一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

ぴあ POWER OF SONG 一青窈

2008年08月29日 03時12分08秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ぴあ』(2003年11月17日号・週刊誌)1頁【ぴあ株式会社】

*歌の持つエネルギーがアジアのかけ橋


ひとと語録①
“大人になったらそうそう素直でいられることってないでしょう?たとえば恋人の前とか家族の前だったら素直になれるけども、そうじゃなければ子供みたいにわめいて泣くとか地団駄踏むとかってしないですよね。でも、歌ってるときの私って、そういう状態に近いんですよ。ステージの上ではそのときの感情をそのまますごくストレートに出していられるから、そういう場所があるってことは生きていくうえですごくバランスがとれてるんだと思います”

ひとと語録②
“あれもこれもちょっとずつ、でもそれそれの素材はおいしい、っていう、〝大人が食べるお子様ランチ〟のような作品をずっと提供していきたいんです”


ひととpic up
『陶吉吉』デビッド・タオ(輸入版) これはもう私のバイブルって言ってもいいくらいです

バッフアウト! 一青窈 ニュー・アルバム「Key」②

2008年08月29日 02時50分32秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『バッフアウト!』(2008年3月号・月刊)
         4頁<対話・山崎二郎>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈  叙情性はしっかりありつつ、
     穏やかなグルーヴ感あるサウンドが、とてもいい相性


ひとと語録①
“それは「ゲルニカ」で、ピカソの絵を初めて見た時の衝撃を受けて”“ね!絵を見た時に一気に第2次世界大戦に連れてかれたんですよ、勝手に扉を開かれたというか。びっくりして。けどそういうことは、例えば自分が歩いている時に、いきなり昔の感覚に引き戻されることとかもあるので。そういう衝動をとじこめたんです”

ひとと語録②
“やっぱり「つないで手」ができたことが、1つのフックになったとは思いますね。作曲の川江(美奈子)さんの力もあるんですけど”“けど私は(父が)死んでしまった後に、悲しみの塊みたいなモノだけを引きずって生きてきた母の背中を見てたので、やっぱり、先に死ぬということよりも、それでも強く生きていかなければならないっていうのをすごく感じてて”“だったら、自分もつまずく度に、それは別に自分がすごいとかじゃなく、単純に、死んだ後の周りの人たちのことを、すごく考えて生きるってことを選択しないといけないと思って、「つないで手」を書いたんですね”

ひとと語録③
“家がなくなってなすすべがなくて、当時の通学路をなぞってたんですけど、そういえば昔、よく自転車置場で自転車倒してたな、とか(笑)、思い出していて。あれは別に、誰のためにやってたわけじゃないけども、綺麗に直すことで、こんな風な私も、1個ずつパイを並べながら前に進んでるんだろうな、と思いながら書きました(笑)”



バッフアウト! 一青窈 ニュー・アルバム「Key」①

2008年08月29日 02時45分37秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『バッフアウト!』(2008年3月号・月刊)
         4頁<対話・山崎二郎>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈  叙情性はしっかりありつつ、
     穏やかなグルーヴ感あるサウンドが、とてもいい相性


ひとと語録①
“ずっと住んでいた実家を、姉が建て直すことになったんですよ。なので、家をつぶして鍵だけが残ったんです”“これまで、アルバムやシングルから出てきた言葉たちって、そこの実家から生まれてきたものだったので、もう帰る場所はないんだけれども、そこを開く鍵だけが残った、という形で……”“で、戻っても、ここに家族が住んでた実感もあんまりなくて”“つまり、1つの扉みたいなものが、世界中どこにでも散らばっているはずで、そこを開ける鍵が自分だとすれば、必ずその思い出の世界には行けるんだ、と”

ひとと語録②
“例えば、この2年の間に、シングルも含めて、叙情的なモノを書くと、ひょっとすると、私を本当に知ってくれない人は、私をエエカッコしぃ、と見るかもしれない、と。「綺麗ゴトばっか述べてるぜ、一青 窈」みたいな(笑)。もっと、私自身を吐露していかないとなって。まぁでも、もうちょっと、ちゃんとリアルなことを書かないと、世の中に向き合えないよって、武部(聡志:プロデューサー)さんやその他のスタッフも言ってくれて。じゃあ、痛くてもちゃんと書こうと思って”

ひとと語録③
“ニートは否定しません。やっぱり、彼らは彼らなりに積んでいる気がして……。私もデビューする前まではニートでしたからね(笑)”“バイトで繋ぐ人生、みたいな(笑)。まわりのみんなは就職をして行き。大学4年の頃はすごい焦りましたけどね”“そして1年が過ぎても、2年が過ぎても、形にならない毎日、みたいな(笑)”“でも結局は、あの時に積んでたんだな、と”


ダ・ヴィンチ 明日の言付け 一青窈②

2008年08月20日 03時04分12秒 | 一青ジャーナル・家族
■『ダ・ヴィンチ』(2008年7月号・月刊誌)1頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*こんげつのブックマーク 『明日の言付け』 一青窈
  家族や愛しい人たちの記憶を
         詞とエッセイに綴った初めての単行本


ひとと語録①
“父が亡くなって、女手ひとつで育ててくれた母なのにすごい暴言を吐いたし、なんであんなことをしたんだろうっていういちいちが、ものすごくあって。それは歌詞にも書いてこなたっか本当の私の日記にしかない部分。そこを伝えたいとは思はないけど、そこがないと〝シチュウをつくってくれた優しい母〟みたいなことも浮かび上がらないんですよね”

ひとと語録②
(一青さんはお財布の底にしまってある、大切な手紙を見せてくれた。「たまに拝むように読んでしまう」というそれはピンクの便箋に書かれた娘を想う今は亡きお母さんの言葉)人から見たらなんでもないことかもしれないけど、この手紙が入っていること自体が私の支えになってて。本のタイトルにどうしても言付けという言葉を入れたかったんです。誰かに言葉を残すのって、その人を大切に思う気持だと思うから”

ダ・ヴィンチ 明日の言付け 一青窈①

2008年08月20日 02時57分52秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ダ・ヴィンチ』(2008年7月号・月刊誌)1頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*こんげつのブックマーク 『明日の言付け』 一青窈
  家族や愛しい人たちの記憶を
         詞とエッセイに綴った初めての単行本


ひとと語録①
“伝えたいのは状況説明じゃないんだよなあって。いつもいつも伝えたいのはありがとうだったり、会いたいだったり、好きだという気持で。いつもいつも同じ気持をどうやって言葉に表したらいいんだろうっていうのが、たぶん詩みたいになっていったんでしょうね”

ひとと語録②
“言い捨て逃げってことですよね(笑)。日記でウソを書き始めるのってたぶん大人になり始めた瞬間で、誰かに読まれることを想定したりとか、どう観られたいかを意識した時点で素直さ率が減ってしまう”“だから大人になって物事が見えにくくなったり、忘れちゃった大切なことって何だろうって思う時、なんだかすごく日記にウソを書き始める前の状態に戻りたいなあって衝動があるんです”

ひとと語録③
“わたっかような気になって流したくない。人からバカだって思われてもあがくってことをしないと、歌手、一青窈という名前だけで仕事をするような気がして。その前にひとりの人間であるというところに立ち返って言葉を出したい”