一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

しんぶん赤旗・日曜版 ひと インタビュー ムッシュかまやつさん

2009年03月21日 23時51分05秒 | 一青ジャーナル・スタイル
◆『しんぶん赤旗・日曜版』(2009年3月22日号・週刊紙)
    1頁<取材・神田晴雄、撮影・野間あきら>【日本共産党中央委員会】

*ひと インタビュー ムッシュかまやつさん
 
 

“彼女、叙情派でしょう。それがバンバンバンなんて。すごくボーイッシュな方でした”

週刊朝日 マリコのゲストコレクション 一青窈④

2009年03月21日 23時48分18秒 | 一青ジャーナル・家族
■『週刊朝日』(2009年2月27日号・週刊誌)
            5頁<構成・宇都宮健太朗>【朝日新聞社】

*マリコのゲストコレクション 林真理子 VS 一青窈


ひとと語録①
“木造の、傾いているただの古い家ですよ。なつかしさはいっぱいだけど、そんなにすごい家だとは思ってなかったんです”

ひとと語録②
“姉は歯科医で、けっこう早く結婚してちゃったので、家族が住める広さの家に、ずっと私が一人で住んでたんです。恋人ができて一緒に住んでも、そんなに長いあいだはいなかったし、一人が多かったですね”

週刊朝日 マリコのゲストコレクション 一青窈③

2009年03月21日 23時46分03秒 | 一青ジャーナル・顔家
■『週刊朝日』(2009年2月27日号・週刊誌)
            5頁<構成・宇都宮健太朗>【朝日新聞社】

*マリコのゲストコレクション 林真理子 VS 一青窈


ひとと語録①
“いえいえ。父の姓は「顔(イエン)」といって、昔、「五大家族」というのがあって、その財閥の一つだというんですけど、遠い昔の話ですから”

ひとと語録②
“それが謎なんです。母と父の出会いは、誰に聞いてもわからない。最近、父がよく通ってた場所に行って聞いたりしたんですけど、みんな知らないって言います。ある日突然、母を連れて台湾に戻って「結婚します」って。もともと密航で日本に来たんですけど、なんで母と知り合ったのか、わからないんです”

ひとと語録③
“でも、父方と母方のきょうだいも守ってくれるし、もうそのころは日本にいて、高校まで一貫教育の森村学園に幼稚園から通ってたので、友達がみんな家族みたいに守ってくれて、不安とかは特になく生きてきましたね”

週刊朝日 マリコのゲストコレクション 一青窈②

2009年03月21日 23時43分30秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『週刊朝日』(2009年2月27日号・週刊誌)
            5頁<構成・宇都宮健太朗>【朝日新聞社】

*マリコのゲストコレクション 林真理子 VS 一青窈

 
ひとと語録①
“詞は小さいころから書いていたんですけど、自分の歌詞で歌うようになったのは大学に入ってからです。ゴスペラーズの方が先輩にいて、「おまえ、詞を書いているんだったら、俺が曲をつけてやるよ」といってくれ、自分の曲をクラブとかラウンジで歌うようになって。それと並行して、私、車イスの人とバンドを組んでたんで、全国津々浦々、老人ホームとか村おこしイベントみたいなのに出てたんです”

ひとと語録②
“ちょっと好きだった男の子が中3のときに半身不随になっちゃったんですよ。でも、車イスになったとたんに、オシャレだった彼がオシャレから縁遠くなり、一緒に遊びに行ける場所も限られてしまったし、つまらないと思って、車イスが入れるところでイベントをする活動を始めたんです”

週刊朝日 マリコのゲストコレクション 一青窈①

2009年03月21日 23時37分56秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『週刊朝日』(2009年2月27日号・週刊誌)
            5頁<構成・宇都宮健太朗>【朝日新聞社】

*マリコのゲストコレクション 林真理子 VS 一青窈

 
ひとと語録①
“すみません。何か特別なことがある日って、いつも雨ですね。雨が降らなければ雪、雪じゃなければカミナリ。(笑)”

ひとと語録②
“私はオタクなのかもしれませんね(笑)。下調べにわりと時間をかけるので、用意してきた専門的な質問に対して、専門的なお答えが多かったのかもしれないですね”

ひとと語録③
“それまでの自分は嫌いじゃなかったし、ぼんやりとぬるま湯で生きてきた感じでしたが、入学式とかで慶応ガールを見て、このまんまでいいのかしらみたいに思って、自分を表現しないとその他大勢の中に埋もれるような気がして。とにかく必死でした”

ひとと語録④
“最初は、あえて難しい言葉とか、変な歌詞を入れて、模索している感じでした。でも、「ハナミズキ」もそうなんですけれど、このごろは自分の正直な気持をわかりやすい言葉で書かないと人に伝わらないし、自己満足に終わるなって、すごく変わってきました”

ひとと語録⑤
“私、デビューは26歳です”“私が大学のころって、いわゆる高音ハイパー系の、TK(小室哲也)時代だったんです。私はそのときわかりにくい詞をわりと低めの声で歌っていたので、オーディションに行っても全部はずされたし、レコード会社にも「いらない」と言われて、4年間ぐらいくずぶってました”“はい。デモテープ持って回っていたときに、うまいことを言ってホテルに誘ってくるような人もいましたし”“当時はそういう人、いっぱいいました。でも、この人とそんなことになったって消えると思ったから、「さよなら」って感じでした”