一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ やまだ紫(後)②

2007年11月07日 23時31分17秒 | 一青ジャーナル・ボランティア
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
   <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(52回)
 
  [ やまだ紫 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“環境に限らず福祉でも何でも、あんまり他人事にしたくないんです、いろんなことを。起こったことを誰かのせいにするのはすごく簡単で、でもそうすると自分の中に負のパワーが生まれるから”

ひとと語録②
 “よくわかります。私の大切な友人が車椅子の生活をしているので。私は無償の愛みたいなものを求めて歌っているんですけど、何かした時に「ありがとう」って言われるとやっぱり嬉しいし、常に何かと引き換えにやってるんですよね。最近そういう対価もいいんじゃないかと思ったりしています”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ やまだ紫(後)①

2007年11月07日 23時28分40秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(52回)
 
   [ やまだ紫 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“私は谷川俊太郎さんが好きで。もちろん詩も好きなんですけども、講演を見に行った時に受け答えのユーモラスさにすごく感動したんです。どんな皮肉な質問をされても、まっすぐにユーモラスに返せるところが素晴らしい、私もそんなところに行きたいなって”

ひとと語録②
 “私、バイオリンを習っていたんですね、小さい頃。それで誕生日の時に母がバイオリンを買ってくれた思い出があって。楽器って高いじゃないですか。うちも父を亡くして母子家庭だったので、子供ながらに家計を心配してまして。母は「子供は余計な心配しなくていいよ」って笑いながら手を握ってくれたんですけど”“母が亡くなった後、私はバイオリンを見るたびに思い出してしまうので、ずっと封印していたんですけど、久しぶりに開けたら傷んでいたので修理に出して”“その思い出をやっとこの間『ささやき並木』という詩に書いて。こんな年になるまでずっと封印したままだった思い出でしたから、たぶん勇気が出たんでしょうね”

ひとと語録③
“私は何がしたくて歌ったり書いたりするのかなあって思った時に、やっぱり誰かとつながりたいんだなって思ったんです。たとえばホームレスの人って社会と分断されるわけじゃないですか。そこで頑張って生きるのってたぶん難しくって。人って、ひとりになると希望が見えなくなるから。ああ、つながってたいんだ、私もって。だから『つないで手』、なのかな”

ダ・ヴィンチ 井上雄彦「リアル」 × 一青窈

2007年11月06日 23時05分01秒 | 一青ジャーナル・マンガ
■『ダ・ヴィンチ』(2007年12月号・月刊誌)2頁
          <photo・小野啓>【メディアファクトリー】

*大特集 井上雄彦「リアル」 
     「リアル」 × 一青窈 その深遠に送る言葉


“一青窈の歌には、悲しみや苦しみを抱えた人たちが、再び歩き出すときに力を与えてくれるひたむきさがある”