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蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

ん、まあ、いいタイミングだ。

2011-07-12 22:58:33 | 舞台のこと

 今日は二ヶ月に一度になった話し合い。
雨傘屋の件から始まったもろもろごとをひと通り話す。

 自分は人に対して「活かす」言葉を出していきたい、
「殺す」言葉は出したくないが、最近つとに「殺す」言葉を
巧みに使って、てめぇの思いを伝えようとする輩が居て、
その人達が福岡の演劇業界で好き放題やっている。
で、殆どの人たちがその輩から嫌な思いを受けて辛そうだ、
そうしたら、自分もその輩から居場所を剥ぎ取って「殺し」に
行きたいけれど、いかんせんわたしには「殺す」言葉を持ち合わせていない。
そいつらが自分よりひどいことをしたところに出くわしても、
その状況をうまく利用して「殺し」に行けなかった。

 現実は「自分に非はある」と頭を素直に下げて、当分黙って、
状況からある程度の距離をおくことしか出来なかった。
本当は輩共が自分に対してさらなる攻撃を加えて、
完全に「殺し」に行こうとすることが分かっていたから
こりっちの今までのレポート、この放浪記、全部消去して
演劇も、われらが愛媛も「自分の糧」として「発信」することなく
おとなしく見て、心に蓄えて次に備えようと思った。

 けれども、「活かす」言葉を待っている人もいるし、
そういう人たちからいろいろな声を掛けられて、
てか、待っている人がみんな、「やめるな」という言葉を
口で言う他に「身体言語」で投げかけてくる。
すごかったのがこないだの鹿児島演劇見本市、
進行のおねえさんが始終、「からだで演劇を感じて、
ツボに嵌ったら、笑ってもいいんだよ」とか
「からだで演劇を感じるって、楽しいだろ?」という言葉を
客席に投げかけている。
・・・すごく心に来た。

 という話をして、「だ」を出して、表現して、貫く生き方が出来ているから
まあ、何とかなる、結果、まわりにいる人間はきちんと篩にかかってる。

 あとは「殺す」言葉を浄化する作業が心のエネルギーを使いそう。
それには多少時間がかかるとして、そろそろと書き始めよう。

 まず始めに鹿児島演劇見本市のことを書かないとね。


次をつかむ。

2011-01-22 22:01:44 | 舞台のこと

やっぱり、自分は「手を抜いていた」のかもしれない。
ということをこの試演会を見て感じた。

 北芸のトレーニングキャンプ、今回は東京から
木野花さんというすごい役者さんを迎え、2日間で一品作品を作る趣。
事前にテキストをもらい、セリフを入れながら役柄にあった衣装を考え、
トレーニングキャンプに入ると即立ち、という塩梅。

 にしても今回のメンバー、よく考えられている。
飛ぶ劇の若手は大畑以下、みんな入っているし、
熊本の不思議から森岡、鹿児島のノヴァ刺のいわもと、
福岡のビレ8,若手とベテランの中間としてマニ先の
みねおさんとフリーのむらいさん、さかなのもんじさん、
ミクドロのながはた、ガラパのよこやまともう一人、
そしてショーマンとギンギラのゆうだいさん。
あとは自分のスカウトの網にひっかかってないだけ。
技量、キャリア共にバランスが取れている。

 お話はチェーホフの「櫻の園」を下敷きに、
東京ではあたり前の築数十年、風呂なし、
トイレと台所は共同というアパートの共用部分で
住人たちが繰り広げるおはなし。

 倹約第一の若い夫婦、力はあるけれど
自分で自分を信じることができず、勝ちきることができない
プロボクサー、これからに迷っている劇団、謎のタイ人、
チョコレート工場で働く知的障害の入ってる女の子、
卒業を間近に控えた大学生とその友人。
そして人生にけつまづいて、死にたがっている男。

 それぞれがそれぞれの悩みを抱えて、
そのもがき苦しみを邪魔することなく時には生温かく、
時には励ましながら、またある時は突き放してる目線で
お互いがお互いを気にして生きている。

 その役の中のもがきが演者それぞれの
「突き抜けたいところ」と重なって、二重に追い込まれている。
というか、それぞれがそれぞれのホームではあまり使ったことのない
キャラクターの「帯域」を使わせるように、使わせるように追い込んでいく、
それも気持ち高めではなく、低め、低めのコントロールを。

 とにかく、なにか問題にぶつかったとき、答えを外に求めず、
自分のうちに求めよ、そういうメッセージが込められていた。

 自分も九州演劇ミーティング@別府でこういった試みに参加したが、
取り組み方が甘すぎた、「セリフ」を体に染み込ませるための
土台のトレーニングが出来てない以前に、どうしたらそうなるのか、
全然分かっていないまま取り組み、結果半分しかセリフが入っていない、
それを色々と「ごまかした」格好。

 こんな状態で、ここに放り込まれたら、正直やられる。
ボコボコに打ちのめされる、高いレベルに臨むには
それなりの準備、というやつをやらなければ戦えない。

 その準備を作るため、私の新しい戦いが始まる。


そろそろと、そろそろと。

2011-01-06 23:57:22 | 舞台のこと

  福岡フェスの「公募枠」、というか「挑戦枠」が決まった。

演劇関係 いすと校舎
 劇団道化
 非・売れ線系ビーナス
 14+

今年からこまばアゴラの人が選考に加わるようになり、
地方演劇の登竜門的フェス「アゴラフェス」への道が拓けたわけで、
このシーズン力をつけた3つと、「隠れた実力派」が揃ったなかなかの面子。

まずはこのシーズン力をつけた3つから。

 演劇関係 いすと校舎

行橋で大将の自宅を改造した小劇場で
「地産地消型」の演劇をやっているカンパニー。
「家出」と称してじわりじわりと八幡、箱崎と進出して
ぽんプラザホールを挟んで、と思いきやいきなりの天神進出。
このことを見越した上で、大将は北芸リーディングセッションで
演出助手、あとぱずぅ@北芸でプレイヤーとしても経験を積み、
他のメンバーも外部出演で腕を磨いている。
あの空間でどう「地のもの」を料理するか期待。

 非・売れ線系ビーナス

去年に引き続き登場。
「きむかなスタイル」が東京ツアーを経て
どのくらいの精度まで練り上がってきたか、
さらにはどんな「おみやげ」を東京から
持って帰ってきたか、期待。

 14+

去年は「演出家コンペティション」枠での登場。
「14+」という作品でいろいろなところを「刺激」した
カンパニーがひと回り大きくなって天神進出。

そして、隠れた実力派、満を持して登場。

劇団道化

福岡の老舗中の老舗。
学校巡演とかである意味有名なところ。
最近では稽古場の火災から立て直し、
「吉林飯店~おはぎのおいしい中華料理店」という
作品を引っさげてじわりじわりと浸透しつつあるカンパニー。
福岡フェス、という「客層」の違う空間でどれだけ知らない、
または知らなかったお客さんを自分のホームに持っていけるかに期待。

あと決まっているのはイムズホール枠でガラパが〆の大役を
今年も引き受けて、というところのみ。

年が変わったし、特別枠とかなにやらのラインナップもぼちぼちと出るだろう。
・・・にしても、鹿児島の「非常口」は果たして「公募枠」に応募したのだろうか?
九州戯曲賞の流れで今が「旬」、挑戦しない手はないのだが、
まあいい、言っても仕方ない。


のいず。

2010-11-30 20:48:11 | 舞台のこと

午前中は休みなのに早く起きて、会社の健康診断で天神のある病院へ。
何も食べず(当然か)、偶然バッタリありの、中学3年の冬以来のバリウム検査あり、
ま、ある意味盛りだくさんの内容をサクサク済ませ、家に帰り、
ご飯食べて、少し眠って、ぽんプラザでトレーニング。

今回はフーズの福田さんによる「体でつぶやく」という内容。
面子は福大と九大の子がほとんどで、あともろもろ。
まずは体の癖を見て、それからしりとりを「言葉」でやって、
つぎは「言葉」をムーブマイムに乗せて、完全にムーブマイムのみのしりとり。
休憩挟んで「電車の席詰め」と「喫茶店の待合」のムーブマイム。

完全にムーブマイムのみのしりとりをやってみて、ふと考えた。
「おれらって、なにかしらムーブマイムに余計な物を無意識に付け加えてるな」
その無意識なものが読み取りにくい「ノイズ」になって、変な方向になってしまう。
とくに自分にとって、「余計なものに命をかけている」人が居て、
その人のムーブマイムが一番ノイジーだったな。
感じようとするけれど、変なザラザラしたものが感覚の糸を通って入ってきて
正確にとらえようとするけれど、ザラザラしたものに引っ張られてしまう。

いい演者、というのはその「ノイズ」というやつをコントロールするのがうまいのだな。
というか、自分がだしている「ノイズ」をきちんと把握できて、
例のノイズキャンセリングヘッドホンのようにあるノイズをノイズを使って
「消してしまう」芸当も難なくやってしまう。
そこがきちんと出来ている演劇って、すごく見やすいわけで。

ひるがえって、自分はどうよ、ということも同じように考える。


鹿児島演劇見本市。

2010-08-17 00:02:38 | 舞台のこと
 という気迫がすごかった。
さて、前フリはここまでにして「鹿児島演劇見本市」の話でも。
それぞれに与えられた時間は30分、その中で、仕込んで、演じて、
撤去までやらなくちゃいけない、というとってもキッツいスケジュール。
それを3本ノンストップ-10分休憩-3本ノンストップという構成。
「ショーケース」としては申し分なし。

1本目 アクターズファクトリー鹿児島
 あるコメディショーのようなオープニングから
某国営放送名物のこどもショー「ぽ○きっ○」と言いながらも
「とっても仲良しな女の子のおバカ物語」をかましてる。
「貸した金返せ」、「返してあげない」、「たかが100円(このケチ)」てなやりとりから
「お盆といえばお休み、お休みといえば旅行、そうだ、韓国行って、ほ○とく○ぶ」に行こう、
いろいろオーダー掛けて、「三歩歩けば忘れてしまう」鳥頭な野郎に
大金ばら撒くの、おかしくね、という話をかました後、
「彼氏とっちゃった(うふっ)」、「私の彼氏返して」、「返してあげない(ばーかばーか)」、
「このどろぼうねこ(ぜったいにゆるさねぇ)」、「あっちが選んだわけだし(まけおしみいっとけ)」
とさらりえげつねーことをかました流れで「高校野球」をネタに最初は投げて打って、
少しエスカレートして、ぶつけてぶつけて、さらに酷くなって、腐った卵ぶつけて、
またさらに手りゅう弾ぶん投げて、最後はバズーカ砲発射、なかよくけんかしな。
 次のネタは「革新的な手話サークル」というところを使った、
ナルシストと真面目な子との対比のおはなし。
手話の先生が繰り出す「エロネタ」に対してそれを真似しないと話にならない、と
真面目な子をアシスタントのお姉さまが追い詰めていく、
ナルシストには前に出るな、とこれまたアシスタントのお姉さまが追い詰めていって、
それぞれの持ち味によって「辱め方」を変えてしまってる、という凄さ。
 それから二つのネタの言葉部分の一部を使って、歌と手拍子でまとめるエンディング。
・・・福岡で言うたら「劇団カミシモ」が適切な技術を持ったらこうなりました、という出来。
コンテンポラリーダンスを意識したムーブマイムにはキレがあるし、
発音発語も変なつまりがない、さらにいえばシンプルにおもしろい。

2本目 鹿児島高校演劇部
 「喫煙はニコチン依存症という病気です」と言わんばかりに
病院の敷地内に「煙場(喫煙所、ともいう)」が排除されてずいぶんたった。
(それがあったら、「依存症治療」で「禁煙指導」に医療保険が使えないらしい)
そういう世の中に背を向けた病院で繰り広げられるおはなし。
女医なのに、ニコチンぱかぱか、そこで同世代の入院している男の人と
他愛もない世間話。
・・・どうやら「偏った生活」で体壊してここに担ぎ込まれたらしい。
そこから家族の愛をなくしたら何もかもがなくなって、死んでしまう寸前だった。
こういう「死ぬか生きるか、ぎりぎりのところ」を「ふしぎなメルモ」と
ナイロン100℃の「カラフルメリィでオハヨ」の肝になる部分をうまく組み合わせた。
この組み合わせに、DVとか、ネグレクトとか、ネカフェ難民、という「路上の現実」を
絶妙の配合で混ぜ込んでいる。
・・・高校生に「言葉の色調」、特に自分の取っている年齢より上の「言葉の色調」を
きちんと入れ込めるようにしようね、というのは酷なことなのかなぁ。

3本目 演劇ユニットノヴァの刺身
 ・・・初手からつかまれてしまいました。
お盆といえば林間学校、その開校式のご挨拶、なんの脈絡もなくぶっ倒れて、
そこからお客さんを巻き込んで一品作品を作ってしまおうぜ、という試み。
板の上に立てるのは4人、まずは色々なネタの引き出しを使って、
4人ランダムに選んでみよう、次はこの4人のうち3人に「タッチ式の照明器具」を
使って、「クラゲのムーブマイム」を仕込んで、きっかけ教えて、
その合間に残りのひとりに漏斗と塩ビ管で作った「ブブゼラもどき」から
音を出す練習をして、これまたきっかけ教えて、「クラゲ島」というシュールな恋愛ものを
作ってしまいました、という趣。
 「美人が真面目かつ、徹底的にお馬鹿に徹する」という意味では、
福岡で言うたら「ノコリジルモ」がやっていることとほとんどおんなじ。
けれど、いい歳の取り方をした色合いと引き出しの多さが違いなのかなぁ、そういう出来。

 さて、興行に倣い、ここでひとまず休憩。


テストピース。

2010-08-08 00:23:34 | 舞台のこと
 本当は二次会に行きたかったが、銀行が閉まっていたらどう仕様も無い。
いいわけはこのへんにして、今日は演劇大学の実演会。
たかのさんがなんだかんだする、という話は前々から聞いていた。
そこに、非売れのたさかさんがGIGAの文脈でなんだかんだする、という話と、
同じくきむかなが宮崎オールスターの一番最初の演目「女の平和」を
みねおさんと組んでやる、という話を聞いてしまったから(以下略。

 ・・・にしても、パピオの回りには食い物屋がないなぁ。
はなまるうどんもなんからかんからでなくなってしまったし、
マクドもケンタもかなり歩かないと、本読んだら食欲が収まった。

 んで、パピオに入って、少し雑談して見学。
一本目、各演者の持っている「忘れられないこと」をGIGAの文脈でまとめた。
その一つ一つのエピソードをつなぐ「つなぎ目」の見極めが秀逸。
バラバラなんだけれど、色合いが微妙に重なっているところの糸口まで
見定めて、色合いが同じところをいい感じでつないだな、ストレスねぇもん。

 二本目、演出の人がプレイヤーやってる時のようにプロンプター盛大に使ってる。
・・・まあ、素人さんで、時間がないから仕方がないか、とも思うが。
なんやらかんやら因果、というものがあって、それをふるい落とすために
そういう無頼をやっちまったんだね、というところは伝わったが。

 休憩挟んで三本目、宮沢賢治をうまく咀嚼できたな。
てか、いままでなかった「フィジカル的要素」をうまく混ぜ込んで、
そこに宮沢賢治特有の「コスモポリタニズム」がスパイスで効いている。
もうちょっと星座やら風のムーブ、編隊の組み方がよかった分、
連動性の精度と密度を上げていけばよかったかな。
今度は「ペペネンネンネン・ネネムの伝記」をやれたらおもしれぇな、と。

 さて、ラスト、すっげぇシンプルじゃねーかと。
宮崎オールスターの演目での座組が「物語のナビゲーター」として
こふくのちはさんと熊本のきないさん、(うそ、グーグルIMGで一発で名前でた)
「ミューズ的存在」として鹿児島のふくぞのさんとフーズのまつめぐ、
「ユニセックス」としてきららのまきこさんと福岡のごとーさん、
で、板の上をまとめるキャプテン格として飛ぶ劇のなおみさん。
場面は尺にあわせて鍋釜をどかちゃかやるシーンと、ラストのほうを
強調する感じで、「ミューズ的存在」を女子全員に振り分けて、
男の人がいい塩梅にいるから「ユニセックス」は省略、
板の上をまとめるキャプテン格にみねおさん、という塩梅。
シンプルに、それでいて露骨なエロの応酬。

 いろいろ技量は拙いところはあるが、「つぎ」を見据えた
「テストピース」や「色見本」をたくさん見つけてきた、そんな感じ。
・・・どんな展開になるかわからないが、早速ラストの演目のコンビが
10月に何かしらやる、仮のチラシはボチボチと、てなこともあるわけで。

 こっちもこっちでT女史やらやまえり氏に「自分は、こういうポジションで働く」てな
話を初めてやらかして、云々と。

人生という「果てしない天体旅行」。

2010-07-24 22:42:44 | 舞台のこと
 にしては中心軸は一体なんなんだ?

 地球は太陽を中心軸にして、24回周り、それを365回繰り返してひとつのサイクルとする。
そのまわりにもそれぞれ異なったサイクルを持った惑星たち、さらには無数の星たちが
それぞれの中心軸を持って、それぞれのサイクルを続けているのだ。
これらすべての集合体が「太陽系」というものであって、この太陽系も
またある中心軸の周りをぐるぐる廻っていて、さらには(以下略。

 
 宇宙の「最小単位」である生物細胞だって、その上部単位である生物、
生物のいちカテゴリーに存在する人間だってまた同じ、ある何かを中心にして
地球と同じように24回周り、それを365回繰り返してひとつのサイクルとする。
そのサイクルが寿命、という形でどうひと回りするか、それは長いのか、短いのか、
現存する自分の意識の中ではわからない、というかわかっていない。
けれども、サイクルを廻っている自分の意識ではない意識はそれを分かっている。
人は時としてあることをきっかけにして自分の意識ではない意識を
覗こうとする、というか覗いてしまう、そして後戻りをしたくなる。


 覗いてしまう時に使ってしまうは「クロノス・ジョウンター」というサイクルの回りを
変えることの出来るブースター装置だった。
サイクルの回りを変えてしまうことは時として副作用もある。
ほんの僅かの時間だけしか昔にとどまることができない、
さらにはブースターなものだからさらなる未来の状況に飛ばされる。
それでも人は果たせなかった恩義を果たすため、ただそれだけのために
自分の意識ではない意識を覗いていき、ある種危険な天体旅行に旅立つのだ。
もしかしたら、いまここにいるわたしも過去からやってきた、
または過去から飛ばされたわたしと知らない間に出会っているのかもしれない。


 ・・・てな話を風三等星というカンパニーがキャラメルボックスの代表作
「クロノス」をやったときに書いておいたほうが収まりついたかも知れない。
しかし、そのときは仕事帰りの日曜でヘトヘトに疲れて、
おまけにキャラメルボックスの作品は見るにもエネルギー使うことを
全然知らなくて、ストーリーラインと雰囲気掴むだけでえらく大変。
なんか中途半端のことしか書けず。


 さて、前フリが長くなった。
ビジュアルアーツの生徒による演劇公演で今年の春、
東京と大阪でキャラメルボックスが「クロノス完結編二本立て」を
演り、それを生徒が風三等星の広瀬さん演出でやるらしい、行かねば。
技量はまだまだ、発音・発語のミスも多いし、クロノス特有のスピード感もリズムも
きちんと出せていない、矛盾のないムーブマイムもまだまだ、
一番肝腎の「感情感覚を臨界点ギリギリまで持って行って、ある一点で炸裂させる」
ことさえも不十分だったが、かえってそのことが本当に伝えたかったことを
伝えることができたのかも知れない。

 ・・・どんなことがあっても、演劇と人生を続けろ、それだけしか言えねぇや。

ごめんよ、こがひろな。

2010-07-22 22:27:08 | 舞台のこと

 結構速いペースで九州戯曲賞前シーズン分の結果が出た。


■最終候補作品(5作品)

島田佳代(鹿児島県伊佐市)            「闇に朱、あるいは蛍」
 たぶん、この方は「水をめぐる」鹿児島公演の時、打ち上げで見たことが。
しかし、主戦場がどこなのかわからず、なかなかスカウティングの網に引っかからず。

高場光春(福岡県久留米市)            「先生とチュウ」
  これまた、主戦場がどこのカンパニーかわからず、なかなかスカウティングの
網に引っかからなくて、己の不明を恥じる。

高橋克昌(福岡県福岡市)             「踊り場にて、」
 「椿楼」というアーティスティックなカンパニーの大将、
「天地」の原さんのトレーニングキャンプの助手で入ったところから
クロサイというか針穴の代表作「20×20(ブンガク)の森」を演出、という
仕事の流れは見たものの、「戯曲書き」としては未見。

河野ミチユキ(熊本県熊本市)          「義務ナジウム」
 「ゼロソー」の大将。
「戯曲書き」の仕事は言葉を使って「知的なパズルゲーム」を仕掛けていく。
特に題名の中に何かしらテーマにつながる「意味」を隠して、
それを物語の流れを使って見せてしまうのが得意。

川口大樹(福岡県糟屋郡志免町)       「ボスがイエスマン」
 「万能グローブガラパゴスダイナモス」の大将。
「戯曲書き」の仕事は前々シーズンの戯曲賞最終選考に残った
「ひとんちで騒ぐな」から「自分の持っている原風景や心理状態」を
丁寧に分解して、そこから「普遍的な物語」に「翻訳」することがうまくなった。


■最終審査員

中島かずき、古城十忍、横内謙介、松田正隆、岩崎正裕

 今回は泊さんとか、こふくの井上茂徳さ・・・じゃなかった、
永山さんとかが審査員じゃなかったのか。


■審査結果

大賞  該当作なし
佳作 河野ミチユキ(熊本県熊本市)          「義務ナジウム」

 やっぱり九州以外の「戯曲書き」のフィルターを通すとこんなふうになるのか。
てか、川口の大将もみちゆきさんも出された戯曲は厳密に言えば「更」じゃないわけで。
川口の大将の「ボスがイエスマン」はオフィスの「DDシアター」という企画で
京都のMONOというカンパニーの大将、土田さんの精査を受けて書かれたおはなしで
みちゆきさんの「義務ナジウム」はかなり昔にやった「義務教センチメント」の焼き直し。
そこのところが最終審査員の方々には物足りなさとしてあったのかも。
残り3つは「白紙の状態」から作っては来ているが、物語の精度と密度がまだまだかと。

 あと、「オーダーメード性」がやけにきつすぎる、「戯曲書き」が「演出」というコントローラーを
兼任しないと物語の狙いを高い精度で再現できない説得力はいかがなものか、
それから見たら前シーズンの「白波の食卓」は言葉の色調以外はええ精度だったよな。
どんな演出家でもある程度の精度でコントロールできるくらいの説得力の足りなさも。

 さらに言えば、九州の「戯曲書き」で90分以上のどんな演出家でも
一定の精度でコントロールできる説得力を持った戯曲を書ける書き手が
泊さん、永山さん、いけださん、ごとーさん、カヲルさん、
さあやさん、他残り数人しかいない、という層の薄さ、を露呈したのかなぁ。
若手は自分のカンパニーの面子の持ち味に合わせた、瞬発力のある短い戯曲を
作るのは凄くうまい、けれども長い戯曲を書いて、説得力を与えるための元脚は殆ど無い。
そこがどうもある演劇人の層にとっては物足りなく見えるのでしょう。

 にしてもだ、フーズのふくださんとか、謎モダのしらはまさんとか、ぎゃのゆきえさんとか、
非売れのたさかさん、きむかなさん、あとの中堅どころのほとんどはちゃんと
挑戦したのかなぁ、気になる。
自分も戯曲構造やら組み立てをそろそろ学ばねーとな、ほんとうにごめんな。


夏の夜の夢。

2010-06-21 22:04:11 | 舞台のこと
というお話の空気ってあんな感じだったのか。
今日は仕事休みだし、全体的に暇だし、寝るのももったいないな。
てなわけで、周年記念演劇祭関連企画の自転車タクシーで行く
リーディング公演、という企画に行ってきた。

午前中はスイッチ入れて、暖機運転して、グレコのスカウティングレポートを
入れて、ひと休みしてから天神に出向いて、ソラリアのところで
オフィスの皆様としばし雑談。
そうしてるうちにぽんプラザからの便がやってきて、
カミシモの女の子とごとーさんが。
どないしょ、なかなか話す糸口見つけにくいんだよなぁ。
と思いつつ、まずは乗る、ソラリア裏の道をつらつらしながら
自転車生活の人だったんだけれど、働き始めるとね、
ということをつらつらやると表通り、そこからお話のスイッチが。
お話の流れをさっとざらって読もうか、あなたも読む?
という展開になって、なんとかかんとかやる。
それから基本的な話をしてまた別のところを読む。
さらに話が膨らんで気がつけばもうぽんプラザ。
あの初夏の生ぬるい湿気のこもった夕暮れ時に、
こういうお話を人の生活感がある場所で読んでみる、ということが
ものすごく新鮮だったし、題名から持つ空気感と現実の空気が
ぴったりはまって、刺激的で楽しかった。
この企画、一番役得なのは自転車タクシーのライダーさんだよな。
いろんな人との多種多様なやりとりを楽しめるのだから。