使命感「使命感があれば、むかうところ敵なし」
●使命感あれこれ
コンンビニのアルバイトの青年が、強盗を店外まで追いかけて争いになり殺されてしまった事件が昔ありました。
アルバイトなのに、何もそこまでやらなくとも、と思った記憶があります。どんな仕事にどのような形で携わろうと、そこには、それなりの使命感があるということではないでしょうか。
あるいは、政治家。
権勢欲、支配欲などどろどろしたものもあるとは思いますが、選挙に落ちればただの人。にもかかわらず、政治家をめざす人々はつきない。そこには、国を良くしたいというやむにやまれぬ使命感があるはずです。
金儲け第一にみえる実業家でも、こんなことを言っています。
「私はこの世に生まれた人はいずれも天の使命を帯びていると信じているから、自分もまた社会のこと、公共のことにはできるだけの貢献をし、その使命を果たしたいと考えている。」(渋沢栄一)
もう一つ、ボランティアにいそしむ人々。
一銭の得にもならないことをあれほど熱心にできるのはなんなのか。恥ずかしいことに、自分は、これまでこれといったボランティア活動をしたことがありません。それだけに、あの献身的で元気はつらつな姿にはいつも感嘆、感動です。
「天職を通じて人のために奉仕すると考える人は、間違いなく成功する。」(マーフィーの法則)までいけば、言うことなしですね。
使命感をもった人は元気です。今回は、その使命感を分析し、そして、自分なりの使命感をもった毎日を生きるためにはどうしたらよいかを考えてみたいと思います。
●使命感ってなにもの?
使命感にかられた行動には社会性があります。それをすることが、世の中のためになっているという感覚ですね。
類語辞典で、使命感の類語を拾ってみますと、
「任務、職責、職務、責任、務め、献身、義務、課題」
となります。ここからも、社会性の意味がぼんやりとみえてきます。
ただ、それだけではありません。使命感には個人的な嗜好も入り込んでいます。
社会からの要請と個人的な嗜好とがコラボレーションしたところに使命感が発生します。
大事なのは、コラボレーションですね。
社会からの圧力が強すぎると、命令になってしまいます。
個人的嗜好が強すぎると、信念になってしまいます。たんなる人助けになってしまいます。
社会と個人とが微妙なバランスをとれているところが使命感の大きな特徴です。というより、バランスがとれているときに、使命感は心に真正な元気をもたらします。
●心を元気にする使命感をもつには
①自分のしていることの意味、意義を考える
シュシュポスの神話というのがあります。罰として、岩を頂上まで運びあげさせる、それをふもとに落とす、それをまた頂上まで持ち上げさせる。これを永遠に続けさせる罰です。これは、人間にとって究極の罰といっていいかもしれません。
さらに、もう一つ。
黙々とレンガを積んでいる人が2人いた。「何をしているんですか?」と聞くと、一人は「レンガをつんでいる」と答え、もう一人は「家をつくるためにレンガを積んでいる」と答えた。
使命感をもって仕事をしているほうがどちらかは自明ですね。
どんな仕事にも、それなりの意味、意義があります。大きくは、社会全体、会社全体、組織の中でのその仕事の位置づけ、小さいところでは、自分にとってのその仕事をすることの意義など。要するに、その仕事を取り巻くもろもろを考えてみることです。
具体的には、
・どうして自分はその仕事をしているのか
・なぜ、その仕事は存在するのか
・仕事を自分がしないとどういうことになるのか
などです。
②社会とのつながりを考える
大きくは、自分が、小さくは、自分のしていることが社会においてどのように役に立っているかを考えてみることです。
自分は、今、この原稿を書いていますが、書いているときは、書くことに夢中です。ひどく孤立しています。しかし、一服しているときなど折に触れて、これを読む人のことをイメージします。そこで、原稿を書くという孤独な仕事が社会とつながります。そして、書くことの使命感のようなもの持つことができます。
組織の中で働く際には、組織の使命があります。ミッション・ステートメントという形であなたに提示されているはずです。その場合は、それを「自分のものにする」ことで仕事の使命感が生まれます。
余談になりますが、「自分のものにする」のは、結構、難しいところがあります。
なぜなら、ミッション・ステートメントは、普通は、かなり抽象的な言葉で述べられるからです。具体的な行為の世界とどうしても齟齬ができてしまいます。たとえば、「安全第一」が、ついつい、「納期優先」になってミスをしてしまうようなことがあります。
③社会的要請と個人的な嗜好とのバランスをとる
使命には社会性があります。それだけでみずからの行為を律すると、組織に埋没してしまいます。結果として、狭小な世界での使命感となり、とんでもない誤ったことをしでかしてしまうことになります。
会社のためによかれと思って懸命にしたことが、とんでもない法律違反だったというような事件、事故がどれほどあったことか。その背景にこうした使命感があります。
真正な使命感とは、社会性と個人的嗜好のコラボレーションから生まれます。たとえ、組織から当たられた使命であっても、それを自分なりにあれこれ思慮してみる必要があります。そこに個人的な嗜好が入り込みます。
それが大事なのです。
先ほどの余談と関連しますが、これが時には、組織原理とそごをきたすことはあります。しかし、そのリスクが行為に緊張感をもたらし元気はつらつにもつながります。
ここで、今読んでいる浅田次郎著「ハッピーリタイアメント」(幻冬社)を思い出しました。
2人の元官僚がまったく仕事のない団体に天下る。でも仕事はない。団体のミッションはもちろんあるが、あくまで建前。仕事をしないことが暗黙の使命。ところが、それに我慢がならない2人が、仕事をしてしまうのです。そこが喜劇になっていてとてつもなく面白いのですが、これは、個人的嗜好のほうに使命感が極端に偏ってしまったケースです。
●使命感あれこれ
コンンビニのアルバイトの青年が、強盗を店外まで追いかけて争いになり殺されてしまった事件が昔ありました。
アルバイトなのに、何もそこまでやらなくとも、と思った記憶があります。どんな仕事にどのような形で携わろうと、そこには、それなりの使命感があるということではないでしょうか。
あるいは、政治家。
権勢欲、支配欲などどろどろしたものもあるとは思いますが、選挙に落ちればただの人。にもかかわらず、政治家をめざす人々はつきない。そこには、国を良くしたいというやむにやまれぬ使命感があるはずです。
金儲け第一にみえる実業家でも、こんなことを言っています。
「私はこの世に生まれた人はいずれも天の使命を帯びていると信じているから、自分もまた社会のこと、公共のことにはできるだけの貢献をし、その使命を果たしたいと考えている。」(渋沢栄一)
もう一つ、ボランティアにいそしむ人々。
一銭の得にもならないことをあれほど熱心にできるのはなんなのか。恥ずかしいことに、自分は、これまでこれといったボランティア活動をしたことがありません。それだけに、あの献身的で元気はつらつな姿にはいつも感嘆、感動です。
「天職を通じて人のために奉仕すると考える人は、間違いなく成功する。」(マーフィーの法則)までいけば、言うことなしですね。
使命感をもった人は元気です。今回は、その使命感を分析し、そして、自分なりの使命感をもった毎日を生きるためにはどうしたらよいかを考えてみたいと思います。
●使命感ってなにもの?
使命感にかられた行動には社会性があります。それをすることが、世の中のためになっているという感覚ですね。
類語辞典で、使命感の類語を拾ってみますと、
「任務、職責、職務、責任、務め、献身、義務、課題」
となります。ここからも、社会性の意味がぼんやりとみえてきます。
ただ、それだけではありません。使命感には個人的な嗜好も入り込んでいます。
社会からの要請と個人的な嗜好とがコラボレーションしたところに使命感が発生します。
大事なのは、コラボレーションですね。
社会からの圧力が強すぎると、命令になってしまいます。
個人的嗜好が強すぎると、信念になってしまいます。たんなる人助けになってしまいます。
社会と個人とが微妙なバランスをとれているところが使命感の大きな特徴です。というより、バランスがとれているときに、使命感は心に真正な元気をもたらします。
●心を元気にする使命感をもつには
①自分のしていることの意味、意義を考える
シュシュポスの神話というのがあります。罰として、岩を頂上まで運びあげさせる、それをふもとに落とす、それをまた頂上まで持ち上げさせる。これを永遠に続けさせる罰です。これは、人間にとって究極の罰といっていいかもしれません。
さらに、もう一つ。
黙々とレンガを積んでいる人が2人いた。「何をしているんですか?」と聞くと、一人は「レンガをつんでいる」と答え、もう一人は「家をつくるためにレンガを積んでいる」と答えた。
使命感をもって仕事をしているほうがどちらかは自明ですね。
どんな仕事にも、それなりの意味、意義があります。大きくは、社会全体、会社全体、組織の中でのその仕事の位置づけ、小さいところでは、自分にとってのその仕事をすることの意義など。要するに、その仕事を取り巻くもろもろを考えてみることです。
具体的には、
・どうして自分はその仕事をしているのか
・なぜ、その仕事は存在するのか
・仕事を自分がしないとどういうことになるのか
などです。
②社会とのつながりを考える
大きくは、自分が、小さくは、自分のしていることが社会においてどのように役に立っているかを考えてみることです。
自分は、今、この原稿を書いていますが、書いているときは、書くことに夢中です。ひどく孤立しています。しかし、一服しているときなど折に触れて、これを読む人のことをイメージします。そこで、原稿を書くという孤独な仕事が社会とつながります。そして、書くことの使命感のようなもの持つことができます。
組織の中で働く際には、組織の使命があります。ミッション・ステートメントという形であなたに提示されているはずです。その場合は、それを「自分のものにする」ことで仕事の使命感が生まれます。
余談になりますが、「自分のものにする」のは、結構、難しいところがあります。
なぜなら、ミッション・ステートメントは、普通は、かなり抽象的な言葉で述べられるからです。具体的な行為の世界とどうしても齟齬ができてしまいます。たとえば、「安全第一」が、ついつい、「納期優先」になってミスをしてしまうようなことがあります。
③社会的要請と個人的な嗜好とのバランスをとる
使命には社会性があります。それだけでみずからの行為を律すると、組織に埋没してしまいます。結果として、狭小な世界での使命感となり、とんでもない誤ったことをしでかしてしまうことになります。
会社のためによかれと思って懸命にしたことが、とんでもない法律違反だったというような事件、事故がどれほどあったことか。その背景にこうした使命感があります。
真正な使命感とは、社会性と個人的嗜好のコラボレーションから生まれます。たとえ、組織から当たられた使命であっても、それを自分なりにあれこれ思慮してみる必要があります。そこに個人的な嗜好が入り込みます。
それが大事なのです。
先ほどの余談と関連しますが、これが時には、組織原理とそごをきたすことはあります。しかし、そのリスクが行為に緊張感をもたらし元気はつらつにもつながります。
ここで、今読んでいる浅田次郎著「ハッピーリタイアメント」(幻冬社)を思い出しました。
2人の元官僚がまったく仕事のない団体に天下る。でも仕事はない。団体のミッションはもちろんあるが、あくまで建前。仕事をしないことが暗黙の使命。ところが、それに我慢がならない2人が、仕事をしてしまうのです。そこが喜劇になっていてとてつもなく面白いのですが、これは、個人的嗜好のほうに使命感が極端に偏ってしまったケースです。