一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

週刊朝日 マリコのゲストコレクション 一青窈②

2009年03月21日 23時43分30秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『週刊朝日』(2009年2月27日号・週刊誌)
            5頁<構成・宇都宮健太朗>【朝日新聞社】

*マリコのゲストコレクション 林真理子 VS 一青窈

 
ひとと語録①
“詞は小さいころから書いていたんですけど、自分の歌詞で歌うようになったのは大学に入ってからです。ゴスペラーズの方が先輩にいて、「おまえ、詞を書いているんだったら、俺が曲をつけてやるよ」といってくれ、自分の曲をクラブとかラウンジで歌うようになって。それと並行して、私、車イスの人とバンドを組んでたんで、全国津々浦々、老人ホームとか村おこしイベントみたいなのに出てたんです”

ひとと語録②
“ちょっと好きだった男の子が中3のときに半身不随になっちゃったんですよ。でも、車イスになったとたんに、オシャレだった彼がオシャレから縁遠くなり、一緒に遊びに行ける場所も限られてしまったし、つまらないと思って、車イスが入れるところでイベントをする活動を始めたんです”

テレビぴあ FEATURED MUSIC 一青窈

2008年12月29日 03時50分01秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『テレビぴあ』(2008年12月3日・隔週刊)1頁
         <取材、文・AMI 撮影・中川有紀子>【ぴあ】


*私にとって当たり前だったすべてが
         彼らにはそうじゃないことが新鮮でした

  「はじめて」 日テレ系「行列ができる法律相談所」プロジェクトイメージソングをリリース
 
ひとと語録①
“これまでも危険だったり貧しかったりという場所には旅してるんですよ。そういうところに行くとたいてい同情のような気持がよぎるんですけど、今回は最初から楽しくて、そういう気持には全くならなかったんです。現地の子供たちにとって私はめったに見ることのない外国人だから、まずはワ~ッと逃げる(笑)。で、そこから少しずつ心が解けていく、その過程がすごく楽しくて”

ひとと語録②
“ものすごく心を開いている子供たちに触れると、こちらがどんどん浄化されていくんですよ。涙が出ちゃうくらい。で、思い出したんです。私は子供の頃、自分の思いをただただ伝えたくて詞を書き、歌のおねえさんになりたいと思ってたよなあ…って。そこまで遡っちゃいました(笑)”
“つまり一青窈史上もっとも希望に満ちた曲の源は、アーティストとしての初期衝動にも似た興奮”

CDでーた 一青窈 シングル「はじめて」リリース

2008年12月06日 22時47分52秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『CDでーた』(2008年12月号・月刊誌)1頁
       <取材、文・藤井美保 撮影・山本さちこ>【角川書店】

*しっかり遊んで、しっかり生きる


病院ライブやカーボンオフセットなど、地道な活動を続けている一青。今回の売り上げの一部を、それらの活動を続けていくために立ち上げの準備をしている自身のファンドに寄付する形で生かしていくという
 
ひとと語録①
“初めてのことに喜ぶ姿を見て、次世代に何かを伝えるってこういうことなんだと思ったんです。学校はそれを体験する場であってほしい。行くことさえままならないその場所に、友達に会いたいからと次の日もまた次の日も行ってほしい。そして、卒業してほしいと強く思いました”“平易な言葉で、しっかり遊んでしっかり生きるということをどう伝えるか。そこにすごい試練を与えられた気がします”

ひとと語録②
“リリースすることが前提ではなく、行ってみないと曲ができるかどうかもわからない。だから、私と(マシコ)タツロウだけで行かせてくださいとお願いしました。とにかく、まずは「ハナミズキ」を歌いに行こうと”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ やまだ紫(後)②

2007年11月07日 23時31分17秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
   <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(52回)
 
  [ やまだ紫 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“環境に限らず福祉でも何でも、あんまり他人事にしたくないんです、いろんなことを。起こったことを誰かのせいにするのはすごく簡単で、でもそうすると自分の中に負のパワーが生まれるから”

ひとと語録②
 “よくわかります。私の大切な友人が車椅子の生活をしているので。私は無償の愛みたいなものを求めて歌っているんですけど、何かした時に「ありがとう」って言われるとやっぱり嬉しいし、常に何かと引き換えにやってるんですよね。最近そういう対価もいいんじゃないかと思ったりしています”


the ミュージックセラピー 青拓美vs一青窈①

2006年12月20日 22時52分08秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『the ミュージックセラピー』(2006年12月20日VOL.10)4頁
       <取材/文・浅野恵子、写真・小林洋>【音楽之友社】

*青拓美のmtトークセッション「今日はトコトン!」一青窈
      人の心を動かす「歌」だからこそできることがある
 

ひとと語録①
“はい。癌にかかった私の母が、歌で元気をもらったのを見たのがきっかけで。もう余命いくばくもないという時、母は森公美子さんのコンサートにでかけて、すごく元気になって帰ってきたんです。それで私、音楽がもっている力を知りたくなっていろいろな本を読んで、音楽療法の存在を知ったんです。それが中学三年の時。”

ひとと語録②
“大学でも音楽療法を学びたかったんですけど、うちの大学にそんな科はなかったので、ボランティアで聴覚障害をもつ方や下半身麻痺のある方のために歌ったりしていました。今回この対談のために音楽療法の現場を見学させていただいて、今また音楽療法について改めて勉強しているところです。”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 星野博美(前)

2006年10月13日 00時49分42秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2006年11月号・月刊誌)2頁
   <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(39回)
 [ 星野博美 X 一青窈 (前編) ]


写真家であり、作家である星野博美。旅をしてリアルな何かに触れたい。そんな二人は似た物同士なのかも。

ひとと語録①
“中国とか台湾とかいうと、私は食べるシーンがすごく思い浮かぶんですけど『華南体感』(星野の写真集)も食べることと生きること、そこに立っている人というのがすごく生々しく感じられる写真集だったし、あと私は星野さんの言葉の使い方がすごく好きなんですよね”

ひとと語録②
“子供なのに夢を見ることを知らない。そんな現実に対して、何ができるんだろう……”

ひとと語録③
“そういうこと(星野のインドでのワークショップ)をボランティアでやることと営利目的で運営すること。どちらも私は肯定も否定もしないんですけど、星野さんはそのへんどう思われます?”


ひととpic up
星野博美写真集『華南体感』/橋口譲二/APOCC

ニューズメーカー 一青窈 秘めたる情熱の在処③

2006年09月22日 00時53分23秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ニューズメーカー』(2005年12月号・月刊誌)16頁+表紙
            <phot・Takashi Hirano>【ぴあ株式会社】

*一青窈 秘めたる情熱の在処


ひとと語録①
“大学のアカペラサークルでボランティアで回って歌っていて、クラブで歌うのとは違う反応を得た時ですね。同時代だけに響けばいいというだけでなくて、誰にでも響くべきものなんだなって感じたことがプロ意識に繋がっていたというか”

ひとと語録②
“思いを込めた分だけちゃんと返ってくる。逆に言うと、甘っちょろいことをやっていたら、全然伝わらないんだなっていうのを感じました。手を抜くなんてことはまったくダメなんだって。そのボランティアイベントで歌った時に、たまたま今の事務所の社長が見ていて、それがデビューのきっかけにもなって”

MYLOHAS 一青窈x吉岡徳仁②

2006年09月09日 12時32分18秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『MYLOHAS』(2006年9月増刊号・月刊誌)6頁
      <撮影・甲斐裕司、構成/文・深沢慶太>【インフォバーン】
*一青窈x吉岡徳仁 
   CREATEVE RESONANCE 響き合う感性が照らし出す世界


ひとと語録
“よりたくさんの人に聴いてもらえたほうが嬉しいかなあ…。でも、決してゴリ押しはしたくない。以前、ろうあ者の方を前にして歌ったときがあって、どうやって歌を伝えればいいのかを考えたんですけれども、見えない感情が伝わったときに、手を叩いてくれたり、体を動かしてくれた。その体験から、人に伝えるということは〝念〟に近いことなんだ、ということがわかってきたんです”

週刊朝日 ASIAN WOMEN from super stars project

2006年04月25日 22時15分30秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『週刊朝日』(2006年5月5日/12日合併増大号・週刊誌)1頁
                               【朝日新聞社】
 *グラビア ASIAN WOMEN from super stars project
  レスリー・キーが撮ったアジアン・ミューズ  一青窈 歌手(日本)
  [ 「アジアは一つ」という心で運命の出会いを糧に撮り続ける ]


 アジアの歌手・女優・スポーツ選手などを撮り続けているファッション・フォトグラファーのレスリー・キー。04年に起きたスマトラ沖地震津波被害の救援を含め、アジアの人たちが一つの心で何か一緒にできたらとの思いから、アジアのスターの写真集をつくる「Super Stars」プロジェクトを始動。すでに230人以上のスターが無償で参加、250人を目標に撮影をすすめる。

グラビアには、他に、松任谷由美、工藤夕貴、後藤久美子、欧陽菲菲、大黒摩季、内田有紀、酒井法子、コン・リー、桃井かおり、セシリア・チャン、杉本彩、渡辺美里、吉川ひなの を掲載。

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 玉井真理子(前)

2006年02月10日 21時40分58秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2006年3月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(31回)
 [ 玉井真理子 X 一青窈 (前編) ]


 遺伝医療の現場で心理カウンセラーとして活動している玉井信大助教授と、障害児の治療など生命倫理について対談している。

ひとと語録①
“「もうこの子は生きる資格がないので治療を止めます」。(ベビィ・ドゥ事件の)裁判の事例を読んで、思わず泣いてしまったんです。生きる生きないを言葉で分断してしまうような怖さを感じました” 

ひとと語録②
“私には中3の時に半身不随になってしまった親友がいるんですね。その子が音楽が聴ける環境にあるといいなあと、大学に入る前くらいからいろんな施設で歌うようになったのが音楽をやるきっかけでした。もともとはそういう音楽療法のようなことをやりたいと思ってきたんです。”

ひとと語録③
 “私の場合は私が歌で、演奏する人が全員車椅子っていうバンドだったんです。その時の経験が歌うことの原点になってたりします。”


ひととpic up
田村正徳・玉井真理子著『新生児医療現場の生命倫理』

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 坂茂(後)

2005年11月10日 23時01分08秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2005年12月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(28回)
 [ 坂茂 X 一青窈 (後編) ]
 

 一青窈の出身校・慶応大SFC教授で建築家。社会に貢献している建築家が少ないと、阪神大震災・ルワンダ・スリランカなどの被災地でボランティアに奔走している。政府に代わってマジョリティのために何かするのではなく、そこからもれたマイノリティのために動きたいという(阪神大震災ではベトナム難民の住宅つくり、スリランカ津波でイスラム漁民の住宅建て直し、などを実践)

ひとと語録
“(音楽ホールを)是非!つくってほしいです。”


ひととpic up
ポンピドーセンター新館/パオロ・ソレリ/ワンガリ・マータイ


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 坂茂(前)

2005年10月10日 01時00分22秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2005年11月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(27回)
 [ 坂茂 X 一青窈 (前編) ]

 一青窈の出身校・慶応大SFC教授で建築家。紙管を使った建築はよく知られている。被災地でのボランティアにも積極的に参加、阪神大震災で神戸に建てた紙の「仮設教会」は、その美しさから「残してほしい」と地元で声があがった。

ひとと語録①
“建築もそうだと思うんですけど、歌詞もある程度の隙間をつくって見る人が想像できるってすごく重要だなって。私も初期の頃は言葉をすごく詰め込んでいたんです”

ひとと語録②
“ルールにとらわれずに自分の考えに邁進していく姿って、私も大学の時に培ったものかなあって思っているんです”


ひととpic up
ジョン・ヘイダック『建築の詩学』/小椋佳『白い一日』/アーコサンティ