鹿児島市の司法書士喜山修三のブログ

相続や売買の不動産登記,会社設立や役員変更,債務整理,成年後見等を業とする司法書士事務所の所長の法律や日々の雑感を掲載。

巡り会い 『やなせ たかし 明日をひらく言葉』

2013年12月26日 | Weblog

 人とのめぐり逢いも,偶然のようで実は必然だったかな,と思うこともありますが,本との巡り会いはその要素がさらに強まる気がします。

 先日鹿児島の本屋で手に取ったのが,『やなせ たかし 明日をひらく言葉』で,先週博多の本屋で購入したのは『オイドル(オールドのアイドルの意味ですが)絵っせい 人生90歳からおもしろい』という本です。やなせたかしさんは,『アンパンマン』の作者であり,『アンパンマンマーチ』と『手のひらを太陽に』の作者です。
 

やなせさんは,戦争から帰って来て,高知の新聞社に勤めた後に,今の三越伊勢丹に入社しています。包装紙のMitsukoshi文字は,やなせさんのデザインです。仕事の合間に描いたカットや漫画を描くようになるとサラリーマン生活が色あせて見えるようになり,34歳のときに会社を辞めています。

 頼まれる仕事は,何でもやったので舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作詞家、シナリオライターと活躍し,周りからは,「困ったときのやなせさん」と言われたそうです。山梨シルクセンターから,最初の詩集『愛する歌』を出したら,これがよく売れて,会社も本人も儲かった。その後その会社は,「サンリオ」と名前を変え,キテイちゃんを生み出して世界的な企業に成長する。また,仲間の漫画家が華々しく活躍しているのに,一向に売れないやなせさんは,30歳から40歳までは絶望の連続だったと書いています。

 何故自分は売れないんだろうと思いながらも,徹夜をして,絵を描いたり詩を書いたりしていた42歳のある晩,手のひらを懐中電灯にあてて見たら血の色がビックリするほどすけて見える。本人はこれほど絶望しているのに身体には赤い血が流れていると感動したら不意に,「手のひらを太陽にすかしてみれば」というフレーズが頭に浮かんだそうです。この歌では,「生きているから悲しんだ」が「生きているからうれしんだ」の前に出て来ます。

 一方アンパンマンのマーチは,「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも」と「嬉しい」の歌詞が先に来ます。やなせさんになんらかの心理的な変化があったのでしょうか。
 

そのアンパンマンは,50歳になって書き始め,1973年に絵本になりましたが,当初評判は散々で,後日何十年も売れる絵本になるとは思っていなかった。ところが,70歳になる直前の69歳のときにアンパンなのアニメ化の話があり,それから,ご存じのとおり大ヒットしました。

 東日本大震災の直後,アンパンマンのマーチのリクエストがたくさんあり,大人も子供も涙を流して喜んだという話がありました。私もちょうどその頃国分からの帰りの車の中で聞いていたのですが,大変感激した記憶があります。

次にやなせさんの言葉を紹介します。「 好きなものであればコツコツ努力することも決して辛くありません。楽しみながらいつの間にかつかむことができます。」

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