だ無かった。

オオイヌノフグリも咲いてました。



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皿倉山の名も無き石橋



 皿倉山にも、古い石橋があります。
昨日、この石橋の上を歩いて登りました。
その石橋を紹介します。

一般登山道(車道)の七合目付近に、
楓杉峡(ふうせんきょう)と言う景勝地があります。 
秋にはイロハモミジの紅葉が、周囲の風景とマッチして、
素晴らしい光景を見せてくれます。

そこに、古めかしい石橋があるのだが、気付く人は少ない。
今の時期なら、ご覧のように良く見えるが、
これから若葉がが吹き出し、夏になると生茂るので、
意識して見て、チラッと見える程度です。

石橋ファンにとっては、
必見の橋で、その価値は充分あると思う。



以前は下には降りなれなかったが、
立派な階段が出来ていた。



階段を降りて、下からです。






普通、こんな古い橋には、
名前・完成年月とかが書かれたプレート
みたいのがある筈だが、何処を探しても無い。

帆柱ビジターセンターで係りの人に尋ねたら、
  別に名前は無いとのこと。
  しいて言えば、「皿倉(山)の石橋」
  戦時中、皿倉山の山頂に高射砲を上げるのに、
  その重量に耐えられる様に、登山道を補強した時、
  造ったのだろう。
こんな答えが返ってきた。

そう云えば、
山頂までの道で、(水が流れてない)橋が幾つかある。
それらも、道路補強の為の橋だろう。 
だが、石橋はここだけです。
それも皇居の二重橋に似せた立派なもの。
将来、ここが名勝となるように、造ったのかもしれない。

それなのに、名前も無い。いわれ等の説明の看板も無い。
地元の人でも、あまり知ら無い。
無い無いずくめ、皿倉山に人を呼びたいのなら、
考えるべきです。


石橋の上には、こんなものが。
これは橋の説明ではなく、
ここのタカオモミジ(イロハモミジ)の説明です。



その向かいにある楓杉峡(ふうせんきょう)の説明です。



この楓杉峡から2、30m登った所から、
山の山頂が良く見えます。


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母校が消えた。


 昨日も雨だったが、母校の消え行く姿を見に行った。
かっての北九州市立(八幡市立)平野小学校、我が母校です。

昭和30年頃の学校と、その周辺の風景です。学校の左側と下が平屋社宅、アパート群はもうチョット下の方。
右が祇園町、上が台良町。(卒業記念アルバムより)



この1枚だけが、当時の貴重なカラーでした。
  (卒業記念アルバムより)


 
 学校横の平野川。
昔(S.28年)川が氾濫した大水害があったのに。
上げ底のモダンな川に、その仕掛けは、
本流が下に流れています。(大丈夫なのかなぁ?)




 数年前に前田小学校と統合して、
新しく花尾小学校となり、旧前田小の敷地内に、
校舎は新しく建替えられ、既に移転しています。
故に、建物が取り壊されるのは時間の問題でした。

東側に廻ってみました。



時すでに遅し、もう校舎の姿は無かった。
跡地は何になるのか分からない。



 私の在学中は50人学級(実際は55人はいた)で、
全生徒数は1500人位、それが近年は40人学級で1学年で、
やっと2クラス出来るか出来ないか、の状態だったそうです。

この階段の上に校舎があった。



このネットは横のゴルフ練習場(打ち放し)です。
以前は、平屋の社宅がぎっしり。
そしてその向こうに、湯池(ゆいけ)があった。



卒業して、もう半世紀以上、
当時の状況を悪い頭では、思い出せと云っても無理だが、
校長先生が、女性だったことは覚えています。
今では当り前かもしれないが、当時は珍しく、全国(公立小学校)で2人か3人だった。
と聞いています。

卒業式の時、その校長先生の挨拶で、最後に保護者に向かって、
「6年間、お預かりしていた大事なお子さんをお返しします。」
と言われたのには、子供心にも吃驚しました。
「えっ、おれ達、学校に預けられていたのか?」

それでかどうか、分からないが、先生達は厳しかった。
チョット悪さをしたら、女の先生でも平気でビンタを張っていた。(今なら、大問題になるだろうな?)

昭和20年代~30年代前半、戦前からの先生もおれば戦後採用の先生も、男女同権・民主教育、今、思えば先生方も迷っていたのでは? でも、ビシビシやられたのも懐かしい想い出です。

余談、
高校に入って、1年の時の担任が、その校長先生の息子さんでした。



【校門を出た所】 この道の両側に、
ぎっしりと社宅(平屋とアパート)が建ち並んでいた。
左の建物は平野寮です。


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鉄竜・鉄王の今


 八幡西区の鉄竜・鉄王地区は昭和30年代から、
新日鐵(当時は八幡製鐵)の社宅として拓けた町です。
鉄王の一部を除いて、全て社宅(鉄筋アパート)でした。
最盛期には100棟以上あったアパートも、
今では10棟余りです。取り壊された跡地には、
市の施設や一般の(高級)住宅が立ち並んでいます。

*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*・

 「スピナマート」です。
昔は「鉄ビルストアー」と言ってた。
数年前に建て替えられました。 
又その昔は「購買会」?と言ってたかな?
後ろの建物は、穴生寮の跡地に最近建ったマンション。



 ここは以前、「穴生クラブ」あった所です。
その前は「穴生診療所」でした。



穴生寮の跡地に建てられたマンション。
 只今、売り出し中です。



「マンモスアパート」の跡に建ったマンションです。
(バス停は)以前は「マンモスアパート前」でした。
今は、・・・「穴生ドーム南口」。





穴生グランドがあった場所に建った「穴生ドーム」、
市の多目的体育館です。



市の年長者研修大学校穴生学舎 
以前は23号アパートが建ってた所かな?
バス停も「23号アパート前」と言ってた。
今は、・・・「穴生ドーム前」。





(鉄王地区)鉄王2丁目、今も残っている社宅(アパート)




鉄王1丁目、ここはもう社宅はありません。
緑の生垣の所が、テニスコートです。
(今でも利用されています。)



鉄王2丁目、着々と住宅の建設が行われています。




昭和33年だったか、
木下恵介監督の映画「この天の虹」で、
八幡が舞台になりました。
当時、建ったばかりの鉄竜のスターハウスも出ています。

5、6年前、起業祭でこの映画を観る機会がありました。
子供の頃見た風景が、次から次へと、内容はどうでもいい、
皆も、「あっ、あっ、あっ!」の連続で、只々感激でした。
内容は製鐵所を舞台に、そこで働く人その家族の物語ですが、
この映画、ハッキリ言って、製鐵所と八幡の町のPR映画でした。

(鉄竜と鉄王の仲を取り持つ相生町です。)


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