平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2013年6月2日 わたしはあなたを預言者として立てた

2013-07-19 17:40:09 | 2013年
エレミヤ書 第1章1~10節
わたしはあなたを預言者として立てた

 神様からの召命に関するお話は、いくつもあります。新約聖書には、イエス様からペトロをはじめとする弟子たちが招かれた物語が書かれていますが、これもまた、召命の一つと理解できないことはありません。そういった意味では、私たちキリスト者たちは、すべてイエス様からの、神様からの召命に与り、それに応答した者たちです。
 ペトロたちは、わたしに従ってきなさいと言われたイエス様に、即座に従ってまいりました。私たちの中には、ペトロたち弟子たちのようにすぐに応答した人もいれば、そうできずに、何年もの間、迷った末に、ようやく決断された方もおられることでしょう。
 それもまた、聖霊、神様のお働きによるものだと聖書は、教えておりますので、結局は、神様の憐みによる招きとしかいいようがありませんが、私たちにとってのイエス様からの「私に従ってきなさい」という召命とそれへの応答は、救いの事柄と関連しています。つまり、イエス様を信じて、あなたに従っていきますと信仰告白をしたときからが、信仰による救いへの第一歩を踏み出したことになります。
 旧約聖書に登場するアブラハムが神様の示す土地に行くように言われたのは、彼が、75歳のときでした。高齢ではありましたが、彼は、行く先もわからないままに、神様に従ったのでした。しかし、アブラハムの場合は、大いなる国民とし、祝福するからという希望にあふれるうれしい約束がありました。祝福するから、私に従ってきなさい、と神様は言われたのです。アブラハムは、神様を信じ、慣れ親しんだ土地から見ず知らずの土地に出かけて行く決意を、高齢の身でありましたが、致しました。それは、彼の信仰でしたが、神様の招きに応えたことでありました。
 モーセの召命は、イスラエルの民がエジプトを脱出するとき、その指導者となるようにとのことでした。彼は、どうして自分がそのような働きをしなければならないのか、また、自分は口が重い(上手に話せないというだけでなく、一説には彼は言語障害を抱えていたのではないかといった説もあります)と召命を断ろうとしましたが、神様が共におられるということ、アロンという助っ人が与えられることなどで、彼はその召命を受けました。エジプト王ファラオと交渉するときには、アロンが一緒についていってモーセの言葉を伝えました。
 もちろん、その言葉は、神様からモーセがまずいただいたものでしたが。モーセは、神様からの召命があったときに、光栄です、自分にお任せください、何とかやってみますとは言いませんでした。彼は、自信がありませんでした。そのような大きな責任を負うことに対して、どうして、この自分なのだろうと思いました。また、これからしなければならないファラオとの交渉を思うと、とても自分の語りでは難しいこともわかっていました。自分には無理だと、モーセは素直に述べたのでした。それを神様は、許してはくださいませんでした。神様から説得されて、モーセはその任を受けることにしました。
 そのときの神様の言葉は、自分が必ず共にいるということでした。神様が共におられる、これが私たちが神様についてきなさい、従ってきなさい、私の言う使命を果たしなさい、という召命に応答するときの根拠となります。神様が共におられるということです。
 先週、森先生が扱われたイザヤの召命の場合は、「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」との神様の御声をイザヤが聞いたことに始まります。そこで、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」とイザヤは応答しました。イザヤの場合は、あなたを用いるから、遣わすから、という声ではなく、誰がいったいこの仕事をしてくれるのか、という神様の御声がおそらくイザヤにだけ聞こえたということが、イザヤの召命であったと思われます。
 他の誰にも聞こえなかった神様の御声をイザヤは、聞いてしまったのです。応答するかどうか、そのことを彼が直接問われたときに、わたしがここにいますとしか応えることができなかったのではないでしょうか。そのときイザヤの回りには、自分しかいなかったのです。そこには、他に誰もいなかったのです。
 そして、今日は、エレミヤの召命についてのお話です。エレミヤの幼少期の時代について述べると、南ユダは、マナセ王、その子のアモン王の時代であり、異教の偶像の神々を拝むという、とくには農業の豊穣の神バアルでしたが、そうした異教の偶像の神を拝むという堕落した状況でした。エレミヤが預言者としての召命を受けたのは、ユダ国の王アモンの子どもであり、次に王となったヨシヤ王の治世の第13年のときだったということです。それは、紀元前627年になります。
 エレミヤは、ベニヤミンの地のアナトトの祭司のヒルキヤの息子でした。彼の父親たちは、王やユダの国の他の人々と違って、マナセ、アモンの時代も、レビ人として、祭司として真の神様に仕え、礼拝を守っていたと思われます。そして、アモンの息子ヨシヤ王のときに、エレミヤは神様から召命を受けました。そして、エレミヤは、そのヨシヤ王、その子のヨヤキム、そして、ゼデキヤ王の治世第11年、紀元前586年に至るまで、41年間、預言者としての働きを致しました。最後には、エジプトに連行されていき、そこで消息は不明となっています。
 エレミヤに対する神様の召命は、有無を言わせぬものだったと思います。なぜなら、神様は、母の胎内にエレミヤを造る前から、彼の存在を知っておられ、誕生する前に、エレミヤを聖別して、預言者として選んでいたと言われたのです。この世に存在すら確認できないうちに、神様は、エレミヤのことを知っておられました。そして、エレミヤを預言者として立てようと計画されていたということです。そこまで言われてしまうと、断るのに困ります。
 しかし、エレミヤは、それほどまでの選びに与ったことを光栄に思うどころか、「ああ」と絶望に近い思いを吐いています。「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎませんから」と神様の召命に抗おうとしました。彼が、預言者として召命に与ったのは、早くて12歳の頃、妥当なところしては20歳から25歳の頃ではなかったかと言われています。
 ところが、今でも、たとえば、ある牧師が自分よりもかなり若い場合、いったい人生の何があなたにわかると思ってしまうことがないでしょうか。聖書を語るのは我慢して聞くが、人生について語ろうものなら、まだ10年早い、とか心の中で思ってしまうことはないでしょうか。実際、ここにおられる方々の中で、私よりも年齢が上の方は幾人もおられます。森牧師はさらにたくさんということになります。
 私は、教員をして、それから、牧師ですから、自営業や会社勤めをされている方々に比べると、世の荒波にあまりもまれていない世間知らずの人間だということになるやもしれません。おそらくそうでしょう。しかし、偉そうには言えませんが、私もそこそこにいろいろと苦労してきたのです。
 いやあ自分の苦労に比べると平良牧師の苦労は苦労の範囲に入らないと言われるかもしれません。そうです、苦労というのは、受け取る本人の気持ちというものもありますし、あとは、性格とか、受け取る側の受容できるかどうかの問題もありますから、一概には同じ状況が与えられても、すべてが同一に感じられたり、理解されるとは限りません。確かなことは、本人が、それを苦労と感じるならば、それは苦労したのだということです。
 しかし、年が若いということは、その人よりも年齢の上の方々にとって、何かをその若い人から聞くという姿勢にはなかなかならないものです。エレミヤは、20代の前半です。ユダの人々に、神様はこう言われている、といって語ったところで、いったい誰が耳を傾けるでしょうか。エレミヤは、一祭司の息子に過ぎないのです。今の日本の若い政治家たちの中にも親や祖父母たちの威光を受けてそれなりの地位についている者たちがいますが、そうでない場合は、若い人というのは簡単ではありません。
 エレミヤは後ろ盾のない若者に過ぎませんでした。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と神様に言ったときの気持ちは理解できないことはありません。エレミヤは、何をどう語っていっていいのかわからない、社会の仕組みや情勢も、ほとんど理解できていない者だったのではないでしょうか。当然でした。そのことについての不安は、想像を絶するものだったはずです。相手は、王であり、大勢の国民でした。
 そのエレミヤに対して神様は、「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と言われました。神様の御語りになる言葉は、その多くがストレートです。彼のその弱さを知りながら、きっぱりとそれを否定されます。なぜならば、エレミヤは、否、エレミヤだけでなく、モーセもアブラハムもそうだったと思われますが、その人の能力を見込んで、神様は、その人をお立てになってはいないからです。
 アブラハムは、彼をとおして、その子孫が海の砂粒のように、星のように多くなると言われたのですが、彼が召命に与ったのは75歳であり、子どもが実際に与えられたのは100歳のとき、妻サラが90歳のときでした。彼は、いよいよ子どもが与えられるという知らせが届いたときには、もう子供が自分たち夫婦に与えられるなど、諦めておりました。モーセが、口の重い者であったことは神様も知っておられました。
 エレミヤが、経験不足の若者に過ぎないこともご存じでした。それでも、神様は、彼らを選ばれました。彼らに何かが、あったわけではありません。適任かと言われると、逆にそうではない、と答えた方が正解に近かったのではないでしょうか。そういうわけで、選びの事柄に関しては、何一つ、自分に誇るものはないことを召命に与った者たちは知るべきなのです。
 ただ、なぜ私なのですか、とモーセが、神様に問うたように、召命に与った者たちは、なぜ私なのかと思うということも致し方ありません。なかに、自分が選びに与かったのはうなずけるという人がいるかもしれません。それは、とんだ間違いです。神様が、どうして、召されたのかはわかりません。ただ、くじで選んだということでもないでしょう。神様は、エレミヤが母の胎の中で造らる前から、彼を知っておられたのだということだけです。そして、教会の皆様も、たとえいくら若くても、欠けだらけの者であったとしても、牧師は神様による召命に与った者であることもおぼえておいて欲しいのです。
 それから、選ばれたからといって、その務めがずっと続いていくのかという問題があります。つまり、たとえば、牧師の場合、死ぬまで自分は牧師だということを主張される方がいます。それは、牧師としての召命を受けたので、そうなのだというのですが、果たしてそうでしょうか。聖書のサムエル記上には、イスラエルに王政がはじまって最初の王サウルは、王として立てられましたが、神様の御心は彼が死ぬまでそうであったかというと、彼から離れ、ダビデへと移っていったことが記されています。
 ですから、この召命という問題も、いつから始まって、いつまでなのか、預言者をはじめ、何かの仕事や使命を与えられた者たちには、そういった、その任にある期間といった問題は、あるのではないでしょうか。その点では、バプテストの牧師たちは、教会がその人を牧師として迎えている間は、そうでしょうが、そうでなくなったときには、一信徒に戻ることになります。
 ですから、免許状とか、資格証のようなものは、最初からいくら西南学院の神学部を卒業しても、もらえないのです。教職をとれは、聖書科の先生の免許状はもらえます。牧師というのは、教会が私を牧師として迎えている限りにおいて、そして同時に、私が牧師としての召命観をもっている限りにおいて、そこに、牧師というものが存在しているだけということになります。
 さて、エレミヤは、王に対して、また、ユダの人々に対して、罪の指摘を行いました。彼らの間違いを指摘しました。そして、悔い改めを迫りました。神様の裁きを語りました。具体的に、そちらの方向に進んではならない、ということも伝えました。そして、王の怒り、人々の反感をかいました。彼は、神様が伝えよ、と言われることを伝えました。彼は、神様の言葉ではなく自分の考えや言葉を述べるようなことはしませんでした。他の預言者たちのように、人々の気休めとなるようなことは、言いませんでした。
 20章7節からのところに、エレミヤの告白が述べられています。そこには、エレミヤが、どんなにか、人々から笑い者にされ、あざけられ、恥とそしりを受けているかが、語れています。彼は多くの人々から非難され、裁判にかけられそうになり、それまで、自分の味方だった者でさえ、今や自分がつまずくのを待ちかまえているというのです。そして、最後に、「なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い、生涯を恥の中に終わらねばならないのか」、と言って嘆いています。
 神様は、「わたしがだれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ」と言われました。エレミヤはそのとおりに行いました。神様は「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と、そのあとに続けられました。
 それからこう言われました。「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる」。エレミヤが、語る言葉は、語るべき言葉は、神様が用意すると言われました。そして、そのことをなす権威もまた、神様がゆだねると言われました。そして、神様は、共におられて、彼をいろいろな危険から救い出されるとも言われました。すべて、神様は、そのようにされました。しかし、王をはじめ、人々からは、けむたがられ、あざけられ、危険な目に遭わされ、なぜ、わたしはこのように苦労をし、生涯を恥の中に終わらなければならないのかと嘆くのでした。
 しかし、神様の召命に与ったのですから、それは光栄なことではありませんか。神様が共におられた、そのことを至るところで知った、それもまた喜びだったのではないでしょうか。私たちキリスト者たちは、神様の召命に与った者たちです。それは光栄なことであり、いろいろな出来事が起こっても、ときにそれはため息しか出てこないこともあるでしょうが、ついには、主が共におられることを知らされる、そして、喜ぶことができる、そういう歩みです。
 エレミヤの最後は、バビロンに捕囚として連れていかれますが、解放されて、エルサレムの復興のために働くことになります。しかし、残ったエルサレムの地でバビロンに反乱を起こしたユダの人々によって、一緒にエジプトに連れて行かれることになり、あとの消息はそこで途絶えます。最後はどうなったのかはわかりません。ペトロもパウロもそれは同じです。いわゆる、この世的には、ハッピーエンドで終わったとは想像しにくいでしょう。しかし、召された者たちの幸せとは何でしょうか。
 つまり、キリスト者たちの幸せです。それは、神様が、イエス様が、このわたしを選んでくださった、このわたしを召してくださったということです。私たちの人生においては、私たちが神様に、イエス様に従って歩む限り、神様が、すべての責任を負ってくださって、神様が、いつも共にいてくださって、私たちを救い出してくださる、ということです。それ以上のことはありません。


平良師

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