一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

西日本新聞 06年の平和メッセージメモ盗難 一青窈さん再び寄稿

2011年12月26日 02時07分12秒 | 一青ジャーナル・戦争
◆西日本新聞・朝刊(2011年12月20日)1頁【西日本新聞社】

*06年の平和メッセージメモ盗難 一青窈さん再び寄稿


2006年、宇佐市に残る太平洋戦争の遺跡で、歌手の一青窈(ひととよう)さんが書き込んだページを誰かが破り取った来場者用感想ノートに、一青さんがあらためてメッセージを寄せたことが19日、分かった
 
ひとと語録
“子供たちの平和が いつまでも いつまでも 100年続きますように”


ハナミズキ 主題歌 一青窈

2010年08月21日 22時43分01秒 | 一青ジャーナル・戦争
★映画パンフレット『ハナミズキ』(2010年8月21日)1頁【東宝】

*ハナミズキ 主題歌 一青窈

 
ひとと語録①
“もともと911のテロの事件をテレビで見て 居ても立ってもいられず 書き殴った数枚の散文がベースになっています。憎しみや哀しみの連鎖ではなく 花を贈り合う気持ちのように 人を思いやる気持ちで 世の中がつながっていけば 戦争はなくなるのかもしれないという 願いを込めて書きました”


ひとと語録②
“ミサイルではなく、互いを思う気持ちが それぞれの地で根付き花開いてゆくことが とても素晴らしいと思いタイトルをつけました”


ひとと語録③
“どんなときにも自分の心の中に穏やかな気持ちをもっていられるように 歌や映画がその心の中の芽を育てていければいいなと思っています”

WHAT's IN? NEW DISC SPECIAL 一青窈

2008年12月06日 01時59分56秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『WHAT's IN?』(2008年12月号・月刊誌)1頁
          <インタビューと文・青木優>【ソニー・マガジンズ】

*NEW DISC SPECIAL 一青窈 
  私ももう1回〝はじめて〟のことができて良かったなっていうことなんです
 

ひとと語録①
“カンボジアの子たちは歌ったことがないし、手拍子もしたことがなかったんですよ。生活の中で音楽を聴くことも歌うことも習慣としてないから、そんな子たちにうたえる歌ってなんだろう?”“最終的に「<あー!>とかでいいから、口を大きく開けて一緒に歌ってるだけでハッピーなんだよ」というところにいき着いたんですよね(笑)”

ひとと語録②
“ちょっと子育て体験みたいな感じなんでしょうかね?初めてのことを目の当たりにしている人を側で見てて、こんなに楽しいものだと知らなかったので、「ああ、きっと子どもを育てたら、こんなことがいちいち楽しいんだろうなあ」って(笑)。私が万華鏡を作ったりシャボン玉を吹いたりすると「お姉さん、魔法使い!?」と言ってくれたり(笑)”

ひとと語録③
“既成概念がどんどん壊れてくから面白かった。自分が当たり前だと思う何かが当たり前じゃないことって、発見がいっぱいありますからね。私は「何かやれるかな」と思って行ったけど、私のほうが楽しませてもらったなっていう。ずーっと大声で笑ってましたからね(笑)”


ダ・ヴィンチ 「はじめて」 一青窈

2008年11月17日 00時45分52秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ダ・ヴィンチ』(2008年12月号・月刊誌)1頁
             <取材、文・宮昌太朗>【メディアファクトリー】

*ミュージック ダ・ヴィンチ 「はじめて」 一青窈
 
  カンボジアの子供たちとの触れ合いから生まれた
          力強く優しいメッセージソング


ひとと語録①
“これまで世界各地に出掛けましたけど、一番〝なにもなかった〟ですね。地雷が埋まっているせいで、道路もあまり整備されていない。花も育たないようなところなので、太陽が降り注いでる地面に、雑草が生えているだけっていう。でも、そこで暮らしている人たちは、みんなすごくタフなんです”

ひとと語録②
“なんにもなくても、可哀想なんてちっとも思わなかったし、むしろ〝希望〟を感じました”“ありのままで生きる彼らを見ていたら、きっとそんなものがなくても、人と向き合うことだけで十分楽しいんだって。そういうところに立ち返れたんですよね”

ひとと語録③
“うまく歌えるように、子供たちにもわかる言葉を選んでいたら、歌詞がどんどん削ぎ落とされていくんですよ”

ひとと語録④
“私は、旅行慣れしているほうなんですけど、カンボジアは想像を遥かに超えていて。世の中には、見たことのない生活がいっぱいあって、ネットとかでなんとなく知った気になりがちなんですけど(笑)。やっぱりそんなに甘くないんだなって思わされましたね”


ムジカ  一青窈 ニューアルバム「Key」

2008年05月20日 02時14分21秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ムジカ』(2008年3月号・月刊誌)4頁
    <テキスト・宇野維正、撮影・黒瀬康之>【FACT】


ひとと語録①
“たとえば地雷原に行っても、戦争で家のない人がたくさんいるような国に行っても、自分の中に残る感覚っていうのは、あんまり変わらないんですよね”“でも、何度行っても同じ感覚を覚えるとしても、私は自分の足で行くのをやめたくないし、それをやめたら多分詩が書けなくなると思うんです。エコの問題とかもそうなんですけど…ゴミの山を何回見ても、やっぱりその度にびっくりするし、大きなことを感じるから”

ひとと語録②
“このところ唯一変わったことと言えば、明るい方向、現実を突きつけながらも、ちゃんと歩く道を見せてくれる作品のほうが好きになりました。あんまり見なかったハリウッド映画もいいなと思うようになったりとか(笑)”“目の前にふたつの扉があるなら、どうせなら明るいほうを開こうっていう、そういう気持なんです”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 平敷兼七(後)

2007年09月07日 21時09分14秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ダ・ヴィンチ』(2007年10月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(50回)
 [ 平敷兼七 X 一青窈 (後編) ]


ひとと語録①
“今回沖縄に行って、私、まぐろとカツオ釣って自分で裁いたんです。なんかそれもやっぱりすごい「ありがとう」って気持になって。切り身で出たのを知らないで食べ続けると、自分でものすごい苦労して裁いて、ああ、この切り身一枚に凄い力使ったと思い出された時では実感が全然違うなと思って”

ひとと語録②
“沖縄に住んでいる友人は私と同世代なんですけど、戦争に対する意識も高いし、今日はそういう話をうかがうつもりでいました。でもそういう現実よりももっと忘れちゃいけない、人間として普遍的なものが沖縄にあるんだと”


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 平敷兼七(前)

2007年08月06日 22時09分30秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ダ・ヴィンチ』(2007年9月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(49回)

 [ 平敷兼七 X 一青窈 (前編) ]


ひとと語録①
“実は先日もダイビングに行ってきました。私は沖縄のことはそんなによく知らなかったんですけど、沖縄の友達は戦争に対する意識も高くって、基地を囲んで手をつなぐ「人間の鎖」とか座り込みとか、実際に街の人たちがどういう活動をしてるのか見においでよって言われて、2年くらい前に見に行ったりもしたんです”

ひとと語録②
“私が平敷さんの写真を見て、いいなあと思ったのは、女性を撮り続けているっていうのと、あと、撮られてた人たちがみんな笑ってるっていうんで嬉しい気持になって。当時の沖縄を撮った写真や映画はいろいろありますけど、事実を提示しているだけだったりとか。それで悲しい気持にばっかりさせられてもどうなんだろうと”

ひとと語録③
“平敷さんの写真はそこに「生きる」という力を提示されたというか、あの頃「職業婦人」とされた女性たちも確かにプライドを持って力強く生きてたんだってことを見せてくれた。すごい頼もしい写真だなと思って”

ひとと語録④
“人間って思い出を上書きするものじゃないですか。どんなに悲しい思い出も、痛い思い出も”

the ミュージックセラピー 青拓美vs一青窈②

2006年12月23日 12時51分27秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『the ミュージックセラピー』(2006年12月20日VOL.10)4頁
         <取材/文・浅野恵子、写真・小林洋>【音楽之友社】

*青拓美のmtトークセッション「今日はトコトン!」一青窈
       人の心を動かす「歌」だからこそできることがある
 

ひとと語録①
“(「ハナミズキ」は)反戦歌というと大げさですけど、そんな気持ちで作りました。でも結婚式で歌われたり、幅広い歌になりましたけど。”

ひとと語録②
“私自身、歌を聴いていただくことで自分をリセットしたり、何かをいただいたりしてる感じなんです。歌ったあと「ありがとう」と言われると、「こちらこそ!」みたいな気持ち(笑)。これからもっと音楽療法的なこともしていきたいなと思っています”


テレビ・ステーション 一青窈 BESTYO

2006年12月09日 22時53分52秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『テレビ・ステーション』(2006年11/25-12/8隔週刊誌)1頁
     <text・小田島久恵、phot・菊池英二>【ダイヤモンド社】
*一青窈 BESTYO 
    どこをとってもベスト窈。充実のキャリア総括アルバム
 

ひとと語録①
“1つのフレームを決めて、その中で『ディス・イズ・一青窈』を見せていこうというのは望んでやってきたことなんですよ。でも、その様式美から離れたいと考えている自分もいて。最後に収録されている『てんとう虫』だけが新曲なんですが、これをラストに入れることで、次のランディングにつなげていきたいと思ったんです”

ひとと語録②
“今年ツアーが終わった直後に、友達がいるということもあってカンボジアを訪れたんです。そういったところで、見たり感じたりした様々な現実がまた、私に新しい歌詞を書かせてくれると思ってます”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 桜井進(後)①

2006年07月06日 22時07分35秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『ダ・ヴィンチ』(2006年8月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(36回)
 [ 桜井進 X 一青窈 (後編) ]


 桜井先生直伝の数の魔法を、一青さんは歌にそっと潜ませてみる。対談の後編は言葉と数字の不思議な関係。

ひとと語録①
“ツアーが終わった次の日にカンボジアに行ってきたんですよ。キリング・フィールドと地雷原を見てきました”“ものすごい目的意識を持って行ったというより人の縁で、たまたま地雷除去の活動をしている友達がいるので行こうかなと。ゴミの山からメタンガスが出ているのとかも見てきました”
“私もカンボジアに行ったからといって、今すぐ何かしようというんではないんですけど、ただ今、自分に何ができるだろうと思ったときにもっと世界を知るべきだと。先生にエネルギー問題についていろいろ聞いたことで、ap-bankに参加することにつながったりもしてるんです”

SWITCH Song map with COLT 「ハナミズキ」一青窈

2006年06月24日 22時13分42秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『SWITCH』(2004年4月号・月刊誌)2頁<写真・佐内正史>
                     【スイッチ・バブリッシング】

*Song map COLT No.15「ハナミズキ」一青窈 
  MITSUBISHI MOTORS HEART BEAT Love Driving,Love Music.


彼女に訊ねる。「あなたにとって、ハナミズキ、とは?」
「咲かせたい、やさしいきもち。永遠に続いてほしい平和」

ひとと語録①
“あの事件があってすぐに散文詩を書きました。事件後もNYの友達から日記メールが毎日のようにわたしたち仲間に届き、自分たちが何もできないということに愕然としました。恐怖、ずいぶん近くで感じることが皮肉にもできて、戦争が他人事ではなくなったということです”

ひとと語録②
“(ハナミズキのある思い出の風景)ホントは寄り道してはいけないんだけど、学校の帰りにみんなで溜まっていました。タマタカ(玉川高島屋)でソニプラをちょろちょろしたり……。”“大抵、そこで集合して河川敷に行って花火をするのがビックイベントだったかな。そこに集まることが安心に繋がってたし。くだらない日常が連鎖してくことで幸せが振り返ればあった”

SWITCH 一青窈 花街に咲いた一夜の夢

2005年09月15日 23時17分24秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『SWITCH』(2005年10月号・月刊誌)1+6頁
       <文・菅原豪/写真・増田慶>【スイッチ・バブリッシング】
*Fashion Issue_NO MUSIC,NO STYLE HITOTO YO
*一青窈 花街に咲いた一夜の夢
          「一青窈★夢街バンスキング~はいらんせ~」

  [ 「ホチKiss」~「続・ハナミズキ」として
    〝カチューシャ〟に込められた反戦的な裏テーマとは? ]
 

ひとと語録①
“(はいらんせのメドレーについて)いろんな歌い手の方の曲の中でも、一番売れた曲ではおもしろくない。隠れた名曲を引っ張ってこようと思って、とにかく昔なつかしい廃盤シリーズとか、いっぱいかき集めたんです。”“武部さんの世代……四十代、五十代の方たちの心をつかみたい、という。今回、初めて親戚一同を会場に呼んだんですよ。その四十、五十の世代の方たちに『ああ、お前がこういう曲を知っていてくれておじさんは嬉しい』なんていわれたいなと思って(笑)”

ひとと語録②
“これはもう"伝統芸能シリーズ"じゃないけれど(笑)、今後も縁日のお祭り的なものにしていきたいんですよ。そして、破産する覚悟でやりたいことをやる(笑)”

ひとと語録③
“(「ホチKiss」について)まず、歌詞にこの〝カチューシャ〟っていう言葉を使いたかったんですよ。知ってました?カチューシャって、ロシアの女の子の名前でもあるんですけれど、兵器の名前にもなっているんです。”“1942年にブランテルという人が作曲した『カチューシャ』って曲があるんですけど……その兵器によって死んじゃった女の子がいて、その子へのレクイエムなんですよね。それで私も『続・ハナミズキ』じゃないけれど、そういう曲を書きたいと思ったんですよね。カチューシャって可愛らしい言葉が、実は兵器の名前だっていうのはたぶん誰も知らないだろうから、私のスパイスとしてこの可愛い曲に入れたかったんですよね。楽しいことの裏には悲しい現実もあるんだよ、みたいな、わかりにくい裏テーマなんです”


ひととpic up
鈴木清順/木村威夫/マン・レイ/キキ/ブランテル作曲『カチューシャ』


僕らの音楽 一青窈 インタビュアー・鳥越俊太郎

2004年05月08日 23時17分09秒 | 一青ジャーナル・戦争
◆『僕らの音楽』  一青窈 インタビュアー・鳥越俊太郎
(2004年5月8日OA)30分<プロデューサー・きくち伸>【フジテレビ】
 
 インタビュー・ロケ地:神奈川県藤沢市「慶応義塾大学 湘南藤沢キャンパス」(2004/4/28)。SET LIST「もらい泣き」「ハナミズキ」「ジェラシー」。

ひとと語録①
一青:(「もらい泣き」について)ダンボールの中に引きこもっちゃたんですよ、友達が。
鳥越:あ、実際にあったことなの?
一青:実際に起きたことなんです。で、「出れないの」ってSOSのメールをもらったんですよ
一青:SOSをくれたっていうことが、なんだかすごく現代的だけど、共鳴したんですよね。涙が溢れた。私も悲しい……。で、“ただ…訊いてキイテキイテ”―ただきいてほしいんだね、っていう。

ひとと語録②
“(ハナミズキは)3年前の9月11日を受けて作りました。…ニューヨークに友達が行ってまして、実際のあの映像も衝撃的だったんですけれど、それ以後その友達が毎日メールを送ってくれたんですよ。日が経っても何も癒えることがなく、ただ心的外傷がつのっていくという…。たとえテレビとかだと薄れていくじゃないですか。薄れていくのと反対に、友達の気持ちはどんどんつらくなっていくという、このなんというか反比例を、何か形にしたいなと思って。”
“それまで戦争については実のところちゃんと考えてなかったんですよ。ひとごとなんで。だから大切な人が巻き込まれないと考えられないという事実にもやっぱり愚かだなって思ったし、でもそのときにもっと優しい気持ちを交換できたらなって思ったんですよ。…友達までは幸せを願えるけど、その彼女まではひょっとしたら、べつにいいやって思えちゃうじゃないですか。そうじゃなくてそこまでが幸せになってくれたらっていう”


ひととpic up
ゴスペラーズ・北山陽一/9・11セプテンバー・イレブン/井上陽水

SWITCH 一青窈「やましい心がひとつでも消滅してくれれば」

2004年03月18日 23時10分23秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『SWITCH』(2004年4月号・月刊誌)2頁<文・菅原豪/
              写真・大山ケンジ>【スイッチ・バブリッシング】

*一青窈「人間のやましい心がひとつでも消滅してくれればいいな、
       と願いをこめつつ、自分を戒めつつ」


ひとと語録①
“ツアーをしていて気付いたことなんですが私は一曲にドラマとしてのはじまりと終わりを持たせすぎる傾向がある、と気付けた。つまりいろいろな曲が立て続けにならぶとお腹いっぱいの映画を立て続けに見せられてるみたいでtoo matchだな、と。だからもっと断片的な歌詞をつくりたいな、とできあがってから思いました。インタールードをいれたのも箸休めを考えてです”

ひとと語録②
“作詞のきっかけとしては明確に存在します。そこから普遍性をもたせるために広げてゆくのですが、今回のハナミズキに関してはすごく不特定多数です。こんなに大勢のひとたちをひとからげにして書いたのは珍しいことですね”“しいて言えば戦争を生み出す、人間のやましい心がひとつでも消滅してくれればいいな、と願いをこめつつ、自分を戒めつつ。大々的に世の中が変わるとも思わないけれども、人の気持ちを考えるというのが、関わりある人ではなく、関わり無い人まで広がったということでしょうか”

ひとと語録③
“(井上陽水のどこに魅かれる?)つじつまのあわない言葉ばかり並べて、大切なことをひとつだけ、落し物、してくれる感じ。しかしどれも簡単な言葉で語られるところが金子みずずみたいで好き。母がとにかく好きで幼少の頃から家のなかに流れていました。だからまぁ、母を思い出すから。少し甘えた理由なのかもしれません”

WHAT's IN? 一青窈 「ハナミズキ」 ちゃんと戦争について思いを馳せた9・11

2004年02月10日 01時24分15秒 | 一青ジャーナル・戦争
■『WHAT's IN?』(2004年3月号・月刊誌)1頁
        <インタビューと文・青木優>【ソニー・マガジンズ】
*NEW DISC SPECIAL 一青窈 新作「ハナミズキ」
  ちゃんと戦争について思いを馳せたのが、
              9・11テロが初めてだったんで……
 

ひとと語録①
“(「ハナミズキ」は)2年前の9月11日、実際にテロがあって、ほんとに1週間くらいで出来ていました”

ひとと語録②
“自分の周りで何か痛まないと、私は書けないですね”“障害者のことを考えたのだって、友達が障害者になんなきゃわかんなかったことで……それがなければそういった(障害者の)イベントに出て歌うこともなく、デビューするきっかけにもならなかったし。で、自分がいちばん傷ついたのは、その(テロ)時期ですね”