一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

音楽と人 一青窈 傷ついても

2008年04月27日 23時29分57秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『音楽と人』(2008年4月号・月刊誌)6頁<写真・早船ケン、
             文・樋口靖幸>【シンコーミュージック・エンタテインメント】

*一青窈 傷ついても
  
  歌、やめたら楽になったかもしれないけど
            でも、楽になるのは一瞬だけ

 
ひとと語録①
“あの……それまでの私は<死にたい>とか思ったことがなかったんですね。それこそ父が亡くなった時も母が亡くなった時も。何かから逃げることも嫌だったし”“でも<自分のことが>ネットとか雑誌とかで書かれたりして、そういう自分が手を出せないところで勝手に巻き起こっていく現象を見て……生きていても楽しくないな、と思った。だからその時は<死んだらどうなるんだろう?>ってことを考えましたね”

ひとと語録②
“それは……例えば母は父に先立たれたことで、ものすごく悲しい人生を送ることになったんじゃないかと思うんですよ。誰かを置いて先に死んでしまうことがどんなに身勝手なことか”“私の場合は生きるという選択肢があるのにそれを選ばず、死ぬという方向をもし選んだとしたら……。だから、母のように残された人が大きなものを背負っていくのをたまたま近くで見ていたから、私は<生きる>っていうカードをどうしても引かざるを得なかったんだと思います”

ひとと語録③
“うん。とはいえ、生きるってカードを選んでも辛いんですよ<辛い辛い>の連続。でも今振る返ると<つないで手>を書いている時ってどうしてあんなに辛かったんだろう?って思えるぐらいになってる自分がいる。だからそれでよかったと思います”

ひとと語録④
“今は私の歌を聴いてくれる人たちを裏切らないように頑張ろうって気持が強いし。でも昔はどこかで距離を置いてたんですよ”“<たまたま「もらい泣き」とか「ハナミズキ」があるからファンだって言ってるのかもしれないし>とか思っていた部分があって”“それは恋と一緒なんですけど<のめり込みすぎると後で自分がガッカリするかもしれないからちょっと距離を置こう>みたいな。でも私としては今はそういうファンの方との距離感はなくなってますね。対一個人と感じるようになった”

WAT's IN? 一青窈 ALBUM CLICK “Key”

2008年04月27日 23時26分11秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『WAT's IN?』(2008年2月号・月刊誌)2頁
     <インタビューと文・青木優>【ソニー・マガジンズ】

*“Key”が開いた14の新しい扉
 

ひとと語録①
“そうです。というのは今までの私の音楽ってほとんど実家で出来てたんですけど、その実家を建て直すことになって、全部壊したときに、鍵だけが残ったんです。そこで「あれだけ何回も、何万回も開け閉めしてたのに、この鍵はこの世の中に開けるドアがもう存在しないし、どこに繋がるんだろう?」と思って。でも、たしかにこれが私のたくさんの思い出を開いてきた鍵で、それを自分が1個持ってるとしたら、扉はいっぱいあるんだろうなと思ったんですね”

ひとと語録②
“そうですね……だから痛い作業でしたね。家族や友達を大事にする歌をうたう人……というイメージだと、もうちょっときれいな服を着ていられたのかもしれません。だけどこの書き方だと、もっとその前の段階とか中側でどんだけ痛いんだ?というところに入っていきます。より、かっこつけられないっていうか。だから「すみませんね、ほんとうの私はこんななんです」みたいな感じがあります(笑)”

ひとと語録③
“昔はむしゃくしゃすると、嫌な気持を全部書きなぐってたんですよ。毎日の嫌なことをワーッと、紙もシンプル・テキストでも書いて、〝いやいやフォルダ〟ってのにどんどん入れてたんですね(笑)。でも今はそのフォルダはないんです。嫌だ!悲しい!っていうのも歌に流し込んでるんで。あと、昔は「でもこういう仕事をしているんだからちゃんとしよう」って思ったりして、そのせいで実際の自分と乖離してて悩んでた部分が、なくなりましたね”

ひとと語録④
“とか、自分をいい子に見せたくてやってること自体への嫌悪感とか、それでもやってしまうとか”“それで「私はいったい誰に対して何を表現してるんだろう?」って考えたこともありました。でも今はもう素直に自分を歌ってるから、そんなにかっこつけないでしゃべれるんです”