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折尾駅舎その後


 折尾駅の(旧)駅舎は、
去年10月6日で業務を終え、
感謝祭のイベントが、10月13~14日に行われました。
その後、どうなっているだろう?
気になって、先日、行ってみました。

写真中心のアップです。(いつもだけど、
画像は最初と最後の写真を除き、クリックで大きくなります。

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黒崎方面から、折尾のホームに入る直前です。(電車から)
上部は取り壊されて、下の方は剥き出し?


こちらは、去年10月13日の「感謝祭」の時です。


旧駅前広場です。
工事用の囲いで覆われていて、後ろに下がらなければ良く見えません。



こちらは(作業用)車の出入口からです。
見えるのですが、ちょっと遠すぎ、中には入れませんでした。
この日は何の作業もしてなかった? 色々調査中?



工事用の塀(囲い)には、洒落たアートが。



短絡線の踏切を渡った所からです。


 去年10月13日の同じ位置からです。
こっちに向かって歩いてる人が多い?
この日はJRウォーキングもありました。


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工事(今は解体・調査?)は、順調にいっているのだろう。
新駅舎は、2016年度の完成を、
折尾駅周辺と高架化完成時期は、2020年の春を、
目指しているそうです。


最新情報です。
新駅舎の完成は、2020年度、 
高架化の完成は、2022年度、
駅周辺の土地区画事業が終わるのは、2025年度を予定。
だそうです。 当初の計画より、かなり遅れます。

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折尾駅名物の駅弁売りが復活しています。
4番、5番ホームです。
写真は5月の連休の時のものです。


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昔、皿倉山を帆柱山と呼んでいたのは?


 昔、皿倉山のことを、帆柱山と言っていた。(呼んでいた)
何故だろう? 
この問題、以前、記事にした事があります。(コメントでも)

私の憶測は、
皿倉・権現・帆柱・花尾の四山を帆柱連山と言ってるから、
八幡の最高峰としては、帆柱の方が品だの格だの、語呂だの?
だから、・・・でしたが、どうも、根本的には違うようです。


当ブログによくコメントしてくれるcaramelpapaさんが見付けてくれました。
『北九州市まちかど探検』というHPによれば、
『皿倉山にあるケーブルカーを、何故「帆柱ケーブル」と呼ぶのか』がテーマですが、それによれば、

 大正6年八幡市となった地元自治体は、皿倉山を帆柱山と取違え、各種印刷物に記載されていた。
このため、戦後八幡市議会で不思議に感じた議員からの質問に対し、執行部は「皿倉が本当だ。しかし帆柱、権現、花尾と四山を総称して「帆柱連山]と言う。だから帆柱というのが表面に出てくる。」と、もっともらしいこじつけの答弁があった。
これ以降、間違いを正すことなく、公園整備に当っても「帆柱」の名前が使われたため、帆柱ケーブルと今もなっている。


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 この市議会の記録が残っているのなら、(事実なら、)
大正6年の単なるミステーク?が原因?
その当時、どうして気が付かなかったのかなあ?
戦後じゃ、遅すぎる!!

市のこじつけの答弁も、もう市歌・校歌は広く行き渡っているし
皿倉山の麓、大字尾倉の一部を帆柱町としていた。
(今更、)仕方なかったのだろうな!?
これが真相のようです。

でもその後、帆柱公園、帆柱ケーブルと帆柱が使われたのは、
市の答弁の正当化のため??


私の小学校時代、
社会科の授業では、郷土(八幡)のことを教わった。
教材は地元の出版社の物(ワークブック?)で、八幡の地図を中心に。この地図の特徴は、埋め立てて角々となった洞海湾だった。
この時、皿倉山・権現山・帆柱山。花尾山も地図上にあったと思う? だから市の各種印刷物は、いつの間にか書き替えられていたのだろう。

 市歌は運動会の時は必ず3番まで、校歌と一緒に歌われていました。当時は市歌は市歌、校歌も同様、それで納得したような?

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  旧八幡市歌の三番です。

    高き理想を 帆柱山に
   深き希望を 洞海湾に
   愛市の真心 神こそ知るらめ
   八幡 八幡 吾等の八幡市
   市の隆昌は 吾等の歓喜


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 映画「この天の虹」の予告編のYouTubeを見つけました。
55年前、昭和33年の八幡の風景が出てきます。




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アクロス山登山


  雪よ岩よ われ等が宿り        
    俺たちゃ街には 住めないからに


若い頃、一人前にカッコー付けて歌っていた。
今では、街のど真ん中でも山はあります。
福岡天神に、そびえ立つのは「アクロス山」
6月の或る土曜日、
トレッキングシューズを履いて、登山を試みました。
高さは60m、階段総数809段、ここから登ります。


ここは西側登山道、疲れたらベンチでひと休み!


歓迎のプレートもありました。


あと一息、山頂が見えてきました。


この階段を登ると、山頂(屋上展望台)です。


山頂よりの展望です。
この日は霞んでいて、遠くの方はあまり良くなかった。



こちらは、真下の公園


中洲の繁華街方面


下山は東側の登山道を歩きました。


花も咲いていました。
クチナシ、ガクアジサイ、がめの葉もあった!


途中、池もありました。 この水は滝として流れます。


ここの登山道(階段)は、歩きやすかったです。
階段の表面に小石(砂利)を入れて固めた特殊加工?をしていた。


無事下山!
アクロス山ふもとです。 登山の疲れはここでグッイッーと!


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  ここは元福岡県庁があった場所です。
  (今は天神中央公園で、憩いの場)
  旧福岡県庁舎の玄関に使われていた柱が、
  オブジェとして保存されていました。



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アクロス山とは? 「アクロス福岡」のことで、
旧県庁舎があった場所に、建てられた国際・文化・情報の交流拠点、
福岡シンフォニーホールや国際会議場を備えた複合施設です。

1981年に県庁が博多区東公園に移転した後、
1995年4月竣工・開業だそうです。
以前、見た時は、ビルを階段状にして小さな木植わっており、
都市緑化の先端を行く?いいアイデアだなあ、と思っていた。

これは、「段状ステップガーデン」と呼ばれているそうですが、
まさか、中に入れるとは?思ってもいなかったです。
下から見上げると、これはもう都会の中のジャングルです。

お暇な?方は、一度登られては如何ですか?
開園時間は季節によって違いますが、
今の時期は毎日、9:00~18:30 自由に入れます。
但し、山頂(屋上展望台)は、
土日祝日の(10:00~16:00)のみです。


    山よさよなら ご機嫌宜しゅう
    また来る時にも 笑っておくれ


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「みやこ町花しょうぶまつり」に行く


 今年は例年になく早い梅雨入り(5月27日)で、
最初の頃は、調子良かったが?(こんな言い方あるかなあ?) 
それでも空は、梅雨空が多く、
そんな中、梅雨に咲く花、と言えば、花菖蒲に紫陽花
各地で、[菖蒲まつり]や[あじさい祭り]が、

6月8日(土)、みやこ町(豊津)の
「第8回みやこ町花しょうぶまつり」に行ってきました。
これはウォーキングです。 スタートは新田原駅 ↓


豊津の方に向かって歩いていくと、
ここは、農村地帯
田植えが終わった田、今からの田、まさに農繁期です。


豊津の豊前国府庁跡公園です。
ここは昔、豊前国の中心(首都)だった。


そんなに歴史に詳しくないので、ここにあった説明看板をご覧下さい
(クリックで大きくなります。)


豊前国分寺です。



三重塔は明治29年に再建・建立されたもので、
福岡県指定有形文化財です。
(昭和60年~62年に全面的な解体修理が行われています。)
高さは23.2mで、三重塔としては日本一の高さだとか?



国分寺は、奈良時代に聖武天皇の勅命によって、
全国の国ごとに建てられました。
豊前国分寺のほとんどの建物は、戦国時代末期の戦火で焼失し、
江戸時代、小倉藩の支援もあり、一部再建されました。

豊前国分寺跡公園です。
(全体的な広さ、建物の配置等の説明が書かれていました。)



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豊津運動公園横の花菖蒲公園に到着です。
まつり会場では、人形浄瑠璃「北原人形芝居」が、
人形浄瑠璃・北原人形芝居とは、
鎌倉時代から続いている大分県中津の伝統芸能だそうです。
しばし、観劇しました。



豊津花菖蒲公園の今年の「花しょうぶ」です。
40種類で3,000株、約1万本だとか、ご覧下さい!





花菖蒲公園を後に、ゴールへの帰路 
清地(すがち)大橋です。 下を流れている川は今川です。


今川の川沿いを走る平成筑豊鉄道、
豊津方面(上)と行橋方面(下) ―清地大橋の上から―


約4Kmの今川河川敷を歩きました。
(平成筑豊鉄道の反対側です。)


途中、こんなもんを発見! バナナ? 芭蕉?


ゴールの行橋駅です。 高架で立派な駅になっていました。


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豊津の花しょうぶ祭りのウォーキングは、
ほぼ毎年行われています。(久しぶりの参加です。)
いつも天気が良すぎて、最後の今川の河川敷では、
強い日差しに、雑草・夏草の臭いで、地獄の行進?
今年は、曇り空で多少風も出て、快適に歩くことが出来ました。
13.5キロのコース、予定通り約4時間で完歩しました。

― 余談 ―
トップの画像(今年のポスター)に、マンガチックな乙女が?
今年から「しょうぶ姫コンテスト」をやると言うことで、
このポスターが出来たとか。
9日に「初代しょうぶ姫」が決定、今後1年間、
町の観光親善大使としても活躍されるそうです。


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― 番外編:豊津高校の黒門― 
豊津には、
小倉藩の藩校の流れをくむ藩校(開設は1758年・宝暦8年)が、あります。旧制豊津中学校→豊津高校→(現)育徳館高等学校です。

ここで、有名なのが「黒門」、
藩校時代からの校門で、当時あった場所とは違うようですが、
東大の赤門に対抗して、黒門と名付けられたとか。
この門が開くのは、入学式と卒業式の日だけ、と聞いています。
歴史ある黒門から入学して、卒業は黒門から出て行く。 
(いいなぁ! 羨ましい!)

 この黒門から(東大の)赤門を、くぐった超有名人がいます。
夏目漱石の小説「三四郎」の主人公・小川三四郎のモデルと
言われている漱石の愛弟子・小宮豊隆(こみや とよたか)氏です。
それ以上のことは知りません。

写真は何年か前、コースを外れて見に行った時の物です。

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