一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

SWITCH 大切な人に宛てた手紙 一青窈→侯孝賢

2005年11月14日 22時19分29秒 | 一青ジャーナル・映画
■『SWITCH』(2005年12月号・月刊誌)1頁
      <写真・有高唯之、依田純子>【スイッチ・バブリッシング】

*特集 大切な人に宛てた手紙 一青窈 → 侯孝賢

 手書きの文字で書かれた手紙は、書いた人のすべてを残してしまう
          <北京語で書かれた手書きの手紙をそのまま掲載>

ひとと語録
“所以現在我才能真正的了解、那片電影意思”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 坂茂(後)

2005年11月10日 23時01分08秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2005年12月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(28回)
 [ 坂茂 X 一青窈 (後編) ]
 

 一青窈の出身校・慶応大SFC教授で建築家。社会に貢献している建築家が少ないと、阪神大震災・ルワンダ・スリランカなどの被災地でボランティアに奔走している。政府に代わってマジョリティのために何かするのではなく、そこからもれたマイノリティのために動きたいという(阪神大震災ではベトナム難民の住宅つくり、スリランカ津波でイスラム漁民の住宅建て直し、などを実践)

ひとと語録
“(音楽ホールを)是非!つくってほしいです。”


ひととpic up
ポンピドーセンター新館/パオロ・ソレリ/ワンガリ・マータイ


ダ・ヴィンチ Studio Interview 一青窈

2005年11月10日 02時37分28秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ダ・ヴィンチ』(2005年12月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*表紙写真
*Studio Interview 一青窈
  「好きな写真をコピーしては『自分ブック』をつくってましたね」


 表紙の写真で持っているのは、『かざぐるま』のビジュアルイメージという須田一政の写真集『風姿花伝』。湾岸戦争の写真展では、その場でぶっ倒れ、気づくと医務室のようなところで寝かされていた。

ひとと語録①
“あんまりお金もなかったし、写真集とかバンバン買えないじゃないですか。だから図書館でいいなと思った写真をコピーしてファイリングしてました。”“ファイリングは私にとって処世術みたいなものじゃないですかね。迷いやすいので。いつもちょっと揺れるんです。…でも、そういう時にファイルした『自分ブック』とかこういう写真集眺めて、いや、いいんだ、間違ってない、これで、大丈夫なんだと確認できるという” 

ひとと語録②
“自分で自分の鋳型をハメたくなくて、抜け出したい、でも戻りたい。その葛藤と戦うことですよね、結局創り続けるってことは”


ひととpic up
杉本博司写真展『時間の終わり』/荒木経惟/森山大道/須田一政写真集『風姿花伝』/寺山修司/劇団『天井桟敷』/アンリ・カルティエ=ブレッソン/ルイス・バラカン邸