一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

the ミュージックセラピー 青拓美vs一青窈②

2006年12月23日 12時51分27秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『the ミュージックセラピー』(2006年12月20日VOL.10)4頁
         <取材/文・浅野恵子、写真・小林洋>【音楽之友社】

*青拓美のmtトークセッション「今日はトコトン!」一青窈
       人の心を動かす「歌」だからこそできることがある
 

ひとと語録①
“(「ハナミズキ」は)反戦歌というと大げさですけど、そんな気持ちで作りました。でも結婚式で歌われたり、幅広い歌になりましたけど。”

ひとと語録②
“私自身、歌を聴いていただくことで自分をリセットしたり、何かをいただいたりしてる感じなんです。歌ったあと「ありがとう」と言われると、「こちらこそ!」みたいな気持ち(笑)。これからもっと音楽療法的なこともしていきたいなと思っています”


the ミュージックセラピー 青拓美vs一青窈①

2006年12月20日 22時52分08秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『the ミュージックセラピー』(2006年12月20日VOL.10)4頁
       <取材/文・浅野恵子、写真・小林洋>【音楽之友社】

*青拓美のmtトークセッション「今日はトコトン!」一青窈
      人の心を動かす「歌」だからこそできることがある
 

ひとと語録①
“はい。癌にかかった私の母が、歌で元気をもらったのを見たのがきっかけで。もう余命いくばくもないという時、母は森公美子さんのコンサートにでかけて、すごく元気になって帰ってきたんです。それで私、音楽がもっている力を知りたくなっていろいろな本を読んで、音楽療法の存在を知ったんです。それが中学三年の時。”

ひとと語録②
“大学でも音楽療法を学びたかったんですけど、うちの大学にそんな科はなかったので、ボランティアで聴覚障害をもつ方や下半身麻痺のある方のために歌ったりしていました。今回この対談のために音楽療法の現場を見学させていただいて、今また音楽療法について改めて勉強しているところです。”


テレビ・ステーション 一青窈 BESTYO

2006年12月09日 22時53分52秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『テレビ・ステーション』(2006年11/25-12/8隔週刊誌)1頁
     <text・小田島久恵、phot・菊池英二>【ダイヤモンド社】
*一青窈 BESTYO 
    どこをとってもベスト窈。充実のキャリア総括アルバム
 

ひとと語録①
“1つのフレームを決めて、その中で『ディス・イズ・一青窈』を見せていこうというのは望んでやってきたことなんですよ。でも、その様式美から離れたいと考えている自分もいて。最後に収録されている『てんとう虫』だけが新曲なんですが、これをラストに入れることで、次のランディングにつなげていきたいと思ったんです”

ひとと語録②
“今年ツアーが終わった直後に、友達がいるということもあってカンボジアを訪れたんです。そういったところで、見たり感じたりした様々な現実がまた、私に新しい歌詞を書かせてくれると思ってます”

バッフアウト! 一青窈 セカンド・プレイス②

2006年12月07日 22時26分28秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『バッフアウト!』(2006年12月号・月刊誌)2頁<テキスト・堂前茜、
        撮影・須藤秀之>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈 セカンド・プレイス 創作のための自分だけの居場所 
             世田谷区<CAFE6丁目>
 
「セカンド・プレイス」は、自分の大事にしているものを再確認する場所かな。
「ファースト・プレイス」は再認識するための場所


ひとと語録①
“うん。だから、そのもうちょっと大枠のところでちゃんと表現してきたいなって。それこそ、世界が何のためにあるのかとか、「何で生きてるんだろう?」とかって、小学生くらいの時によく考えたりするじゃないですか?だからそれを改めて(歌詞に)書くっていうのは私の中でそれまでストレートすぎる表現だったんですね。で、それを何かに喩えたり、仮想現実と今の現実とを混ぜていろんな見方で書いてきたけど、そうじゃなくて、もっとストレートに書いちゃおう、みたいに思ってます”

ひとと語録②
“今までは何か自分で先に形を作ることで、「これが一青窈です」、「これも一青窈でした」っていうのが多かったかもしれないんですけど、ここ最近、ほんとに何を伝えたいのかをストレートに表現していきたいなって。ま、歳をとってそうなったってことですかね(笑)”



ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ しりあがり寿(前)

2006年12月07日 00時58分30秒 | 一青ジャーナル・家族
■『ダ・ヴィンチ』(2007年1月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(41回)
 [ しりあがり寿 X 一青窈 (後編) ]


     何もない それが 何もかもあることの証明である
 
ひとと語録①
“死に対する恐怖、あんまりないんですよね、私”

ひとと語録②
“秘訣……。秘訣というより境遇だと思うんですけど、両親とも亡くなってるというのがあって。子供の頃はそれこそ死んだら会えるかもしれないという願いと共にあるから、あんまり死を恐れない。むしろ死にたい、死ねるものなら死んで、あの世で会いたいという気持ちのほうが強かったんです。明日死んでもいいやみたいな気持ちは今でもありますね。毎日悔いなく生きてればそれでもいいやって”

ひとと語録③
“私にとって死って〝いきなり日常で消える〟ってことだったんです。周りの人たちの取り計らいだったと思うんですけど、私はまだ子供だったので両親ががんだったことを知らされていなかったんですよね。目の前にいた人がいきなりいなくなるという体験があまりに普通に日常の中でやってきたので”


ひととpic up
ドラえもん/巨人の星/宮崎吐夢・河井克夫『ペリーのお願い』/しりあがり寿『オーイ・メメント・モリ』/藤原新也『メメント・モリ』

バッフアウト! 一青窈 セカンド・プレイス①

2006年12月06日 22時56分50秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『バッフアウト!』(2006年12月号・月刊誌)2頁<テキスト・堂前茜、
        撮影・須藤秀之>【ティー・シー・アール・シー/幻冬舎】

*一青窈 セカンド・プレイス 創作のための自分だけの居場所 
             世田谷区<CAFE6丁目>
 
「セカンド・プレイス」は、自分の大事にしているものを再確認する場所かな。
「ファースト・プレイス」は再認識するための場所


ひとと語録①
“うーん……まず風景と音が違いますよね。歌詞を書くのってほとんどは自分の部屋なんですね。で、もちろん竿竹屋さんの車も通ったりするし、5時になったら鐘が鳴ったり外からいろんな音が聴こえてきたり、窓から見える庭の風景も変化していくんですけど、ちょっと違う視点から何か考えたい時には、外へ出て、ここに来るんですよね”

ひとと語録②
“大元にちゃんと留まっている自分とか、考え方がないと、根無し草というか、「あんたは何をやりたいの?」ってなるから。やっぱり帰るべき場所とか、自分が何を大切に思っているかが大事ですよね。私にとってそれは実家なんですけど”

WHAT’S IN? 一青窈 これまで……そして、その先に見つめるもの

2006年12月05日 22時20分50秒 | 一青ジャーナル・社会
■『WHAT’S IN?』(2006年12月号・月刊誌)2頁
                    <文・青木優>【ソニーマガジンズ】

*一青窈 これまで……そして、その先に見つめるもの


   一青は最初の段階で、人と人との絆を歌うアーティストという
                   イメージを強固なものにした


 “ただ一青の場合、そこでの着眼点がユニークだった。自分のために泣いてくれた友を思う「もらい泣き」はその最たるもので、この歌ではかけがえのない友情だけではなく、両者の孤独感も〟ふたりぼっち”という表現で歌われる。だからこそ、そこには人と人との確かな繋がりが横たわっているのだ。”“幼い頃に父親を、10代の頃には母親を失い、姉とともにずっと寄り添って生きてきた彼女は、家族への気持ちが人一倍強い。つまり、一青は最初の段階で、人と人との絆を歌うアーティストというイメージを強固なものにしたのである。”
 “大切な人の幸せを願う真摯な思い。血で結ばれた繋がりが生む無償の愛。一青の歌に懐かしさを覚えるのは、人々がどこかで置き去りにしてきた感情が色濃く刻まれているからだろう”“彼女もずいぶんと変化してきた。周囲の人たちとの絆から自身の内側へと向かった次は、世界、あるいは人間全体にまで意識を持とうとしているのだ。この流れは確実にアーティスト・一青窈のスケールを押し広げているはずである。”


ひとと語録
『BESTYO』全楽曲レビュー 過去に行われた彼女のインタビュー・コメントとあわせて、収録楽曲を解説

<一青の「語録」をコンパクトながらひじょうにうまくまとめている。必見!!>