一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

読売新聞 「演じがい」ある歌詞 一青窈

2012年05月26日 22時26分31秒 | 一青ジャーナル・大震災
『読売新聞』(2012年 5月18日朝刊)<清川仁>  1頁【読売新聞社】

*歌謡曲に再び力 「演じがい」ある歌詞 一青窈


ひとと語録
“デビュー前から、病院や老人ホームでライブを行っていて、歌謡曲はみなさんに喜んでもらえるレパートリーでした。震災の被災地でも歌いました。私の父母と同じ世代の人たちは、歌詞がつらく後ろ向きであっても、思い出される時代の記憶の方が大事で、ものすごく受け入れてくれます”

“演じがい、ですね。しっかり『女』を演じられる気持ちよさがあります”

“被災地で、皆さんが一番涙してくださったのは、『時代』(中島みゆき)でした。人間が自然の猛威を乗り越える未来を考えたわけではなかったと思うけど、歌い継いでいくべき作品だと実感しています。自分も『ハナミズキ』のような曲をたくさん作って、100年後の歌手にも歌ってもらえればうれしいですね”


朝日新聞 GLOBE 映画クロスレビュー 一青窈

2012年05月10日 21時15分07秒 | 一青ジャーナル・映画
『朝日新聞』(2012年 5月 5日朝刊)       1頁【朝日新聞社】

*映画クロスレビュー『オレンジと太陽』 
                「児童移民」に寄り添った女性の実話


ひとと語録
“何より、主人公が人生を通して裏切りを受けた人たちのために働き、彼らを絶対に裏切らない!という真摯(しんし)な態度で活動してきたことが支柱にあるので、この映画の感触は気持ちが良い。たくさんの人々の悲しみを一気に背負って、それでも「あなたの苦しみはあなたの歴史で私の歴史ではない」と言える彼女の生き方は実直だ。人のために働く人は、人に助けられる”

“人は話す前から答えを知っている。けれども苦しみを、経験として通過してゆくことが大切なのだ”

毎日新聞 今週の本棚 一青妙著・私の箱子

2012年05月10日 01時19分59秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『毎日新聞』(2012年2月19日)   <小西聖子>【毎日新聞社】

*今週の本棚  一青妙著 私の箱子


       変転する家族の記憶が映す台湾

“妙と窈の父は台湾人、母は日本人。妙は幼少期は台湾で育っている。一青は母の結婚前の姓である。父は台湾の五大財閥の一つ、鉱山王の顔家の長男であり、日本留学中に父と母は知り合って結婚した”

“小学校まで台湾の広いマンションを本拠にして、夏休みなどに東京の松濤や自由が丘の家を訪れる生活だった。十一歳から日本を本拠にすることになり、世田谷の等々力に住む”

“父が五十五歳の時、末期がんに侵されていることが突然わかる。闘病生活が一年以上続き、父は人を遠ざけるようになり、一九八五年に亡くなった。そして母も八年後に四十八歳で胃がんでなくなる。両親ともに亡くなってしまったのが、まだ妙が二十二歳の大学生の時だ”

“台湾のパワフルな親戚にはなじめず、日本に住むことを決め、読書と日本の山を愛した台湾人。顔恵民の人生は、日本と台湾の昭和史そのものである。自分のアイデンティティに悩み、日本への愛着に苦しみ、大量の酒を飲み、家族をこよなく愛した複雑な人の像が見える”

“戦後、一九四七年に顔家兄弟は台湾に帰るが、恵民は四十九年に密航して日本に戻ったという。国民党が侵攻した直後の台湾が、本省人にとってどのようなものだったのかを想像させるエピソードである”

 

琉球新報 チャイナ網路・一青窈の血筋

2012年05月04日 02時28分22秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『琉球新報』(2006年6月5日)    <渡辺ゆきこ>【琉球新報】
*アジアウイークリー  【チャイナ網路】一青窈の血筋


陋園(基隆顏家宅園)とは?

教養人としても知られた顔一族は、論語にちなみ邸宅を「陋園」と命名。文化人のサロンとする一方、一族を次々と日本の一流大学に留学させて、歌人や学者を輩出した。戦後、鉱脈の枯渇で家運は大きく傾くが、今でも政財界に、その血筋を継ぐ者は少なくない。
(渡辺ゆきこ、本紙嘱託・沖縄大学助教授)