一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

ムジカ  一青窈 ニューアルバム「Key」

2008年05月20日 02時14分21秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ムジカ』(2008年3月号・月刊誌)4頁
    <テキスト・宇野維正、撮影・黒瀬康之>【FACT】


ひとと語録①
“たとえば地雷原に行っても、戦争で家のない人がたくさんいるような国に行っても、自分の中に残る感覚っていうのは、あんまり変わらないんですよね”“でも、何度行っても同じ感覚を覚えるとしても、私は自分の足で行くのをやめたくないし、それをやめたら多分詩が書けなくなると思うんです。エコの問題とかもそうなんですけど…ゴミの山を何回見ても、やっぱりその度にびっくりするし、大きなことを感じるから”

ひとと語録②
“このところ唯一変わったことと言えば、明るい方向、現実を突きつけながらも、ちゃんと歩く道を見せてくれる作品のほうが好きになりました。あんまり見なかったハリウッド映画もいいなと思うようになったりとか(笑)”“目の前にふたつの扉があるなら、どうせなら明るいほうを開こうっていう、そういう気持なんです”


ムジカ 一青窈 ニューアルバム「Key」

2008年05月20日 02時12分35秒 | 一青ジャーナル・家族
■『ムジカ』(2008年3月号・月刊誌)4頁
     <テキスト・宇野維正、撮影・黒瀬康之>【FACT】


ひとと語録①
“最近私の姉が実家を建て替えたんですが、このアルバムはその建て替えの途中でずっと作っていたんですよ。3枚のアルバムまで、ほとんど実家の中から生まれてきた作品で。それが、なくなるっていうことが私にとって非情に恐怖なことだったんです”“ついに更地になった時に1本だけ鍵が残ったんですね。開けることのできるドアがこの世界のどこにも存在しない鍵を手にしながら、すっかり宙ぶらりんになったんです”“私の実家は消えたし、両親も亡くなっているし…ここから私はどうする?っていうことを考えながら作った作品なんです”


ムジカ  一青窈 ニューアルバム「Key」

2008年05月20日 02時08分55秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ムジカ』(2008年3月号・月刊誌)4頁
     <テキスト・宇野維正、撮影・黒瀬康之>【FACT】


ひとと語録①
“Jポップみたいなところで「あっ!ここに隙間見つけた!」って感じで。そこから時代は流れても…一青窈ってなんだろうってことを考えながら、あれこれ模索してきて(笑)。でもやっぱり振り返るとちゃんと評価されてきた楽曲っていうのは、メッセージソングだったり、ちゃんと自分自身と向き合って作った曲だったりとかで”

ひとと語録②
“そういう意味で、〝受け入れて〟とか〝つないで手〟とかは、私の中では〝大家〟とか〝ハナミズキ〟みたいな、素に近い部分から生まれた曲に近いですね”


ムジカ  一青窈 ニューアルバム「Key」

2008年05月20日 02時05分10秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ムジカ』(2008年3月号・月刊誌)4頁
      <テキスト・宇野維正、撮影・黒瀬康之>【FACT】


ひとと語録①
“もともと自分は、音楽も大好きでしたけど、どちらかというと言葉とかデザインとかの方に関心が強い人間だったので、そうじゃないほうを補って行かないとどんどん音楽と言葉の差が開いてしまうっていう危機感があって…”

ひとと語録②
“ポップであるということは、求められていることをやることだと自分は思うんです。でも、このままずっと定番みたいなことをやるのもどうなんだろうって葛藤もあって。まだ自分の知らない世界を見てみたかったんです”


音楽と人 一青窈 傷ついても

2008年04月27日 23時29分57秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『音楽と人』(2008年4月号・月刊誌)6頁<写真・早船ケン、
             文・樋口靖幸>【シンコーミュージック・エンタテインメント】

*一青窈 傷ついても
  
  歌、やめたら楽になったかもしれないけど
            でも、楽になるのは一瞬だけ

 
ひとと語録①
“あの……それまでの私は<死にたい>とか思ったことがなかったんですね。それこそ父が亡くなった時も母が亡くなった時も。何かから逃げることも嫌だったし”“でも<自分のことが>ネットとか雑誌とかで書かれたりして、そういう自分が手を出せないところで勝手に巻き起こっていく現象を見て……生きていても楽しくないな、と思った。だからその時は<死んだらどうなるんだろう?>ってことを考えましたね”

ひとと語録②
“それは……例えば母は父に先立たれたことで、ものすごく悲しい人生を送ることになったんじゃないかと思うんですよ。誰かを置いて先に死んでしまうことがどんなに身勝手なことか”“私の場合は生きるという選択肢があるのにそれを選ばず、死ぬという方向をもし選んだとしたら……。だから、母のように残された人が大きなものを背負っていくのをたまたま近くで見ていたから、私は<生きる>っていうカードをどうしても引かざるを得なかったんだと思います”

ひとと語録③
“うん。とはいえ、生きるってカードを選んでも辛いんですよ<辛い辛い>の連続。でも今振る返ると<つないで手>を書いている時ってどうしてあんなに辛かったんだろう?って思えるぐらいになってる自分がいる。だからそれでよかったと思います”

ひとと語録④
“今は私の歌を聴いてくれる人たちを裏切らないように頑張ろうって気持が強いし。でも昔はどこかで距離を置いてたんですよ”“<たまたま「もらい泣き」とか「ハナミズキ」があるからファンだって言ってるのかもしれないし>とか思っていた部分があって”“それは恋と一緒なんですけど<のめり込みすぎると後で自分がガッカリするかもしれないからちょっと距離を置こう>みたいな。でも私としては今はそういうファンの方との距離感はなくなってますね。対一個人と感じるようになった”

WAT's IN? 一青窈 ALBUM CLICK “Key”

2008年04月27日 23時26分11秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『WAT's IN?』(2008年2月号・月刊誌)2頁
     <インタビューと文・青木優>【ソニー・マガジンズ】

*“Key”が開いた14の新しい扉
 

ひとと語録①
“そうです。というのは今までの私の音楽ってほとんど実家で出来てたんですけど、その実家を建て直すことになって、全部壊したときに、鍵だけが残ったんです。そこで「あれだけ何回も、何万回も開け閉めしてたのに、この鍵はこの世の中に開けるドアがもう存在しないし、どこに繋がるんだろう?」と思って。でも、たしかにこれが私のたくさんの思い出を開いてきた鍵で、それを自分が1個持ってるとしたら、扉はいっぱいあるんだろうなと思ったんですね”

ひとと語録②
“そうですね……だから痛い作業でしたね。家族や友達を大事にする歌をうたう人……というイメージだと、もうちょっときれいな服を着ていられたのかもしれません。だけどこの書き方だと、もっとその前の段階とか中側でどんだけ痛いんだ?というところに入っていきます。より、かっこつけられないっていうか。だから「すみませんね、ほんとうの私はこんななんです」みたいな感じがあります(笑)”

ひとと語録③
“昔はむしゃくしゃすると、嫌な気持を全部書きなぐってたんですよ。毎日の嫌なことをワーッと、紙もシンプル・テキストでも書いて、〝いやいやフォルダ〟ってのにどんどん入れてたんですね(笑)。でも今はそのフォルダはないんです。嫌だ!悲しい!っていうのも歌に流し込んでるんで。あと、昔は「でもこういう仕事をしているんだからちゃんとしよう」って思ったりして、そのせいで実際の自分と乖離してて悩んでた部分が、なくなりましたね”

ひとと語録④
“とか、自分をいい子に見せたくてやってること自体への嫌悪感とか、それでもやってしまうとか”“それで「私はいったい誰に対して何を表現してるんだろう?」って考えたこともありました。でも今はもう素直に自分を歌ってるから、そんなにかっこつけないでしゃべれるんです”

CDでーた 一青窈 アルバム「Key」リリース

2008年03月11日 01時27分15秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『CDでーた』(2008年3月号・月刊誌)2頁
           <取材、文・藤井美保>【角川書店】
 

ひとと語録①
“魔法のように家が消えてしまい、何万回も開け閉めしていた扉もなくなった。最初は途方に暮れて、鍵を見つめては、どこかにまた扉が現れるのだろうかと思ったりしてたんです。でも、ある時ふと、思い出がよみがえってくる瞬間があった。それはにおいだったり景色だったり。それが鍵になって、記憶の扉が開いたんですね。その時、鍵さえあれば大丈夫だ。(映画の)『パンズラビリンス』のように壁にチョークで扉を描けば、この世にたくさんある扉を開くことができると思った。そんなふうに、この作品の音や言葉や雰囲気が、何かの扉を開く鍵になったらいいなと。だから『Key』とつけたんです”

ひとと語録②
“つくり終えて、扉を開けるための家を、私は自分でつくろうとしてたんだなと思いました。でも、扉はそこにセットされただけ。すぐに廃屋に戻ってしまうかもしれないので、早くツアーでたくさんの人に聴いてもらいたいんです。扉の向こうにある世界を、現実と感じる力に変えてもらえたら。マジシャンはあなた、みたいなライブになるんじゃないかな”

WAT's IN? 一青窈 お願いソング第3弾 受け入れて

2008年03月11日 01時25分16秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『WAT's IN?』(2008年2月号・月刊誌)1頁
   <インタビューと文・青木優>【ソニー・マガジンズ】


ひとと語録①
“はい。たぶん、川江さんが病気を克服したってことが(要因に)あると思うんです。彼女は生死に係わる大病を患って、それを克服してから書いたのが「つないで手」、「ただいま」と、川江さんのシングル「ピアノ」、そしてこの「受け入れて」なんです。私はその病気のことを知らないで受け取って、ただ書いたら「つないで手」と「受け入れて」が出てきたんですよ”

ひとと語録②
“ツラいですけど、カミング・アウトした人のほうが、明るく生きてる気がします。ただ、この曲は自分の状況に置き換えて書いたところもあるんですよ。それは誰にもいえない秘密かもしれないし、あるいはハンディキャップ、障害を持っている人も「なんでこんなに受け入れてもらえない社会なんだろう」と思っているかもしれない。何にでも当てはまると思ったんですね、〝受け入れてほしい〟という気持が”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 大竹伸朗(前)

2008年03月11日 01時21分14秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ダ・ヴィンチ』(2008年3月号・月刊誌)2頁
    <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(最終回)

 [ 大竹伸朗 X 一青窈 (前編) ]


ひとと語録
“海外でも何か持って帰ってきたりします?私も結構頑張って持って帰ったりする方なんですけど”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 佐藤弓生(後)

2008年01月09日 23時20分43秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『ダ・ヴィンチ』(2008年2月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(54回)

 [ 佐藤弓生 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“不思議なものをなんでなんだろうって学術的にひもといていくのは好きなんですけど、わからない何かに触れる時は私、すごい怖がりになります”

ひとと語録②
“そっか。きっと私の場合は「これは大丈夫って思えば大丈夫」みたいな勝手なSF感覚があるのかなあ”

ひとと語録③
“ああ。私もいっぱい自分だけのおまじないみたいなものを持ってて、それこそ横断歩道の白いところしか歩かないみたいな、子供じみたくっだらないことだったりもするんですけど、そういうのはまだ自分の詩に落とし込んでないかも。誰かに伝えたらその効力がなくなってしまいそうで、言葉にしてしまうことすら怖いんですよね”

ひとと語録④
“好きですね。建築って詩とわりと近いような感じがするんです。建物を観てると、物語あるいはその人物が見えてきて。それって映画を観て監督を想像するよりはるかに、建物を見て建築家を想像するほうが容易で”

ひとと語録⑤
“上海バンスキングの時代、私もすごい好きです。異人娼館とかキャバレーとかそういう世界に興味があって”


ひととpic up
パントマイム集団「水と油」/フィリップ・ジャンティ


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 佐藤弓生(前)

2007年12月06日 23時18分17秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2008年1月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(53回)

 [ 佐藤弓生 X 一青窈 (前編) ]


ひとと語録①
(佐藤:一青さんも聖歌隊をやってらしたんですよね?)大学のサークルで。クリスマスの時期は池袋のサンシャインの下の広場とかで営業という名のもとに歌ってましたね。箱を置いておいてお金を投げ入れてもらったりして”

ひとと語録②
“私は詩しか書いたことがないので、佐藤さんが詩、短歌、散文といろんな形式を行き来しているのがすごく自由に思えて。その幅の広さがいいなあ、どうしてそんなことができるんだろうっていうのがあるんです”

ひとと語録③
“私は自分が経験したことでないと絵空事になるようで、どちらかというと骨身を削って書くタイプで”

NHK知るを楽しむ・久世光彦 一青窈

2007年12月03日 02時58分17秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『NHK知るを楽しむ私のこだわり人物伝』
              (2007年12月)3頁【日本放送協会】

*久世光彦の「女」に惚れる 
       特別インタビュー 一青窈


ひとと語録①
“いまのポップスはリアリティが求められますけど、歌謡曲はファンタジーなところがあって、キラキラした夢みたいなものを見せてくれた。歌謡曲の世界観は、私の憧れです”

ひとと語録②
“このころ映画のロケで行った夕張にスナックがあって、そこのママが自分にプライドを持って生きるたくましい女性だったんです。その姿が向田さんに重なって見えた。それで、スナックの名前をちょうだいして、タイトルを「夢なかば」にしました”“私のイメージする向田さんは、好きなものにまっすぐつき進んでいく人。でも、水溜りをピョンと跳ねるような、おてんばな感じもある”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ やまだ紫(後)②

2007年11月07日 23時31分17秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
   <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(52回)
 
  [ やまだ紫 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“環境に限らず福祉でも何でも、あんまり他人事にしたくないんです、いろんなことを。起こったことを誰かのせいにするのはすごく簡単で、でもそうすると自分の中に負のパワーが生まれるから”

ひとと語録②
 “よくわかります。私の大切な友人が車椅子の生活をしているので。私は無償の愛みたいなものを求めて歌っているんですけど、何かした時に「ありがとう」って言われるとやっぱり嬉しいし、常に何かと引き換えにやってるんですよね。最近そういう対価もいいんじゃないかと思ったりしています”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ やまだ紫(後)①

2007年11月07日 23時28分40秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(52回)
 
   [ やまだ紫 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“私は谷川俊太郎さんが好きで。もちろん詩も好きなんですけども、講演を見に行った時に受け答えのユーモラスさにすごく感動したんです。どんな皮肉な質問をされても、まっすぐにユーモラスに返せるところが素晴らしい、私もそんなところに行きたいなって”

ひとと語録②
 “私、バイオリンを習っていたんですね、小さい頃。それで誕生日の時に母がバイオリンを買ってくれた思い出があって。楽器って高いじゃないですか。うちも父を亡くして母子家庭だったので、子供ながらに家計を心配してまして。母は「子供は余計な心配しなくていいよ」って笑いながら手を握ってくれたんですけど”“母が亡くなった後、私はバイオリンを見るたびに思い出してしまうので、ずっと封印していたんですけど、久しぶりに開けたら傷んでいたので修理に出して”“その思い出をやっとこの間『ささやき並木』という詩に書いて。こんな年になるまでずっと封印したままだった思い出でしたから、たぶん勇気が出たんでしょうね”

ひとと語録③
“私は何がしたくて歌ったり書いたりするのかなあって思った時に、やっぱり誰かとつながりたいんだなって思ったんです。たとえばホームレスの人って社会と分断されるわけじゃないですか。そこで頑張って生きるのってたぶん難しくって。人って、ひとりになると希望が見えなくなるから。ああ、つながってたいんだ、私もって。だから『つないで手』、なのかな”

ダ・ヴィンチ 井上雄彦「リアル」 × 一青窈

2007年11月06日 23時05分01秒 | 一青ジャーナル・マンガ
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
          <photo・小野啓>【メディアファクトリー】

*大特集 井上雄彦「リアル」 
     「リアル」 × 一青窈 その深遠に送る言葉


“一青窈の歌には、悲しみや苦しみを抱えた人たちが、再び歩き出すときに力を与えてくれるひたむきさがある”