平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2013年10月6日 異教の地で

2014-05-22 23:50:44 | 2013年
詩編137編
異教の地で

 この詩編137編は、捕囚としてバビロンに連れて来られているイスラエルの民が、自分たちの悲しみや苦しみを歌い、敵への報復を願い、祈り求めているといった内容になっています。
 「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」とあります。バビロンというのは、イスラエルの民にとっては、異教徒の国です。
 彼らは、そのバビロンに国を滅ぼされました。そして、捕囚として連れて来られたのです。今、彼らは、具体的には、バビロンのとある川のほとりで、かつて自分たちが住んでいたエルサレムの都を思い出して、泣いています。その涙は、悲しくもあり、悔しくもある涙でしょう。
 彼らは、歌を歌うときの伴奏をする楽器の竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けたと述べています。この竪琴は、悲しみを助長します。それよりも、彼らはこの楽器を決して用いたくありません。なぜかと言えば、自分たちを捕囚にしたバビロンの人々が、竪琴を伴奏に、歌を歌え、というからです。竪琴がなければ歌えないと、断りの理由を述べることができます。
 それは、おそらく宴会、酒宴のときの余興として、まさに、「わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして」そのように召し出されたということでした。彼らは、「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言います。シオンというのは、エルサレムを指しています。エルサレムの歌、それは、神様を讃美するものであったことでしょう。捕囚になっている人々は、「どうして歌うことができようか。主のための歌を、異教の地で」と言っています。
 シオンの歌とは、神様のための歌でした。今で言えば、讃美歌です。イスラエルの人々にとって、このような席で、シオンの歌を歌うことは、非常に屈辱的でした。バビロンの人々は、まじめな気持ちでシオンの歌を聞こうとしているのではないのです。面白半分、皮肉半分です。からかっています。捕囚の民に向かって、お前たちの神は、いったいどうなってしまったのか、どうして、助けてくれないのか、捕囚の地に来てもなお信仰しているお前たちだが、いったいその神は、ほんとうにいるのか、お前たちの神は、真の神といいながら、私たちの神々に負けたではないか、など、間接的な侮りの中で、嘲笑されながら、歌うことになるのでした。
 捕囚の人々は、それでも、エルサレムを忘れないといいます。つらい闘いの日々を思い出す者もいたでしょう。自分たちの親兄弟が、このバビロンとの戦いで、戦死したかもしれませんし、家が焼かれたかもしれません。思い出したくない事柄も多々あったはずです。しかし、彼らは、次のように言うのでした。「もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい。もしも、あなたを思わぬときがあるなら。もしも、エルサレムをわたしの最大の喜びとしないなら」とまで述べています。今でもなお、彼らは、エルサレムに対して熱い思いをもっています。それは彼らにとっては、つらいことの多かった場所ではなく、なつかしの愛する場所であり、神殿のあった、神様のおられる場所でした。
 同じような内容の詩が42編です。この詩編もおそらく、捕囚の立場にあるイスラエルの人々が歌った詩でしょう。「涸れた谷を鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く」。これは、137編の「シオンを思って、私たちは泣いた」という箇所や「もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」とまで歌っている箇所と似ています。両方とも、神様を求めているのです。
 それから、137編の、「わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして、歌って聞かせよ、シオンの歌を」という箇所と、42編の「人は絶え間なく言う。お前の神はどこにいる、と」もまた、似ています。どちらとも、捕囚の立場にあるイスラエルの人々が、バビロンの人々によって、嘲られています。いったいお前たちの神はどうなっているのだ、どこにいるのか、このバビロンに来てもなおお前たちは、自分たちの神を信仰し、礼拝を捧げているけれど、いったいお前たちの神に力はあるのか、もし、いたとしてもお前たちは見捨てられたのではないか。そのように嘲られています。しかし、彼らはこのようなときもまた、故郷を忘れることはありません。神様のことを忘れることはありません。
 137編では、「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい。もしも、あなたを思わぬときがあるなら、もしも、エルサレムをわたしの最大の喜びとしないなら」。42編「わたしは魂を注ぎだし、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを」。彼らには、よきことのみが、思い出として、残っているように思えます。
 そして、137編では、イスラエルの人々は、「主よ、おぼえていてください」、自分たちを捕囚として連れてきた者たちが、どのようなひどいことをしたのか、そして、神様、その彼らに報いてください、と祈っています。
 137編の7節には、「エルサレムのあの日を、彼らがこう言ったのを。裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで」。バビロンの人々に徹底して、イスラエルの人々は、町を破壊されたことがわかります。彼らに対する憎しみは薄らいではいません。その報復を彼らは神様に願い求めているのです。
 42編は、少しおもむきが違います。42編では、イスラエルの人々は、己自身の信仰姿勢を問うのでした。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ。なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう。御顔こそ、わたしの救い、と。わたしの神よ」。彼らは、捕囚の身として、このバビロンの社会の中で、人々に侮られながら生活をしています。彼らが、つらかったのは、生活の苦しさもあったでしょうが、一番は、お前たちの神は、いったいどうなってしまったのか、どこにいるのか、という問いだったと思われます。
 しかし、彼らは、神不在と思われる状況のなかにあって、なお、真の神様への信頼を失いません。そして、それによって、希望と安らぎをえているのです。「主よ、覚えていてください」。そして、「神を待ち望め」。彼らは、苦しい、厳しい状況の中にあって、神様を呼び求め、神様に報復を願い求め、自分たち自身、神様を信頼することを忘れるな、ひたすらに神様に願い求めよ、神様が力を与えてくださるのを待ち望め、そのように言い聞かせるのでした。
 信仰という言葉の意味をいろいろな言葉で説明することができますが、今日、私は、信仰とは、神様に最後まで期待すること、神様を待ち望むことなのではないかと思いました。信仰とは、いつまでも待つことです。待ち続けることです。
 実際の生活がいかに苦しくても、現実は、日々耐えがたいものであっても、神様が、私たちの日々の歩みを支配しておられる、ならば、それはきっと出口は用意されているのであって、そのことを信頼することです。コリントの信徒への手紙一の10章13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」。
 前に扱いました詩編23編は、ダビデの詩でした。「主は羊飼い。私には何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」で始まるとても美しい、安らぎを感じさせる、詩です。ところが、彼の現実は、息子のアブサロムの反乱によって、逃げ惑っているという状況でした。負(マイナス)の状況でありながら、正(プラス)の状況を見ることができる、それが信仰ではないでしょうか。ダビデは、どうして神様、このようなことが起こったのでしょうか。
 確かに、アブサロムとは、確執がありましたが、このような形で、彼に注いだ愛情の実を刈り取らねばならないとは、なんと、つらいことでしょうか。そういって、彼は、神様に訴えることもできたでしょうが、そのことをしていません。そして、神様への信頼を持ち続けるのです。「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがたわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」。
 23編は、敵への報復を求めている内容はありません。ただ、敵が自分をいかに苦しめようとも、神様によって自分は守られ、平安を現在与えてもらっているといった確信に貫かれています。
 さて、このような信仰はどこから来ているのでしょうか。それは、彼らが、神様の恵みをそれまでの彼らの人生の中で、かみしめているからでしょう。愛されたことのない者に、愛の何たるかを理解することはできません。神様の愛を経験した者のない者には、神様の愛を語ることはできません。彼らは、神様から愛され、そして、彼らもまた、神様を裏切ることはありましたけれども、最終的には愛していたと思われます。彼らは、神様の愛を十分に知っております。確かに、国は滅びてしまいました。
 神様は、どうして、そのようにユダの国をしてしまったのか、そのとき、彼らは、自分たちの背きの罪に気付きました。しかし、それを神様は今は赦してくださっていると感じています。だからこそ、ここでも神様により頼んでいるのです。
 ここ日本は、キリスト者にしてみれば、異教の地です。99%以上の方々が、キリスト教以外の宗教を信じているか、神様を信じていない人々です。キリスト者たちには、この日本は、決して、自分たちのホームグランドではありません。日本に住むキリスト者たちは、神道系行事が、逐一報道されるのに比べ、ほとんど取り上げても、もらえません。私たちを取り巻く状況は、まったく同じとは言えませんが、たとえば、戦前戦中のような時代になれば、この詩編の内容とそれは同じになる可能性は十分にあります。
 教会は、社会的にもキリストの証しをすることがありますが、それも、あまり取り上げられることはありません。キリスト者は少ないのですから、無視されても致し方のないのかもしれせん。キリスト者だからといって、からかわれることもあるでしょう。
 しかし、神様への信頼を忘れず、信仰をしっかりと保ち、歩み続けることを教えられます。平安、幸福、などとは、ほど遠い状況のなかに、それを見い出します。それが信仰です。コリントの信徒への手紙二の4章の18節でパウロも言っています。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。


平良 師

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