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ザビエルが歩いた道


 ウォーキングです。
フランシスコ・ザビエルが歩いた道のウォーキングです。
場所は、大分県日出(ひじ)町。

JR暘谷(ようこく)駅から、シャトルバスで、
経塚山入口付近まで行き、(かなりの標高でした)
ウォーキングは、そこからスタートです。

「ザビエルが歩いた道」の説明は、上の写真を読んで下さい。

*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

ザビエルさんが歩いた道、西鹿鳴越道(にしかなごえどう)は、
前日の雨で道は緩んでいて、チョット歩き難かったですが、
下り坂を得意とする者(下山が趣味)ですから、スイスイと快適でした。



 途中、別府湾が見える素晴らしい展望!
ちょっと霞んでいましたが、別府の町、
高崎山も確認できました。



 ここ(山田湧水)までが、
現在も残っているザビエルさんが歩いた道です。
ザビエルさんは、どんな気持ちでここを歩いたのか?

何かを感じたかって? 
クリスチャンでもない凡人には、分からんです。



 この先も当然、
ザビエルさんは歩いています。(海岸まで、)
ウォーキングも海岸まで行きました。



 海が見える桜並木、8分咲きかな?
海岸に向かって歩く、勿論、下り坂!
 気分はいいですね!!



 海岸に着きました。
あの後ろ向きの説明看板に書かれていたのを丸写しです。

  フランシスコ・ザビエル 浜出の地
1551年9月頃、フランシスコ・ザビエルは山口(大内)から大友宗麟の招きで、経塚山の西鹿鳴越道を通り、山田からこの浜に着き、内府を望むこの海岸から小船でポルトガル船に乗り移り、宗麟に会いに行ったとされています。




 海岸線を歩いて日出城址へ、
それはそれは、立派な石垣で、何枚も何枚も撮ったのですが、
何故かカメラが不調で、ボツ多し?
(みんなカメラのせいです。)


 一番高い所へ(天守閣があった場所?)



 ここからの眺めは抜群、別府の湯けむりも、
中央の小高い山は高崎山です。



 日出城址には、日出小学校が建っています。
頑丈な石垣に囲まれ、広くてお堀もある凄い学校です。



 日出城の時鐘 (校庭の隅にありました。)
元禄8年(1695年)三代藩主木下俊長の鋳造した釣鐘で、
江戸時代は、1日12回突いて時を知らせていました。
今は日出小学校の生徒さんが交代で、
午前8時に突いているそうです。
(テレビに出ていた。「ナニコレ珍百景」だったかな?)



     お堀です。良く保存されています。 
    白く見える建物は、日出小学校。



  武家屋敷も復元されていて、歩きたくなる町並みです。



 ちょっと遠出のウォーキングでしたが、
モットーの「知らない町を 歩いてみ~た~い」
完璧でした。

知らない町のウォーキングは、観光の方が主になります。
今回は日出城、石垣や周辺の町並みは素晴らしかったです。

日出城は別名「暘谷(ようこく)城」と呼ばれています。
その由来は、
中国の古書「淮南子(えなんじ)」の一説にある「日は暘谷より出でて咸池(かんち)に浴す」からきているそうです。

今回このコースは、90%は下り坂でした。
上りはキツイが、下山が趣味の者にはラクチンで最高!
NHK「こころ旅」の火野正平も「人生、下り坂最高~!」
と言ってる。(チョット意味が違うかな?)

そして、こんな駅も初めて見ました。(暘谷駅です。)
結構、周りは拓けた場所で、駅前の踏切を渡る車も多かった。
上下線のホームと駅舎?が、無人駅ではありません。
国鉄から民営化された時に出来た委託駅のようです。
(SUGOCAも使える凄い駅です。)



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屋形船の桜



『屋形船』、私の記憶では、
昭和30年代以降は、船は浮かんでなかったような?
(あったかもしれない。)
池の畔に、料亭のような建物があったのは覚えている。
(営業してたのかな?)

『屋形船』、その頃(昔)は、
そこの池の名、又は、その周りを表す、
正式じゃないけど、地名になっていた。

だから、「屋形船に行こう!」と言えば、
大体、池の周辺のことで、
子供の頃、家から少し遠いが悪ガキと遠出の遊びに、
中高校の時は、マラソンコースや雪中行軍でも側を通った。

屋形船は、今でも通称の地名です。
その証拠に、ちゃんとバス停もあります。
実際は、八幡西区鳴水かな?

桜が満開になったら、行ってみようと思ってた。
偶に近くを通ることはあるが、池があった所に行くのは、
実に、高校の時以来です。


右側(南側)は、北九州高速です。


駐車場兼広場かな?


北九州高速の河頭トンネル
トンネルの前一帯が池でした。(駐車場辺りも)


河頭山公園です。 かっての池、料亭?のあった所かな? 
ここの山を河頭山と言い、河頭は[ごうとう]と読みます。
[ごうとう]はマズイ?から、[かわがしら]と云う人もいます。



桜は一気に咲いて、もう満開でした。
「屋形船」に高速道路が通ったのは、いつ頃かな?
それから公園化して、
桜の名所とはいかないが、綺麗に咲いていました。

駐車場があるのは、何のため? 
桜見物用?も、あるだろうが、
この一帯は、河頭山~花尾山・一万歩コースになっています。
ここからスタート・ゴールも出来ます。
この日は、デイケアの方が20人位、桜見物に来ていました。

屋形船(周辺)の昔の面影?
その記憶は遠く何処かへ、殆ど思い出せないが、
この近くは、竹と椿が多く、
メジロ捕りによく行ったのは覚えています。

この池で泳いだことはないが、(遊泳禁止だったと思う)
我が母校(高校)の水泳部が、ここで練習していたとか?
陣山中学のプールを使わせて貰ってたのは確かです。
プールが無いのに、水泳部はあった。(どんな学校?)
私が卒業した時もプールは無かった。

昔の風景は思い出せないが、色んな想いがある「屋形船」です。


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ベールを脱いだコムシティ


 八幡西区役所等の移転準備などで、
改装中だったコムシティの工事用足場・幌が外され、
その姿を現しました。
デッキから見た正面は、きれいなガラス張りになっていました。



 現在は内装中のようですが、
4月2日(火)に、オープニング式典があります。
この日、オープンするのは、
生活利便施設(商業テナント)、八幡西生涯学習総合センター等です。

 そして、5月7日(火)は、八幡西区役所や、
第2夜間・休日急患センター等が入居・業務開始の予定です。

 右に見えるのが、生活利便施設(商業テナント)です。
写真はペデストリアンデッキの上(3階)からですから、
下に1、2階があります。 どんな店が入るのかは、分かりません。



 横は勿論、JR黒崎駅です。



  実際には、どんな風になるのか? よく分からないが、
 3月19日、外面の最新情報でした。
 (Before Afterです。)


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コブシが咲いた。


 コブシは『桜が咲く前に咲く』 と、覚えていたので
福岡地方には、桜の開花宣言が出たことだし、
(八幡西区)引野小学校前のバス通りに行ってみました。

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コブシの名前の由来は、
果実の形状が、コブシ(にぎりこぶし)に似てるとか。
私は、勘違いしていた。
花(つぼみ)が、コブシ(拳)の大きさだからと。
それで、「つぼみ」を、しっかり撮ったけど!?

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後で、コブシの名前の由来を良く調べたら、、
「花の蕾が赤ちゃんの握り拳に似ているからとも、
秋に実る果実が、拳の形に似ているからとも言われています。」
とありました。
だから、蕾の形からも間違いじゃないようです。
-3月19日-


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枯れ木に、綿か白い布が下がっているような?




薄いピンクもありました。(これもコブシだと思うが?)



皿倉山をバックに、コブシ並木です。
全体的には、満開のチョット手前かな。



今日(15日)は、朝はチョット冷え込んだけど、
昼前から、気温はぐんぐん上がりました。
明日以降も、平年を上回る暖かさの様です。
桜も一気に咲き始めるのでは?
来週の土日(23、24日)頃が、満開・見頃かな?
今年は早いですね。

今日の引野市民センター前の桜です。
ここはまだ、硬い蕾でしたが、・・・



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木屋瀬宿の雛まつり


 今の時期、古い町並みには、「お雛様」が良く似合う。
久しぶりに、
(八幡西区)木屋瀬(こやのせ)を歩いてみました。

 先月15日から始まった長崎街道木屋瀬宿の「ひな祭り」、
3月31日までやっています。



「もやいの家」
昔は呉服屋さんだったそうです。
今は、町並み資料館として屋内が公開されていますが、
この日は、奥も2階も「お雛さま」一色!









 「ひな祭り会場」は、ここの他に、
長崎街道木屋瀬宿記念、旧高崎家(伊馬春部生家)にもありました。

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 長崎街道木屋瀬宿は、
黒崎宿と違って、宿場の古い町並みが良く保存されています。
静かな町並みの佇まいは、逆に往時の賑わいを感じさせられました。




 要所・要所に、説明看板があって、まさに歴史の勉強場です。
挙げたらキリがないので、是非一度行って観て下さい。
  (下のマップは、クリックで大きくなります。)



 こちらは遠賀川中島橋の大通りの西側です。
村庄屋跡や船庄屋跡、旧高崎家住宅(伊馬春部生家)などが残っています。




 西構口跡です。
当時の石組みが残されていて市指定文化財(史跡)です



 実は木屋瀬の町は、良く知らないです。
八幡の南西の端に位置し、旧八幡市と合併したのが昭和30年、
それまでは、鞍手郡木屋瀬町だった。
(鞍手郡だったとは、今回初めて知りました。)

 宿場は東構口から西構口まで、約1.1キロメートルの街道で、
本陣付近(木屋瀬宿記念館)で、「く」の字に曲がっています。
これは、外敵が宿内へ一気に攻め込み難くする為の防衛の手段、
「鍵の手」かな?

 とにかく、よく整備され保存されている宿場(街道)で、
自然と歩きたくなる場所です。
まだ行った事のない方は、一度は行ってみる価値は充分あります。




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