一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

ダ・ヴィンチ 「はじめて」 一青窈

2008年11月17日 00時45分52秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ダ・ヴィンチ』(2008年12月号・月刊誌)1頁
             <取材、文・宮昌太朗>【メディアファクトリー】

*ミュージック ダ・ヴィンチ 「はじめて」 一青窈
 
  カンボジアの子供たちとの触れ合いから生まれた
          力強く優しいメッセージソング


ひとと語録①
“これまで世界各地に出掛けましたけど、一番〝なにもなかった〟ですね。地雷が埋まっているせいで、道路もあまり整備されていない。花も育たないようなところなので、太陽が降り注いでる地面に、雑草が生えているだけっていう。でも、そこで暮らしている人たちは、みんなすごくタフなんです”

ひとと語録②
“なんにもなくても、可哀想なんてちっとも思わなかったし、むしろ〝希望〟を感じました”“ありのままで生きる彼らを見ていたら、きっとそんなものがなくても、人と向き合うことだけで十分楽しいんだって。そういうところに立ち返れたんですよね”

ひとと語録③
“うまく歌えるように、子供たちにもわかる言葉を選んでいたら、歌詞がどんどん削ぎ落とされていくんですよ”

ひとと語録④
“私は、旅行慣れしているほうなんですけど、カンボジアは想像を遥かに超えていて。世の中には、見たことのない生活がいっぱいあって、ネットとかでなんとなく知った気になりがちなんですけど(笑)。やっぱりそんなに甘くないんだなって思わされましたね”


朝日新聞 一青姉妹と顔家①

2008年11月01日 01時50分37秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『朝日新聞』(2008年10月27日夕刊)1頁
                   <野島剛>【朝日新聞社】

*アジアズームイン 一青姉妹と顔家①
           父との血脈 台湾に導く


ひとと語録
“日本語で歌うときは母に届けたい。中国語で歌うときは父に届けたいなって思う”

別冊カドカワ ap bank fes'08 ②

2008年10月31日 01時41分38秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『別冊カドカワ』(2008年NO.280)
1頁<取材、文・田中隆信/撮影・三吉ツカサ>【角川グループ】

*7.19 Great Artist 一青窈 Interview
  今日の3曲は今のわたしがよく表われていると思います


ひとと語録
“歌う曲については結構悩みました。今日歌った「受け入れて」と「つないで手」よりも「もらい泣き」や「ハナミズキ」のほうが知ってる人が多いと思うんですけど、それどもやっぱり自分は前に進んでるんだよっていう意味も込めて、「もらい泣き」「ハナミズキ」は入れませんでした”“「どんでん返し」は〝元気ありますよ!〟っていう部分を出そうかと思って選んだ曲です(笑)”

別冊カドカワ ap bank fes'08 ①

2008年10月31日 01時38分24秒 | 一青ジャーナル・環境
■『別冊カドカワ』(2008年NO.280)  
 7頁<取材、文・竹内美保/撮影・Pedoro Cho>【角川グループ】

*言霊対談 一青窈 X 中村中
  音楽も環境も受け入れて楽しく生きる


ひとと語録①
“寄付ってすごく簡単にできるけども、実際に寄付しようと思うとどこに寄付していいのかわからないし。そもそもお金って何なんだって?と思うと、やっぱり回さなきゃいけないものだな、と思う。そう考えると、アーティストが歌って、それでたくさんの人が観に来て、ap bankにお金が流れる……その流れたお金が環境を良くすることに使われる、ってこんなに素晴らしいことはないな、と年を追うごとに思って”

ひとと語録②
“私、すごく好きなのが…環境イベントとか福祉イベントとかって、結構説明とか学習コーナーを盛り込みつつ歌のコーナーがあってってなるけど、ap bank fesってメインステージは「ラヴ&ピース」でそれ以上学びたいひとはほかのフィールドがあるのでそちらで各々学んでくださいとか”“その押し付けがましくない感が、とにかくステージを楽しむっていうのが、すごく私は好きなスタンスなんですね”

ひとと語録③
“私、もともとミュージック・セラピーに興味があって大学に入ったから、今でもたまに音楽療法やっている所にセッションを観に行くんですよ。で、自分でもたまに病院でライヴをやったりするんですけど”“で、自分の母や父が入院してる時のことを思い出しても、「絶対に音楽で人は救える」ってすごく感じるので。んー…何ができるっていうと「何でもできる」とも言えますね(笑顔)。ホントに音楽ってアート・セラピーだな、と思います”

ひとと語録④
“歌と重なってしまうんですけれど…「受け入れて」ほしいなって。例えば、自分が今すごしている、人とは違う環境がある。でもそれぞれが自分の環境を受け入れて生きて、それで共生しているんだと思うので…「受け入れて」楽しく生きて欲しいな、って思います”

ぴあ POWER OF SONG 一青窈

2008年08月29日 03時12分08秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ぴあ』(2003年11月17日号・週刊誌)1頁【ぴあ株式会社】

*歌の持つエネルギーがアジアのかけ橋


ひとと語録①
“大人になったらそうそう素直でいられることってないでしょう?たとえば恋人の前とか家族の前だったら素直になれるけども、そうじゃなければ子供みたいにわめいて泣くとか地団駄踏むとかってしないですよね。でも、歌ってるときの私って、そういう状態に近いんですよ。ステージの上ではそのときの感情をそのまますごくストレートに出していられるから、そういう場所があるってことは生きていくうえですごくバランスがとれてるんだと思います”

ひとと語録②
“あれもこれもちょっとずつ、でもそれそれの素材はおいしい、っていう、〝大人が食べるお子様ランチ〟のような作品をずっと提供していきたいんです”


ひととpic up
『陶吉吉』デビッド・タオ(輸入版) これはもう私のバイブルって言ってもいいくらいです

バッフアウト! 一青窈 ニュー・アルバム「Key」②

2008年08月29日 02時50分32秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『バッフアウト!』(2008年3月号・月刊)
         4頁<対話・山崎二郎>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈  叙情性はしっかりありつつ、
     穏やかなグルーヴ感あるサウンドが、とてもいい相性


ひとと語録①
“それは「ゲルニカ」で、ピカソの絵を初めて見た時の衝撃を受けて”“ね!絵を見た時に一気に第2次世界大戦に連れてかれたんですよ、勝手に扉を開かれたというか。びっくりして。けどそういうことは、例えば自分が歩いている時に、いきなり昔の感覚に引き戻されることとかもあるので。そういう衝動をとじこめたんです”

ひとと語録②
“やっぱり「つないで手」ができたことが、1つのフックになったとは思いますね。作曲の川江(美奈子)さんの力もあるんですけど”“けど私は(父が)死んでしまった後に、悲しみの塊みたいなモノだけを引きずって生きてきた母の背中を見てたので、やっぱり、先に死ぬということよりも、それでも強く生きていかなければならないっていうのをすごく感じてて”“だったら、自分もつまずく度に、それは別に自分がすごいとかじゃなく、単純に、死んだ後の周りの人たちのことを、すごく考えて生きるってことを選択しないといけないと思って、「つないで手」を書いたんですね”

ひとと語録③
“家がなくなってなすすべがなくて、当時の通学路をなぞってたんですけど、そういえば昔、よく自転車置場で自転車倒してたな、とか(笑)、思い出していて。あれは別に、誰のためにやってたわけじゃないけども、綺麗に直すことで、こんな風な私も、1個ずつパイを並べながら前に進んでるんだろうな、と思いながら書きました(笑)”



バッフアウト! 一青窈 ニュー・アルバム「Key」①

2008年08月29日 02時45分37秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『バッフアウト!』(2008年3月号・月刊)
         4頁<対話・山崎二郎>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈  叙情性はしっかりありつつ、
     穏やかなグルーヴ感あるサウンドが、とてもいい相性


ひとと語録①
“ずっと住んでいた実家を、姉が建て直すことになったんですよ。なので、家をつぶして鍵だけが残ったんです”“これまで、アルバムやシングルから出てきた言葉たちって、そこの実家から生まれてきたものだったので、もう帰る場所はないんだけれども、そこを開く鍵だけが残った、という形で……”“で、戻っても、ここに家族が住んでた実感もあんまりなくて”“つまり、1つの扉みたいなものが、世界中どこにでも散らばっているはずで、そこを開ける鍵が自分だとすれば、必ずその思い出の世界には行けるんだ、と”

ひとと語録②
“例えば、この2年の間に、シングルも含めて、叙情的なモノを書くと、ひょっとすると、私を本当に知ってくれない人は、私をエエカッコしぃ、と見るかもしれない、と。「綺麗ゴトばっか述べてるぜ、一青 窈」みたいな(笑)。もっと、私自身を吐露していかないとなって。まぁでも、もうちょっと、ちゃんとリアルなことを書かないと、世の中に向き合えないよって、武部(聡志:プロデューサー)さんやその他のスタッフも言ってくれて。じゃあ、痛くてもちゃんと書こうと思って”

ひとと語録③
“ニートは否定しません。やっぱり、彼らは彼らなりに積んでいる気がして……。私もデビューする前まではニートでしたからね(笑)”“バイトで繋ぐ人生、みたいな(笑)。まわりのみんなは就職をして行き。大学4年の頃はすごい焦りましたけどね”“そして1年が過ぎても、2年が過ぎても、形にならない毎日、みたいな(笑)”“でも結局は、あの時に積んでたんだな、と”


ダ・ヴィンチ 明日の言付け 一青窈②

2008年08月20日 03時04分12秒 | 一青ジャーナル・家族
■『ダ・ヴィンチ』(2008年7月号・月刊誌)1頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*こんげつのブックマーク 『明日の言付け』 一青窈
  家族や愛しい人たちの記憶を
         詞とエッセイに綴った初めての単行本


ひとと語録①
“父が亡くなって、女手ひとつで育ててくれた母なのにすごい暴言を吐いたし、なんであんなことをしたんだろうっていういちいちが、ものすごくあって。それは歌詞にも書いてこなたっか本当の私の日記にしかない部分。そこを伝えたいとは思はないけど、そこがないと〝シチュウをつくってくれた優しい母〟みたいなことも浮かび上がらないんですよね”

ひとと語録②
(一青さんはお財布の底にしまってある、大切な手紙を見せてくれた。「たまに拝むように読んでしまう」というそれはピンクの便箋に書かれた娘を想う今は亡きお母さんの言葉)人から見たらなんでもないことかもしれないけど、この手紙が入っていること自体が私の支えになってて。本のタイトルにどうしても言付けという言葉を入れたかったんです。誰かに言葉を残すのって、その人を大切に思う気持だと思うから”

ダ・ヴィンチ 明日の言付け 一青窈①

2008年08月20日 02時57分52秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ダ・ヴィンチ』(2008年7月号・月刊誌)1頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*こんげつのブックマーク 『明日の言付け』 一青窈
  家族や愛しい人たちの記憶を
         詞とエッセイに綴った初めての単行本


ひとと語録①
“伝えたいのは状況説明じゃないんだよなあって。いつもいつも伝えたいのはありがとうだったり、会いたいだったり、好きだという気持で。いつもいつも同じ気持をどうやって言葉に表したらいいんだろうっていうのが、たぶん詩みたいになっていったんでしょうね”

ひとと語録②
“言い捨て逃げってことですよね(笑)。日記でウソを書き始めるのってたぶん大人になり始めた瞬間で、誰かに読まれることを想定したりとか、どう観られたいかを意識した時点で素直さ率が減ってしまう”“だから大人になって物事が見えにくくなったり、忘れちゃった大切なことって何だろうって思う時、なんだかすごく日記にウソを書き始める前の状態に戻りたいなあって衝動があるんです”

ひとと語録③
“わたっかような気になって流したくない。人からバカだって思われてもあがくってことをしないと、歌手、一青窈という名前だけで仕事をするような気がして。その前にひとりの人間であるというところに立ち返って言葉を出したい”

ブリッジ 一青窈 新作「key」その転機を語る②

2008年06月11日 23時54分46秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ブリッジ』(2008年5月号cut増刊号)10頁
   <インタビュー・井上貴子 写真・高橋剛>【ロッキング・オン】

*「みんなの一青窈」としての自分を受け入れた新作「key」、
            その転機を語る

 
ひとと語録①
“その場で作ってましたね、せーので音出しながら。インタルードなんかは武部(聡志)さんが即興的に作ったのを、その場で書いた歌入れするっていう形で、あんまりそういうの得意ではなかったんですけど、肉体的に反射して出してっくいうのがおもしろくて。なんか、もうちょっと音の一部になれた感はありますね。今まではすごく、詩人っていう立場として立ってた部分が多かったので”

ひとと語録②
“どうして〝ハナミズキ〟ばっかりが受け入れられやすいのかって言うと、やっぱりすごくわかりやすい文章が並べてあるっていう”“最終的にはでも、やっぱり子供が聴いてもわかるといいなっていうものを作りたいんで。精度を高めていくと、逆にわかりやすくなってくっていうのはおもしろい作業ですね”

ひとと語録③
“まあ、家の立て替えのための解体っていうのもありまして、今まで散々詞を書き続けてきた、ネタの宝庫みたいな家がなくなるっていうときに、手の中に残ったのがたった1本の鍵だったっていうのが、実体験としてこの2年にあって。で、それでも前に進むためには、見えない扉を開けなくてはいけないっていう、現実世界とリンクしてるんですけどね”

ひとと語録④
“ああ、帰っていく場所は、形としてあるというよりかは、自分がいる場所が家であるという、まあちょっと横暴ですけども、それこそどこにいたって街が劇場になるように、自分が必要としてる人といるっていうことが、なによりも大切なことで、その誰かと繋がってくことをやめた時点で、欝に入ってったり自殺してったりするわけで。もがいてももがいても誰かと繋がることを諦めないでいれば、特に家という形でなくったって、そこが帰るべき場所になるんじゃないかなとは思っています”

ブリッジ 一青窈 新作「key」その転機を語る①

2008年06月11日 23時50分48秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ブリッジ』(2008年5月号cut増刊号)10頁
    <インタビュー・井上貴子 写真・高橋剛>【ロッキング・オン】

*「みんなの一青窈」としての自分を受け入れた新作「key」、
                  その転機を語る

 
ひとと語録①
“そうですね。うん。ベスト・アルバムが売れたというのが、私はすごい意外だったので”“改めてベスト盤ってそんなに買うものなのかな?っていうのがあったので、すごくびっくりしたんです”“それまでは期待をいい意味で裏切れたらいいなと思って、実験的なことをやってたんですけども、もうちょっと素直に自分が受け入れられたっていうのが、多分、今回のアルバムの一番大きな発展なんじゃないかなって思ってます”

ひとと語録②
“なんかそれは、人の意見にわりと今まで左右されてたなと思って。こう見られてるとか、ああ見られているとか、こう書かれた、ああ書かれたってことに対して、すごく振り回されてて、勝手に傷ついて勝手に怒ったり、すごーく意味のないヴァーチャルな世界のことだなと思って”“そういう単純なところで、見えない声に振り回されてたっていうのを、すごく実感して、そこらへんは変わりましたね”“そもそもたくさんの人に伝えようってこと自体が無理な話で、ひとりでも聴いてくれる人がいるんだったら書きたいって思えるところにーまあ、初心に返るというのか、そこに戻って。だったらば、今、見える人たち、ファンも含めて、スタッフも含めて、その人たちに響くものを作ればいいなと思って”

ひとと語録③
“うらやましいなと思ったことがありますね。なんか、グレるみたいな(笑)。でもやっぱり想像するんですよね、その先を。痛そうだなとか、後で学校行けなかったら補習とかーいろいろなことを考えてくと、今やった方が楽だなとか。たとえば委員会に入ったりするのは一般的に考えればめんどくさいかもしれないですよね。自分が変えられるんだったら変えたいからそういうとこ入るとか、でも、変えられるんだったら、先生とも仲良くなれるし、そういう発想ですかね”

ひとと語録④
“そうですね。やっぱ。私がグッと入り込める世界って、どうしても昭和の香りがすると言うか。あのきっぷのよさとか”

CDでーた 一青窈 シングル「受け入れて」リリース

2008年05月30日 00時36分09秒 | 一青ジャーナル・社会
■『CDでーた』(2008年2月号・月刊誌)1頁
      <取材、文・藤井美保 写真・中山かつみ>【角川書店】

*受け入れていくことで、きっと何かが変わる

 
ひとと語録①
“(「つないで手」「ただいま」)ぎゃんちゃんもまた別のラインで生きようと願っていたんだと知り、すごく納得しました。復帰されてから届く曲がまたどれも力強い。売れ線に媚びた曲じゃないけど、その雰囲気の中に女性のいさぎよい部分がにギュッと詰まっていて、ついつい言葉を書きたくなっちゃうんです”

ひとと語録②
“(受け入れて)去年、友達3人からカミングアウトされたんです。私なら受け入れてくれるだろうと踏んで話してくれたわけで、それはすごくうれしかった”“何かと受け入れていきたいと思ってても、まだ自分の中に偏見ってあるんだなと思いました。私自身もカミングアウトしていかなきゃと”
“世間の壁を越えたところで自分の生きやすい世界をつくれるかどうかって、結局自分しだいなのかもしれない。悩んでいることとかをオープンにしていくこと、受け入れていくことで、きっと何かが変わる。そんなお願いソングです(笑)”


日経ウーマン  Music 「Key」 一青窈

2008年05月29日 22時24分07秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『日経ウーマン』(2008年4月号・月刊誌)1頁
      <取材、文・森朋之 写真・矢作常明>【日本経済新聞】

*幸せの扉を開ける〝鍵〟のようなアルバム


ひとと語録①
“いつも実家で歌詞を書いていました。昔の思い出に囲まれながら作品を生み出していたんですが、その家を建て直すことになったんです。鍵1本だけ残して、何もないその更地となった光景を見たとき〝ああ、私には帰るところがない〟って思ったんですよね。ただ、新しい扉はどこにでもあって、音楽や映画や芝居がそれを開くきっかけになることもよくあります”

ひとと語録②
“聴いてて元気になるような歌を歌いたい、って以前から思っていました。「ただいま」は、ドラマの主題歌だったので脚本を見て書いたのですが、今の子どもたちのことを思って作ったんです。うまく感情を伝えることができないから引きこもったり、ネットで憂さ晴らしをするようになるんじゃないかと思って。この曲を聴いて、今の気持をしっかり伝えようと思うきっかけになれたらうれしいです”

ひとと語録③
“いろんな人たちと一緒にやって、新しい刺激をもらうこともとても大切。ひとりでやってると狭い世界に入っていっちゃうと思うんで”


ひととpic up
パンズ・ラビリンス


キーボード・マガジン  一青窈 X 武部聡志

2008年05月21日 21時45分39秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『キーボード・マガジン』(2008年4月号・月刊誌)3頁
          <撮影・菊地英二>【リットー・ミュージック】

*一青窈 X 武部聡志


武部さんは、私以上に私のことを思って光を当ててくれる人です

ひとと語録①
“(詩の原型、歌詞になる前のもの)この前数えたら、1,000編ありましたよ”

ひとと語録②
“そう考えると、私の歌詞の中で不思議な位置に句読点を打ったりしているのも、サウンドとして表現したいからからだと思うんです。私はそのサウンド感がとても気持が良いと思って打っていて、その句読点をガイドにしているんですよね”

ひとと語録③
“私はほっとくと、散らかってくタイプなんです、音も発想も。それを私以上に私のことを思って光を当ててくれる人ですね。私が自分なりにいろいろな方法で歌ったり、詞も新しい挑戦をするけど、〝それはまだ届かない〟〝それはやりすぎ〟っていうのをまとめてくれるんです。そこにすごく信頼を寄せています”

キーボード・マガジン  一青窈 X 武部聡志

2008年05月21日 21時42分23秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『キーボード・マガジン』(2008年4月号・月刊誌)3頁
         <撮影・菊地英二>【リットー・ミュージック】

*一青窈 X 武部聡志


一青が良いパフォーマンスができる土俵を作るのが僕の役割


“僕が特に彼女に惹かれたのは、歌い癖、歌い回し、言葉。その時期に一番感じたのは、日本人の僕からしてみて、半分台湾の血が入っている彼女は、僕ら以上に日本語を大事にしていたし、知ろうとしていましたね。言葉に対しての貪欲さが、惚れた1つの要因だと思います”

“だから、あの曲(もらい泣き)はそれ以降の曲とは全然作り方が違う、ジグソーパズルみたいな曲なんだよね。それ以降はひと筆書きみたいなものだったり、普通に絵を描くような作り方だから”

“面白い話しがあって「ハナミズキ」をいろんな人がカバーしてくださっているんですけど、やっぱりみんな詞の乗せ方に〝えっ〟って思うみたいなんですよ。普通ならここで切らないよねって個所で切っていたり、メロディと詞の乗せ具合が。でも、そこが一青の個性的な部分であり魅力であると思うんです”