北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
旧八幡図書館と福岡の桧原桜
旧八幡図書館の解体作業は、
周囲の解体反対の声など何処に?、着々と進んでいるようです。
5月28日、見てきました。
現在、新病院建設の基礎工事と並行して、
足場を組み、上から途中まで幌が掛けられていました。
6月1日から、本格的な取り壊し作業に入るそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d6/e73689ee10ed14c4055cdc3554516fa1.jpg)
タイトルの「旧八幡図書館と桧原(ひばる)桜」の関係は?
何の関係もありませんが、チョット引っかかるものがあって、
福岡の桧原桜の話を思い出しました。
福岡の桧原桜の話とは、
昭和59年3月10日、
福岡市南区の長住と桧原をつなぐ道の拡張工事で、
道路脇に古くからあった桜並木の1本が、
伐採されたことから始まります。
道路の拡張工事は交通量の増加から、住民からの異存はなく、
桜の伐採も、その為なら仕方がないものだ、と思っていました。
処が、
蕾いっぱい付けた1本の桜が伐られたのを知った住民の一人が、
もう少し、待ってくれてもいいじゃないか。
昔から皆に親しまれてきた桜、残りの桜には、
桜としての有終の美を、飾らせてくれてもいいじゃないか。
そんな想いで考えた末、
その想いを短歌にし、色紙に書いて吊るしました。
花守り進藤市長殿
花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を許し給え
(二旬とは、約二十日間)
この短歌の反響は大きく、
次の日も次の日も、残りの桜は伐採されませんでした。
優しい業者さんの執行猶予だったとか?
その間、多くの住民が去りゆく桜(桧原桜)に対して、
感謝の気持ち、思い出などを、歌にして吊るしたそうです。
そして、意外や意外の結末に発展します。
続きは、私がくねくね説明するより、
福岡市のHPに「桧原桜とは」がありましたので、ご覧ください。
この中に、桧原桜エピソード動画「花守りたちの心のリレー」があります。
約10分間で少し長いですが、桧原桜の話の全てが分かります。
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写真は6年前(2010年)3月の桧原桜(桧原公園)です。
3~5分咲きでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d5/bed60164c48a368823ea2afc366df838.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f2/db3acced64ca085ea4ae2ef5a8dcd203.jpg)
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旧八幡図書館の解体の話、
新市立病院の配置計画図を見ても、そんなに邪魔にならないと思うが。新病院の施設の一部として、使えそうだし、・・・
解体は、2年前の議会で決まったそうです。
(後々の予算の関係? )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/bf/e9df49414d49e3c15b17d9194fb0dae9.jpg)
話は変わりますが、
文化庁は、全国の近現代構造物の破壊を防ぐため、
今年度から6年をかけて、緊急重点調査を計画しているとか。
そして、東京上野にある「国立西洋美術館(昭和34年建設)」が、
今年の世界遺産登録に、確実になったニュースが入ってきました。
私は良く分からないが、フランスが中心となって「ル・コルビュジエの建築作品」7か国17資産が、一括して世界遺産に登録されるらしい。 その中に、国立西洋美術館が入っている。
(写真の、上は4月3日、下は5月28日です。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/44/5e92837a0b19d09809f6d298615add37.jpg)
旧八幡図書館(昭和30年建設)だって、由緒ある建物だと思います。 文化勲章を受章した建築家村野藤吾氏の設計ですから。
後々で、重要文化財、いや世界遺産の価値があった。と分かった場合、誰が責任取るのかなあ?
解体後は外壁のレンガを利用して、記念碑を建てるそうですが、
何だか、八幡の大きな文化資産を失うような気がしてなりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a2/7167031967310a67fa01df5b21e6b20d.jpg)
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ここが『発祥の地』、長崎
長崎は、江戸時代異国との唯一の窓口として開かれており、
「 日本初 」 なら、
日米修好通商条約により開港した横浜にも負けません。
『ここが「発祥の地」、長崎を巡る』 JRウォーキングです。
5月14日、長崎まで行ってきました。
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長崎港で見た豪華客船、「サファイア・プリンセス」です。
2002年10月、三菱重工業長崎造船所で建造中の豪華客船に、
火災騒ぎがありました。 その時の船です。
当時、同規模の豪華客船2隻が建造中でした。
「ダイヤモンドプリンセス」と「サファイアプリンセス」です。
元々、この船は「ダイヤモンド」になる筈でしたが、
「サファイア」に変身しました。
旅客定員:2,670名、乗組員:1,100名、兎に角デッカイです。
(写真は全てクリックで大きくなります。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/45/0a069cf24481ee3ed1e86349af962026.jpg)
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発祥の地巡り、
先ずは、「ちゃんぽん発祥の店」 四海楼 です。
大浦天主堂へ行く坂道の下にありました。
店の玄関横には、「ちゃんぽん」事始め の説明文が。
「皿うどん」も、ここが発祥(店)でした。
ここのちゃんぽんを食べたかって? まだ時間が早かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/c9/325e523f09df8f613e958c1c71111363.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/4b/352ee599cf243b1c5c7c5e9508614f1d.jpg)
「国際電信発祥の地」
四海楼の前の長崎全日空ホテルの敷地内、
大浦天主堂、グラバー園へ行く坂道の起点にありました。
明治4年(1871)長崎~上海、長崎~ウラジオストック間に、
デンマーク系の大北(たいほく)電信会社によって、
海底電信線が開通しました。
日本と世界が、初めて即時に情報交換ができるようになり、
ここが最初に設けられた通信所があった所です。
(説明板より抜粋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a5/1769aa7c421f5761bba0311682fb36b4.jpg)
「ボウリング発祥の地」
大浦天主堂、グラバー園へ行く坂道の途中です。
わが国最初の英字新聞、「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー(The Nagasaki Shipping List and Advertiser)」の1861年(文久元年)6月22日の創刊号に、「インターナショナル・ボウリング・サロンがオープン」の広告が掲載されました。 日本ボウリング場協会はこの日を「ボウリングの日」に定めています。
(説明板が無かったので、ネットで調べました。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/43/bfc9966ddd7780b7f7a8d3457da36a14.jpg)
大浦天主堂 です、今回はパス。
40年以上前に、一度入ったような気がするが、・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c5/a42339e659bf90b2035867a9dea8c244.jpg)
グラバー園 、中に入りました。 (40数年ぶりかな?)
一番上に登りつめたとこのにある旧三菱第2ドックハウスです。
ドックハウスとは修理のために船が造船所に入っている間、
乗組員たちが宿泊した施設です。明治29年に造られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/21/150920e671cb632cd3e465cc7f527d88.jpg)
旧グラバー邸 、
1863年に建てられた、現存す日本最古の木造西洋風建築です。
(世界遺産、国指定重要文化財)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/10/febbb83fe4c626184b04eb66cf790b42.jpg)
グラバー園から見た停泊中の「サファイア・プリンセス」
総トン数:116,000t 全長:290m デッキ数:18階、
まさに動くホテルです。
この日は、中国上海からの爆買日本観光ツアー客だったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/3a/ac4c1d3be20205d8f5198beedd92b870.jpg)
グラバー園内に、「西洋料理発祥の碑」 がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/bb/6d5b75f9cec526226fcf696ae80530b7.jpg)
説明板がありましたので、こちらをご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/af/39b0a18b021f9d790bae7a93185d069f.jpg)
グラバー園は、安政6年(1859年)の長崎開港後に、
長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、
オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた
歴史的建造物を移築して出来た観光施設・庭園です。
勿論、グラバー、リンガー、オルトの旧邸は残っており、
いずれも国指定重要文化財です。
小高い丘の斜面で、
一番上の旧三菱第2ドックハウスまで登るには、
エスカレーターと、動く歩道(動く斜面道)で行けます。
1時間近くいたが、建物内部・展示物見学など、
全部廻りきれなかった。
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「鉄道発祥の地」 大浦海岸通りの長崎市民病院前です。
横浜-新橋間の(営業)鉄道の7年前、慶応元年(1865)のことです。 居留地の海岸通り(今の市民病院前から松ヶ枝橋まで)約600mを2両の客車に乗客を乗せた陸(おか)蒸気が走りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/91/0e8f71a41f58abdbc112b2ec59112877.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/4f/1a579b1d4b04e3a5080a8c2eeed034a8.jpg)
以上で、発祥の地巡り は終わりです。
実はもう1ヵ所、「バトミントン伝来の地」 があり、
出島の近くだと思っていたら、後で気が付いたが出島の中だった。 出島に入る予定は最初からなかったのでパスしました。
(3年前に入っていたので、)
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長崎と言えば、眼鏡橋 です。
ウォーキングのコースを外れて、行ってみました。
前回来た時はパスしたので、3年ぶりかな
寛永11年(1634)に架設された日本最古の石造アーチ橋です。
水害で何度か破損しましたが、その都度、修復されています。
勿論、国の重要文化財です。 立派ですねぇ~!
残念だったのは、川の水は多かったが少し濁っていて、
鮮明な眼鏡型の写真が撮れなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/c2/37aff33e48ab743411dd4e42078e4f22.jpg)
前回来た時、
川の石垣にあるハート型の石を1個見つけました。
今回、もう一度! 探したが、見付かりませんでした。
(数か所(数個)あるらしいです。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/26/f40a47d43a45bb8615df0711b3248755.jpg)
下に降りて、探してみたが、・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/88/7200ecb4b0a5b44244654c63db8edb4a.jpg)
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家に帰って、3年前の写真で確認。 赤の矢印の所です。
ヒントは、堰の近くだった。(黄の矢印)
かなり、袋橋寄りだったのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/1a/7e3c438977980fbdcdd03a788e7b51a1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/0a/b3e0ecaee5e4f2a3d4e20976f8ba05e3.jpg)
この後、ウォーキングコースに戻って、
県庁 → 諏訪神社 → 長崎歴史文化博物館 → 長崎駅 で、
初めて歩くルートでした。
(今回のコースの県庁までのルートは、以前歩いたことがありました。)
「発祥の地巡り」は予想通り、石碑類があるのみで、
目を閉じれば、昔の栄華の頃が想像できる?
歴史に乏しい頭では、そんな事は全然ありませんでした。
まあ、もの好きさんのアリバイ?工作みたいものです。
長崎市内のウォーキングは、個人的なのを入れて4回目、
もう少し長崎の歴史を勉強して歩けば、味わい?があるかも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/40/84013ceb6074a0ba256e6f3a8c6ebe89.jpg)
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電車のドアの開閉はお客さんが、
<気が付けばチョッピリ鉄ちゃん-19>
♪汽車が止まる 車掌が戸あける お客が降りる ヨイヨイ
(こんな歌を知ってる人は、かなりのシニアです。)
電車のドアの開閉は、今も(ワンマンを含めて)、
昔も、この歌のように乗務員がやるのが基本です。
処が、お客さんがやる(出来る)、電車があります。
JR筑肥線を走っている305系電車が、それです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1f/65d93f74d44d72c5f0aa31a5c65fd4b7.jpg)
JR筑肥線は、
福岡地下鉄の空港線と相互乗り入れしていて、
これは、去年(2015年)9月、天神から乗り、
東唐津に行った時のものです。
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筑前前原駅を過ぎたところかな? お客さんはマバラ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8c/d5fdcb1105379483f135da85fd2d5a44.jpg)
ドアの横(赤印の所)に、開閉ボタンがありました。
車内にある押しボタンで、お客さんが開閉できるドア形式を、
「スマートドア」と呼んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c0/fa7f3019684f48f169dcbe5690986b92.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/df/933bcc48e89695b3bfc114636ddcffd1.jpg)
この電車は、福岡空港発、西唐津行きでしたが、
全ての区間で、スマートドアが使える訳ではなりません。
実際に使えるのは、筑肥線の美咲が丘から西唐津間です。
(田舎で、お客さんが少ないから?)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/02/1fa077ccd54a507392849b67b93adc54.jpg)
何でも、初めて使うのは不安?で、興味がありますね。
地下鉄区間は使えないだろう、と分かっていたが、
何処から使えるのか? JR線に移って、
姪浜から停まる度に、じっとドアの方を見つめていました。
↑ ドアの上の液晶パネルに、説明が出て初めて分かりました。
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使える駅に停まったら、
開閉ボタンの周りのランプが点きました。(点滅だったかな?)
ここの区間は単線で、
上り電車待ちで、暫く停車の時、チョット試してみました。
今まで出来なかったことがやれる? 気分はいいです。
(でも、悪戯はダメですよ。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/35/54d317b45aa45c4b210486a2ba227e95.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b7/a0aea9bb11cb78f5a8b02ec2b7ddb61e.jpg)
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このスマートドアの発想は、
決して、乗務員の作業減の為ではありません。
冬の寒い時、車内は暖房で温まっていて、誰も降りないのに、
駅に着いたら、ドアが開き、ピューと冷気が入り込む。
寒いったら、ありゃしない。 真夏の暑いときは、逆で・・・、
こんな経験が、何回かあります。
スマートドアは、お客さんの為を思って出来たのだと思います。
この車両の詳しいことは、
よく分からないが去年導入された新車です。
機会があれば、乗ってみて、確かめて下さい。
(6両編成で6本投入されいて、筑肥線に乗れば当たる確率は高いです。)
誰も降りる人がいなく、ドアが閉まったままだったら、
乗る人は困るのでは? ご安心ください。
開閉ボタンは外側にも付いていました。(赤の矢印)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/21/63f201485bbbdbbaeb96ab9747a58c84.jpg)
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新八幡図書館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/e0/86a97baa981ce53815569d6e4638c914.jpg)
八幡東区の八幡図書館が移転しました。
今までの所から、東へ約100mの移動です。
この度、市立新八幡病院を建設することになり、
図書館がその用地内に含まれているからです。
(新図書館も、病院の敷地内なんですが ・・・、)
この建物(図書館)は、新しく建てたのではなく、
既に、ここにあった「九州国際大学文化交流センター」を
改修して、新図書館としてオープンしました。
でも、全部を図書館の施設として使える訳ではありません。
3階と2階の一部は、新八幡病院の管理部門が入るそうです。
「九州国際大学文化交流センター」は何処へ行ったのかって?
さあ! それは知りません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/05/fd3e2d85618babc9876f8c023e8d440a.jpg)
玄関を入ると、一般室、児童室、郷土資料室もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/31/9a11e32066d109e7fe12472d497471d6.jpg)
エントランスホールでは、
「みずかみかずよの世界」の特別展示が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6d/0cb7f3eca2a2efd99a044e901f910f02.jpg)
みずかみかずよさんの事は、
以前、採り上げてたことがあります。
図書館の前の小伊藤山公園には、
「ふきのとう」の詩碑が建っています。
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みずかみかずよ(1935~88)は八幡東区尾倉で生まれ、
皿倉山を見つめながら詩や童話を書き続けた。 詩は小学校
教科書に掲載され全国の児童に朗唱された。 1981年
北九州市民文化賞、96年『みずかみかずよ全詩集いのち』で
丸山豊記念現代詩賞を受賞した。 自然を愛し、こどもたちと
ともに詩を楽しんだ故郷の詩人みずかみかずよの業績を
讚え、詩の発展を願う市民の寄金によって詩碑を建設した。
(ー 詩碑の説明文より ー)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/79/0589e99725d8717ff5d3aa05cf27aa94.jpg)
エントランスホールの奥のリフレッシュコーナーでは、飲食も出来ます。2階には、学習室、セミナー室もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b8/2954cc6053efd529d442f2ed39e7eaf1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/d5/3acf16d17c24634a3eb53b2490867893.jpg)
旧図書館の説明が展示されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/96/f1afc1627ce91eb9e024975eb6a75b9f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/87/b2f4bc6dd7269d7d6b2f8489f59eec2a.jpg)
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こちらは、もう元図書館となりました。
市の計画では、
5月中旬から解体工事 が、始まるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/02/e5a1d028ac9a17e0e390d2df3ccabac2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ae/a530d937b53e4132073c2cb2f7b47969.jpg)
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図書館の移転整備イメージと言うか、新病院の敷地図です。
元図書館の敷地は駐車場になるとか。だから、邪魔?なんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/74/48e494eb54305308da156953b624715d.jpg)
八幡市民会館です。
新病院の敷地外になっていますが、機能のは3月末で廃止、
今後、どうなるか? 判りません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/48/dafa3bb7435250537d4379db5b84b7c7.jpg)
ここは都市公民館の発祥の地です。
八幡中央公民館が建っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ff/7bdfb9a20d8b83ac4f38456171f24d2b.jpg)
市民会館横の通りに、「なんじゃもんじゃ」を発見!
チョット遅かったかな? でも、まぁまぁと言ったところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/60/85dc0db9a5225ed2473139e7c4833d18.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/11/fec376a5047bcd03ae461d5502c48ba5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/72/9dae976c7da46366794ad2a86fd43534.jpg)
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文化勲章を受章した八幡育ちの
建築家村野藤吾氏(1891~1984)が設計した図書館、
それに市民会館、近くの福岡ひびき信用金庫本店と合わせ、
「村野3建築」として専門家から高く評価されているそうです。
それだけに、解体反対の声が多く、今日の新聞にも、
市民グループによる八幡図書館解体を止める緊急署名活動を!
の記事が出ていました。
兎に角、
病院建設のためには、今の場所にあることが不味い。
移転なら、 何処に? 費用は? その後の用途、維持費は?
市としては、解体するのが一番の安上がりだから、らしい???
旧八幡市歌に歌われていた、
♪たちまち開けし文化の都
八幡 八幡 われらの八幡市
は、何処へ行ったのかなあ!
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4d/9ae472ab3e107c5348a2ce774eee6769.jpg)
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