日月神示の研究と実践

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 「船井が量子医学、聖書の暗号で理解した量子物理学を分りやすくいえば2」相澤智子氏

2010-10-06 06:58:49 | 船井幸雄氏
 <船井幸雄.comより記事転載>
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 「船井が量子医学、聖書の暗号で理解した量子物理学を分りやすくいえば2」

 皆さまこんにちは。
 前回のこちらのコーナーで、船井が体験した量子医学や、「聖書の暗号」にも関係がありそうだと思われる『量子物理学』について書かせていただきました。
 
 今回もこの量子物理学について、もう少し詳しく書かせていただきたいと思います。
 現在、まだ勉強を始めたばかりですが、素人なりにわかったことをまとめてみました。よろしければお読みください。

 私たちが普段使っている、携帯電話やパソコン、コンピュータなどいわゆるハイテクと呼ばれる分野の製品は、量子論による産物です。これらの製品に使われている半導体部品の原理が量子論の上に成り立っています。また、遺伝子やDNAの構造、原子炉での核分裂反応、太陽エネルギーを生み出している核融合反応も量子論に従って起こっています。
 これに対し、アインシュタインの相対性理論は、宇宙を観測したり、ロケットを打ち上げるときなどに使われている理論です。
 この二つが現代物理学の二本の柱となっています。

 量子論はニールス・ボーアによって作られました。ボーアは1922年に量子論を築いた功績でノーベル物理学賞を受賞し、量子論の父と呼ばれています。
 1927年、世界の著名な科学者たちが集まり「第5回ソルヴェー会議」が開かれました。そこでボーアは、「この世のモノは意識されて初めて実在し、観測者の意識が現実を創造する。また、それがそんなに奇妙で従来科学の基本理念を逸脱していても科学として受け止める」と宣言しました。
 この宣言は、従来の科学者たちの度肝を抜く、常軌を逸した声明だったようです。これが、「コペンハーゲン解釈」として世に知られるようになり、量子物理学が科学体系として認知されるようになりました。

 量子論は、「物質は常にあいまいな位置と速度を持つ」ことや、「未来は厳密なルールによってただ一つに決まっているのではない」ということを私たちに示しています。

 相対性理論を作ったアインシュタインの信念は、「物理学は決定論である」というものでした。ニュートン以来、物質世界に対する物理学者の認識は、「最初の条件が決まれば、以後の状態や運動はすべて確定されるのだ」というものです。よってアインシュタインには、「あいまいさこそが自然の本質なのだ」という量子論は、受け入れられないものであったようです。ただし、アインシュタインは量子論を「でたらめだ」と言ったわけではなく、量子論は、完全かつ最終的な理論ではなくて、私たちがまだ知らない「隠れた法則」があるのだと考えていたようです。
 
 アインシュタインの相対性理論と、ボーアによる量子論のどちらが正しいのか、それを検証する実験が、二人が亡くなった後に行われました。
 
 実験の概要を簡単に述べます。

 粒子にはスピンという性質があります。
 スピンしていない一つの粒子が壊れて回転する二つの粒子が発生するという状況を考えます。このとき、片方の粒子のスピンは右回りが50%になり、左回りが50%になり、どのような場所にあってもスピンの大きさは常に等しく、互いの軸の向きは必ず反対になるということが確認されています。
 この二つの粒子を離し、片方の粒子のスピンの向きを確認すれば、もう片方の粒子のスピンの向きが分ります。この二つの粒子を観察することで、遠く離れた二つの物体が瞬時に情報を伝えるかが分ります。
 1982年、A・アスペは電子をつかって、電子1の向きを変えることによって、電子2のスピンの向きが瞬時(超光速)で変化するかを確かめようとしました。
 アインシュタインの理論は、相対性理論の中で、「高速度を超えて物体が移動したり、情報が伝わることはない」と言っていました。しかしこの実験で、瞬間的(超光速)に二つの間で情報が伝わるということが確認され、ボーアの量子論が正しいという結果になり、科学に革命をもたらしました。

 量子実験の中で判明した事実で問題なのは、人が見たり、意識することで、現実が変わる「観測者効果」です。これによると、私たちが現実だと思っているものがすべて「仮想現実」のようなものであるということを表わしています。 
 私たちが住む現実とは、一体何なのでしょうか。普段見ている光景も、自分の目の前にあるものも、幻想なのでしょうか。

 この実験についてアメリカの著名な物理学者のゲーリー・ズーカフは『踊る物理学者たち』(青土社)の中で次のように述べています。

 我々が生きている世界に関する通常の合理的な考え方には根本的な欠陥があることを、物理学者たちは合理的に「証明」したのである。 
 
 また、E・ラズロは各種の著作の中で、次のような主張をしています。

 今出現しつつある量子物理学による現実は、まったく新しいものだ。その衝撃や驚きは一層大きなものになっており、私たちは科学の根本的な変容の真っ只中にいるのだ。
 新しい科学「量子物理学」の枠組みで捉えなおすと、量子のまとまりが空間と時間を超えて瞬時に結びつけられるのと同じように、人々が経験する「意識の一体感」を科学の枠内で説明することが可能だということもわかってきた。
 現在、宇宙は空間、時間、物質、エネルギーを超えて、あらゆるモノを包み込んだ全一体世界(ホールワールド)であるという洞察が生まれつつある。その媒体となるのが「宇宙に満ちている空間」という情報塊であり、万物はそこから発生し、顕現し、またそこに帰っていく。
 今存在するもの、かつて存在したもの、これから存在するであろうものすべてが、そこから出現するのです。 (『宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体』コンノケンイチ著 ヒカルランド刊より転載)

 このことを知ると、「私たちすべての人はつながっている」という考えや、「みんなで一つの命を生きている」という考えも量子物理学的に見てもわかるような気がします。
 また、E・ラズロ氏の言葉は、コンノケンイチさんも著書の中で述べていますが、仏教の言葉「色即是空、空即是色」という言葉の意味にもつながるように思います。昔の人はきちんと理解していたのかもしれません。

 科学の世界が哲学的な世界にも発展していくことに驚きました。量子論は科学の面だけでなく、さまざまな考えに通ずるもののように思います。これからももっと勉強していきたいです。

 <転載終わり>
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 船井幸雄氏の「聖書の暗号の大事なポイント」という著書を先週読みましたが、聖書の暗号と量子力学について書かれていました。

『量子論は、「物質は常にあいまいな位置と速度を持つ」ことや、「未来は厳密なルールによってただ一つに決まっているのではない」ということを私たちに示しています。

 相対性理論を作ったアインシュタインの信念は、「物理学は決定論である」というものでした。ニュートン以来、物質世界に対する物理学者の認識は、「最初の条件が決まれば、以後の状態や運動はすべて確定されるのだ」というものです。よってアインシュタインには、「あいまいさこそが自然の本質なのだ」という量子論は、受け入れられないものであったようです。』

 このように、量子力学という理論は、未来はただ一つに気まっているのではない、と言っています。

 船井氏は、これについて、下記のように例をあげて説明されています。

『あなたが麻雀をやるとして、リーチを掛けました。自分の積もれる牌はあと一つのみです。しかもそれは引くことができる山の最後の牌です。「リーチ一発海底ツモ」で、大逆転をかけて、いざ勝負です。積もれば満貫で、親からは4000点、他の二人から2000点づつ取って、自分の逆転一位が確定します。当たり牌はオタ風の「西」です。あなたはその牌が他の人の当たり牌と睨んで切れずに抱えていた。それで「西」を頭の片割れとして持っていた。その「西」をもう一つ引いて頭が完成すれば、上がりです。引きました。やりました。ツモです。「リーチ一発海底ツモ」!それだけで満貫です。でもその「西」は山のその位置に確立的にはじめから存在していたのではなかったのです。宇宙とあなたとの共同謀議で、「西」となって、引いた瞬間に現れたのです!』

 「宇宙とあなたとの共同謀議で、西となって、引いた瞬間に現れたのです!」と船井氏は言われていますが、私は今までそんなことは考えたこともありませんでした。「引いた瞬間に西が現れた」というのは、それまで西がそこには無かったかも知れないということです。

 船井氏はこの麻雀の話しで、「量子力学という理論は、未来はただ一つに気まっているのではない」と言いたかったわけです。

 この理論にはアインシュタインが反発したそうですが、私も「そんないい加減な理論はどうなのかな?」と思いました。

 そもそも、科学の科学たる所以は、同じ環境・条件の下であれば、必ず結果は同じになるということです。再現性があるということです。

 小学校の時に誰でも、水を電気分解して、酸素と水素に分解するという実験をやったと思います。そして、水素にマッチの火を近づけて、「ピュッ!」という音がして、水素が燃えたことを確認しました。この実験は全国の小学校で、40年間くらいやってるのでしょうが、何度やっても結果は同じです。

 科学というものは、その本質において再現性があることを前提に構築されていますので、未来には決まった結果が待っているということです。反対に、量子力学は「未来はただ一つに気まっているのではない」というのですから、アインシュタインだけでなく、科学という見地から見ても、量子力学は受け入れ難いものだと思います。

 水の電気分解は何度やっても同じ結果になるハズですが、量子力学では、別の結果もあるということなのでしょうか。よく理解できません。

 ただ、麻雀の例えで、牌を引いた瞬間に、自分が待っていた「西」になったというのは、何か解る気がします。麻雀は意思や想いが強い人が勝つゲームだと学生時代から思っていました。私は、たとえ賭け麻雀であっても(学生なのでジュースや生協の定食が多かったですが)、麻雀にはあまり関心が無かったので、弱い方でした。負けたからといって、別にがっかりもしないので、平気です。これではどうも勝てないようです(笑)。
 
 麻雀の強い友人は、本を買って、よく研究していました。かなりマイナーなテクニックまで研究して、たまにあがってました。周りはびっくりです。

 ゴルフもそうですね。ショートホールのバーディパットのときに、まるでプロが真剣に勝負しているようなオーラを出して、よく恥ずかしくもなくそこまで入れ込めるなと感じさせるほどですが、そういう人はバーディパットを入れます。
 私のように、ゴルフにあまり関心のない淡白な人間は、70cmのパーパットも外すこともあります。真剣にやっている人は、70cmなど外しません。

 私は合気道やテニスは好きだったので、真剣にやりました。なので、そこそこはできるようになりました。今でも会社を一緒にやっている役員と、中学時代はテニスのペアを組んでいて、大会で準優勝をしたのが、よい思い出になっています。
 合気道も、一年の夏合宿で大怪我をして、再起不能とまで言われましたが、全く合気道部を辞める気はなかったので、周りの人がびっくりするほど早く復活し、結局4年間つづけました。(とはいっても、入院は2ヶ月、自宅療養4ヶ月しましたが。)

 量子力学に対して、このような私の例えが正しいかどうかは解りませんが、今の自分にはおぼろげながら、こうように捉えています。

 科学では同じ条件下では、同じ結果になりますが、それに「想い」や「気」、「愛」などをプラスすることで、結果が異なるのかも知れません。特に、人間や、植物などの生き物にはその影響が出やすいと思います。

 ひふみ農園で、9月4日に二組の会員さんが小松菜の種を蒔きました。同じ日、同じ時間に種を蒔きました。畑も隣同士ですので、外的な環境は全く同じです。気温は35度、13:00~14:30の一番暑い時間帯です。(普通はこんな時間に作業はしませんが)しかも1ヶ月間雨が降らないので、砂漠のように土がカラカラになっています。

 一組は普通に種を蒔きました。もう一組は、「ひふみ祝詞」を奏上しながら種を蒔きました。すると、双葉に違いが出てきました。2週間後の双葉は、祝詞を奏上した方が倍以上双葉が大きく育っていました。
 それから更に10日経つと、その大きさは歴然となりました。とにかくびっくりです。10倍以上の差が出てしまい、育ちのよくない一組の方々には、何だか申し訳なく思ってしまいました。
 
 先週ひふみ農園に来て作業をされた方々も、その二組の小松菜を比較して、あまりの差にびっくりしていました。その差を見た会員さん達は、全員自然に「ひふみ祝詞」を奏上しながら種蒔きや水遣りをしていました。一目瞭然とは正にこのことです。

 このようなことが量子力学に関係しているかどうかは、分かりませんが、人の「想い」や「気」、「愛」などの目に見えない力が存在することは、実感しました。

 今後、量子力学や目に見えない力については、少しづつ自分なりに研究していきたいと思います。



 ●船井幸雄.com
  http://www.funaiyukio.com/hisho/index.asp?hno=201010001
コメント (2)
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