一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

ぴあ 一青窈、新たなスタート

2008年12月29日 04時15分08秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ぴあ』(2008年12月4日号・週刊誌)2頁<text・小田島久恵、photo・三浦孝明>【ぴあ】

*「スタンスは変わらない」 一青窈、新たなスタート

 
ひとと語録①
“武道館では、今までのライブの集大成をやりたいなって思ったんです”“〝一青窈のコンサートはこんな感じですよ〟っていうプレゼンテーションをしたかった。本番は緊張の連続でしたよ!100人のコーラスに参加してもらったんですが、ゲネプロなしで、当日初めてやる動きを頼んだり。あまり呼ばない親戚や遠い友人も、今回初めて招待したんです”

ひとと語録②
“自分の歌を歌うというのは、自分で選んだ言葉を歌う作業なので、舞台で脚本家の方が書いた台詞を読むということ自体、私にとってすごい未知の体験なんですよね。〝私ならこういう言葉は言わないかも〟という枠を外していくことから始めたいと思っています”

ひとと語録③
“私の歌詞はよく〝これは何の意味?〟って聞かれるんですけど、実はミーニングレスなことも多いんです”


別冊カドカワ ap bank fes'08 ②

2008年10月31日 01時41分38秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『別冊カドカワ』(2008年NO.280)
1頁<取材、文・田中隆信/撮影・三吉ツカサ>【角川グループ】

*7.19 Great Artist 一青窈 Interview
  今日の3曲は今のわたしがよく表われていると思います


ひとと語録
“歌う曲については結構悩みました。今日歌った「受け入れて」と「つないで手」よりも「もらい泣き」や「ハナミズキ」のほうが知ってる人が多いと思うんですけど、それどもやっぱり自分は前に進んでるんだよっていう意味も込めて、「もらい泣き」「ハナミズキ」は入れませんでした”“「どんでん返し」は〝元気ありますよ!〟っていう部分を出そうかと思って選んだ曲です(笑)”

バッフアウト! 一青窈 ニュー・アルバム「Key」②

2008年08月29日 02時50分32秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『バッフアウト!』(2008年3月号・月刊)
         4頁<対話・山崎二郎>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈  叙情性はしっかりありつつ、
     穏やかなグルーヴ感あるサウンドが、とてもいい相性


ひとと語録①
“それは「ゲルニカ」で、ピカソの絵を初めて見た時の衝撃を受けて”“ね!絵を見た時に一気に第2次世界大戦に連れてかれたんですよ、勝手に扉を開かれたというか。びっくりして。けどそういうことは、例えば自分が歩いている時に、いきなり昔の感覚に引き戻されることとかもあるので。そういう衝動をとじこめたんです”

ひとと語録②
“やっぱり「つないで手」ができたことが、1つのフックになったとは思いますね。作曲の川江(美奈子)さんの力もあるんですけど”“けど私は(父が)死んでしまった後に、悲しみの塊みたいなモノだけを引きずって生きてきた母の背中を見てたので、やっぱり、先に死ぬということよりも、それでも強く生きていかなければならないっていうのをすごく感じてて”“だったら、自分もつまずく度に、それは別に自分がすごいとかじゃなく、単純に、死んだ後の周りの人たちのことを、すごく考えて生きるってことを選択しないといけないと思って、「つないで手」を書いたんですね”

ひとと語録③
“家がなくなってなすすべがなくて、当時の通学路をなぞってたんですけど、そういえば昔、よく自転車置場で自転車倒してたな、とか(笑)、思い出していて。あれは別に、誰のためにやってたわけじゃないけども、綺麗に直すことで、こんな風な私も、1個ずつパイを並べながら前に進んでるんだろうな、と思いながら書きました(笑)”



ブリッジ 一青窈 新作「key」その転機を語る②

2008年06月11日 23時54分46秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ブリッジ』(2008年5月号cut増刊号)10頁
   <インタビュー・井上貴子 写真・高橋剛>【ロッキング・オン】

*「みんなの一青窈」としての自分を受け入れた新作「key」、
            その転機を語る

 
ひとと語録①
“その場で作ってましたね、せーので音出しながら。インタルードなんかは武部(聡志)さんが即興的に作ったのを、その場で書いた歌入れするっていう形で、あんまりそういうの得意ではなかったんですけど、肉体的に反射して出してっくいうのがおもしろくて。なんか、もうちょっと音の一部になれた感はありますね。今まではすごく、詩人っていう立場として立ってた部分が多かったので”

ひとと語録②
“どうして〝ハナミズキ〟ばっかりが受け入れられやすいのかって言うと、やっぱりすごくわかりやすい文章が並べてあるっていう”“最終的にはでも、やっぱり子供が聴いてもわかるといいなっていうものを作りたいんで。精度を高めていくと、逆にわかりやすくなってくっていうのはおもしろい作業ですね”

ひとと語録③
“まあ、家の立て替えのための解体っていうのもありまして、今まで散々詞を書き続けてきた、ネタの宝庫みたいな家がなくなるっていうときに、手の中に残ったのがたった1本の鍵だったっていうのが、実体験としてこの2年にあって。で、それでも前に進むためには、見えない扉を開けなくてはいけないっていう、現実世界とリンクしてるんですけどね”

ひとと語録④
“ああ、帰っていく場所は、形としてあるというよりかは、自分がいる場所が家であるという、まあちょっと横暴ですけども、それこそどこにいたって街が劇場になるように、自分が必要としてる人といるっていうことが、なによりも大切なことで、その誰かと繋がってくことをやめた時点で、欝に入ってったり自殺してったりするわけで。もがいてももがいても誰かと繋がることを諦めないでいれば、特に家という形でなくったって、そこが帰るべき場所になるんじゃないかなとは思っています”

日経ウーマン  Music 「Key」 一青窈

2008年05月29日 22時24分07秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『日経ウーマン』(2008年4月号・月刊誌)1頁
      <取材、文・森朋之 写真・矢作常明>【日本経済新聞】

*幸せの扉を開ける〝鍵〟のようなアルバム


ひとと語録①
“いつも実家で歌詞を書いていました。昔の思い出に囲まれながら作品を生み出していたんですが、その家を建て直すことになったんです。鍵1本だけ残して、何もないその更地となった光景を見たとき〝ああ、私には帰るところがない〟って思ったんですよね。ただ、新しい扉はどこにでもあって、音楽や映画や芝居がそれを開くきっかけになることもよくあります”

ひとと語録②
“聴いてて元気になるような歌を歌いたい、って以前から思っていました。「ただいま」は、ドラマの主題歌だったので脚本を見て書いたのですが、今の子どもたちのことを思って作ったんです。うまく感情を伝えることができないから引きこもったり、ネットで憂さ晴らしをするようになるんじゃないかと思って。この曲を聴いて、今の気持をしっかり伝えようと思うきっかけになれたらうれしいです”

ひとと語録③
“いろんな人たちと一緒にやって、新しい刺激をもらうこともとても大切。ひとりでやってると狭い世界に入っていっちゃうと思うんで”


ひととpic up
パンズ・ラビリンス


キーボード・マガジン  一青窈 X 武部聡志

2008年05月21日 21時45分39秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『キーボード・マガジン』(2008年4月号・月刊誌)3頁
          <撮影・菊地英二>【リットー・ミュージック】

*一青窈 X 武部聡志


武部さんは、私以上に私のことを思って光を当ててくれる人です

ひとと語録①
“(詩の原型、歌詞になる前のもの)この前数えたら、1,000編ありましたよ”

ひとと語録②
“そう考えると、私の歌詞の中で不思議な位置に句読点を打ったりしているのも、サウンドとして表現したいからからだと思うんです。私はそのサウンド感がとても気持が良いと思って打っていて、その句読点をガイドにしているんですよね”

ひとと語録③
“私はほっとくと、散らかってくタイプなんです、音も発想も。それを私以上に私のことを思って光を当ててくれる人ですね。私が自分なりにいろいろな方法で歌ったり、詞も新しい挑戦をするけど、〝それはまだ届かない〟〝それはやりすぎ〟っていうのをまとめてくれるんです。そこにすごく信頼を寄せています”

ムジカ  一青窈 ニューアルバム「Key」

2008年05月20日 02時08分55秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ムジカ』(2008年3月号・月刊誌)4頁
     <テキスト・宇野維正、撮影・黒瀬康之>【FACT】


ひとと語録①
“Jポップみたいなところで「あっ!ここに隙間見つけた!」って感じで。そこから時代は流れても…一青窈ってなんだろうってことを考えながら、あれこれ模索してきて(笑)。でもやっぱり振り返るとちゃんと評価されてきた楽曲っていうのは、メッセージソングだったり、ちゃんと自分自身と向き合って作った曲だったりとかで”

ひとと語録②
“そういう意味で、〝受け入れて〟とか〝つないで手〟とかは、私の中では〝大家〟とか〝ハナミズキ〟みたいな、素に近い部分から生まれた曲に近いですね”


CDでーた 一青窈 アルバム「Key」リリース

2008年03月11日 01時27分15秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『CDでーた』(2008年3月号・月刊誌)2頁
           <取材、文・藤井美保>【角川書店】
 

ひとと語録①
“魔法のように家が消えてしまい、何万回も開け閉めしていた扉もなくなった。最初は途方に暮れて、鍵を見つめては、どこかにまた扉が現れるのだろうかと思ったりしてたんです。でも、ある時ふと、思い出がよみがえってくる瞬間があった。それはにおいだったり景色だったり。それが鍵になって、記憶の扉が開いたんですね。その時、鍵さえあれば大丈夫だ。(映画の)『パンズラビリンス』のように壁にチョークで扉を描けば、この世にたくさんある扉を開くことができると思った。そんなふうに、この作品の音や言葉や雰囲気が、何かの扉を開く鍵になったらいいなと。だから『Key』とつけたんです”

ひとと語録②
“つくり終えて、扉を開けるための家を、私は自分でつくろうとしてたんだなと思いました。でも、扉はそこにセットされただけ。すぐに廃屋に戻ってしまうかもしれないので、早くツアーでたくさんの人に聴いてもらいたいんです。扉の向こうにある世界を、現実と感じる力に変えてもらえたら。マジシャンはあなた、みたいなライブになるんじゃないかな”

WAT's IN? 一青窈 お願いソング第3弾 受け入れて

2008年03月11日 01時25分16秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『WAT's IN?』(2008年2月号・月刊誌)1頁
   <インタビューと文・青木優>【ソニー・マガジンズ】


ひとと語録①
“はい。たぶん、川江さんが病気を克服したってことが(要因に)あると思うんです。彼女は生死に係わる大病を患って、それを克服してから書いたのが「つないで手」、「ただいま」と、川江さんのシングル「ピアノ」、そしてこの「受け入れて」なんです。私はその病気のことを知らないで受け取って、ただ書いたら「つないで手」と「受け入れて」が出てきたんですよ”

ひとと語録②
“ツラいですけど、カミング・アウトした人のほうが、明るく生きてる気がします。ただ、この曲は自分の状況に置き換えて書いたところもあるんですよ。それは誰にもいえない秘密かもしれないし、あるいはハンディキャップ、障害を持っている人も「なんでこんなに受け入れてもらえない社会なんだろう」と思っているかもしれない。何にでも当てはまると思ったんですね、〝受け入れてほしい〟という気持が”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 佐藤弓生(前)

2007年12月06日 23時18分17秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2008年1月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(53回)

 [ 佐藤弓生 X 一青窈 (前編) ]


ひとと語録①
(佐藤:一青さんも聖歌隊をやってらしたんですよね?)大学のサークルで。クリスマスの時期は池袋のサンシャインの下の広場とかで営業という名のもとに歌ってましたね。箱を置いておいてお金を投げ入れてもらったりして”

ひとと語録②
“私は詩しか書いたことがないので、佐藤さんが詩、短歌、散文といろんな形式を行き来しているのがすごく自由に思えて。その幅の広さがいいなあ、どうしてそんなことができるんだろうっていうのがあるんです”

ひとと語録③
“私は自分が経験したことでないと絵空事になるようで、どちらかというと骨身を削って書くタイプで”

NHK知るを楽しむ・久世光彦 一青窈

2007年12月03日 02時58分17秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『NHK知るを楽しむ私のこだわり人物伝』
              (2007年12月)3頁【日本放送協会】

*久世光彦の「女」に惚れる 
       特別インタビュー 一青窈


ひとと語録①
“いまのポップスはリアリティが求められますけど、歌謡曲はファンタジーなところがあって、キラキラした夢みたいなものを見せてくれた。歌謡曲の世界観は、私の憧れです”

ひとと語録②
“このころ映画のロケで行った夕張にスナックがあって、そこのママが自分にプライドを持って生きるたくましい女性だったんです。その姿が向田さんに重なって見えた。それで、スナックの名前をちょうだいして、タイトルを「夢なかば」にしました”“私のイメージする向田さんは、好きなものにまっすぐつき進んでいく人。でも、水溜りをピョンと跳ねるような、おてんばな感じもある”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ やまだ紫(後)①

2007年11月07日 23時28分40秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(52回)
 
   [ やまだ紫 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“私は谷川俊太郎さんが好きで。もちろん詩も好きなんですけども、講演を見に行った時に受け答えのユーモラスさにすごく感動したんです。どんな皮肉な質問をされても、まっすぐにユーモラスに返せるところが素晴らしい、私もそんなところに行きたいなって”

ひとと語録②
 “私、バイオリンを習っていたんですね、小さい頃。それで誕生日の時に母がバイオリンを買ってくれた思い出があって。楽器って高いじゃないですか。うちも父を亡くして母子家庭だったので、子供ながらに家計を心配してまして。母は「子供は余計な心配しなくていいよ」って笑いながら手を握ってくれたんですけど”“母が亡くなった後、私はバイオリンを見るたびに思い出してしまうので、ずっと封印していたんですけど、久しぶりに開けたら傷んでいたので修理に出して”“その思い出をやっとこの間『ささやき並木』という詩に書いて。こんな年になるまでずっと封印したままだった思い出でしたから、たぶん勇気が出たんでしょうね”

ひとと語録③
“私は何がしたくて歌ったり書いたりするのかなあって思った時に、やっぱり誰かとつながりたいんだなって思ったんです。たとえばホームレスの人って社会と分断されるわけじゃないですか。そこで頑張って生きるのってたぶん難しくって。人って、ひとりになると希望が見えなくなるから。ああ、つながってたいんだ、私もって。だから『つないで手』、なのかな”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 劇団ひとり(後)

2007年05月07日 23時26分16秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2007年6月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(46回)
 [ 劇団ひとり X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録
“古典でいうと私は歌舞伎かな。日本語の擬態語が好きなんですけど、すごく上手に使っているんです、歌舞伎って。落語はまだ行ったことないです”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 劇団ひとり(前)

2007年04月09日 22時11分28秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2007年5月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(45回)
 [ 劇団ひとり X 一青窈 (前編) ]


ひとと語録①
“私は電車の中でわりと詩が書けるんで。昔は新玉川線でよく中央林間と半蔵門を行ったり来たりしてましたね。あとは大井町線の大井町と二子玉川とか、山手線をぐるぐる回ったり”

ひとと語録②
“(スランプの時は?)泣きながらやる。あとは旅行に行きます。それこそ『地球の歩き方』も持たずに海外行って、偶然出会うことに期待する。『もらい泣き』も『ハナミズキ』もそうで、何かしら起こるんですよ。起こりません?”


ひととpic up
植田正治

パピルス 対談・一青窈×Salyu①

2007年01月30日 02時35分34秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『パピルス』(2007年2月号・月刊誌)4頁
       <取材、文・石井絵里/写真・市原織江>【幻冬舎】

*対談・一青窈×Salyu 人と繋がりたいから歌い続ける
   「希望や未来を、素直な気持ちで伝えていきたい」
 

ひとと語録①
“つまり人生における大切な感情って、本当に普通の生活の中に紛れてると思うのよ。私はその〝普通の感情のかけら〟みたいなものを「あ、転がってた」みたいに拾えて、詞に吸い上げて周りに提示することができるだけなんだと思う”

ひとと語録②
“「てんとう虫」はカンボジアを旅したことがきっかけで生まれた曲なんだけど、そこで出会った人たちは辛いことや困難なことに立ち向かっているはずなのに、とても素直な笑顔で。その笑顔を見ていたら、私の悩みごとなんか急にちっぽけに思えて。自分がんばれソングでもあるんです”