一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

キネマ旬報 特集・珈琲時光

2004年08月21日 22時47分19秒 | 一青ジャーナル・映画
■『キネマ旬報』(2004年9月上旬号・月2回)7頁【キネマ旬報社】
*特集・珈琲時光 
  対談・侯孝賢 岩松了「わかりずらい世界を描くという表現方法」
            <取材、構成・轟夕起夫/撮影・谷岡康則>
  作品評 小津のモチーフを発展させた2003年の「東京物語」
            <文・おかむら良>

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 朝比奈弘治(前)

2004年08月10日 22時14分35秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2004年9月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(13回)
 [ 朝比奈弘治 X 一青窈 (前編) ]
 

 日常の状況を99通りもの形式で書き分けたレモン・クノー著『文体練習』、一青窈が惚れ込み、詞作に大きな影響を与えている。その翻訳者・朝比奈に勇気を出して対談を希望。
 
ひとと語録①
“元の文章の言葉を辞書で引いて、その何番目かの言葉に置き換えていくっていうようなことも、時々似たようなことやってって……。辞書開いてたまたま目についた言葉を組み合わせて、偶然だけどきっと必然なんだろうなって思ったり”

ひとと語録②
“もし私の歌が海外でリリースされることになったら、やっぱり私が詞に込めた意味を踏まえたうえで訳して欲しいわけです。『江戸ポルカ』のなかの「極楽まくらおとし」という言葉ひとつとっても、深沢七郎さんをイメージしたり、修学旅行で枕投げしている姿がいとおしいっていう、私の妄想までつかんでもらいたい(笑)”


ひととpic up
レーモン・クノー著『文体練習』/バッハ『フーガの技法』/深沢七郎


映画芸術 珈琲時光 「誰か」と「何か」が生きる至福の時空

2004年08月03日 03時00分45秒 | 一青ジャーナル・映画
■『映画芸術』(2004年夏号・季刊誌)2頁
           <文・大口和久>【編集プロダクション映芸】

*FILM CRITIQUES 珈琲時光 監督:侯孝賢 
          「誰か」と「何か」が生きる至福の時空
 

〝まるでメイキングのカメラで撮られた本番の映像だけで編集されたものが『珈琲時光』という本編となり、現場にいる一青窈そのものがまんま映画の中の陽子となっているような不思議かつ複雑な捉え方がなされているのだ。……映画自体はそんな一青窈をもっと外から撮って「陽子」としているようで、だからそれは一青窈とも陽子とも断定できない「誰か」になってしまう。ここに小津映画との接点が生まれている。なぜならば小津映画の笠智衆も原節子も、本人と登場人物とも違う「誰か」として撮られているからだ〝

<<と本文で分析しているが、ちょっと難解である。>>