一青窈ジャーナル

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雪山の楽しければ…回想・顔恵民

2012年12月25日 03時14分18秒 | 一青ジャーナル・顔家
★『雪山の楽しければ…回想・顔恵民』(2001年10月)
 顔恵民追悼文集発行委員会編 318頁【顔恵民追悼文集発行委員会】


*「今からでもいい、本を作ろう!」と決心させてくれたのは、二人の遺児、顔一青妙さん(タエちゃん)と窈さん(ヨウちゃん)のさりげない言葉だった。「お父さんにも、髪の毛がフサフサ生えていた頃があったんでしょうね。私たちは頭に毛があるお父さんの顔なんて、写真でも見たことがないんです」(編集委員一同)
 

ひとと´語録
“(妙)父の悔しさや様々な思い、そしてこの五冊のアルバムを作り、母に見せなさいと言った父が、癌である事を告知しなかった母を恨み、一言も言葉を交わさなくなり、旅行にいっしょに行かせなかった母の事を、本当は一番気にしていた事がわかった瞬間でもあった。いつかゆっくりと、この五冊のアルバムを持ちながら、同じ道を、今度は私が作った家族と行ってみようと決心した”


ひとと語録
“人がこの世を去るということはひどく悲しいことのようでもあるが、アルバムさえ開けば当時の匂いはたちまち蘇り、いつでも娘に戻れる。そうでなくても銀鱈の西京漬けがしっかり好物になってしまったのだから、嫌が応でも思い出さずにはいられないのである”

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