平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2013年12月1日 囲いに入っていないほかの羊も

2014-06-21 12:39:48 | 2013年
ヨハネによる福音書10章7節~18節
囲いに入っていないほかの羊も

 イエス様は、ヨハネによる福音書の中で、ご自身のことをいろいろなたとえを用いて表現されました。いのちのパン、世の光、まことのぶどうの木、などです。ここではまず「私は羊の門である」と言われています。私を通って入る者は救われるとありますから、イエス様は救いへと至る門ということになります。羊は神様の創造された人間です。羊は、この門を出入りしながら、牧草を見つけることができます。わたしが来たのは、羊が命を得るため、それも豊かに受けるためだと言われていますので、牧草を見つけることができるというのは、命を得られるということです。
 そして、イエス様より前にこの囲いの中に来た者は盗人であり、強盗であるとまで、言われます。つまり、イエス様より前に来た者は、羊を盗んだり、屠ったりする者、羊の命を奪い滅ぼす者です。ここではファリサイ派をイエス様はそのように見ているようです。なぜなら、10章の6節で、「イエスは、このたとえをファイサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のこと分からなかった」とあり、ここでは痛烈な非難をなさったと考えられます。
 ファリサイ派は、イエス様が来られる前から、活動しており、ユダヤ人たちに律法に忠実に生きることを教えておりましたが、その内実は、盗んだり、屠ったりと、まさに滅びへと誘っているようなありさまであると言われているのでしょう。事実、救いからもれた者たちだとの宣言に近いものを彼らは、特に律法をないがしろにしていると思われる人々に対して、行っていました。そうしたファリサイ派の天国の門を閉ざすような振る舞いに対して、イエス様は鋭く反応なされて、ファリサイ派の人々を泥棒、強盗呼ばわりしたと思われます。
 少なくとも、自分の行いによって神様に義と認めてもらおうとする姿勢は、結局のところ、完璧に罪を犯さないなど、誰にもできるはずもなく、ただ、神様の恵みを無駄にし、滅びに向かっていくことだとの理解をイエス様はなさっておられました。
 それから次に、イエス様は、「わたしは良い羊飼いである」とご自身のことを言われました。良い羊飼いに対しては、雇い人と比較することで、その違いを述べます。雇い人は、狼が来るのを見ると、羊をおいて逃げるが、良い羊飼いは、羊たちのために命を捨てます。雇い人は、羊たちは自分の所有のものではありませんから、羊たちに何があろうとお構いなしでした。自分たちの命をかけて、羊を守るかというと、そこまではしませんでした。雇い人は、狼が襲ってくるような場合は、自分の命の安全を選んだようです。おそらく狼は群れをなして、やってきたことでしょうから、それは命の危険が当然ありました。「狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」と書かれています。
 しかし、良い羊飼いは、羊のために命を捨てると再三、この箇所では、イエス様は執拗に、ご自身についてこのように語りました。ヨハネがとらえたイエス様はそのようなお方でした。そこで、私たちは、イエス様が、このわたしのために、わたしをイエス様の羊としての扱いをしてくれるために、十字架におかかりになったことを思い起こします。
 それから、イエス様は、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける」と言われました。今日は、特に、この聖書の御言葉に注意したいと思っています。囲いというのは、ユダヤ人という枠を指していると思われます。
 ですから、囲いに入っていないほかの羊というのは、異邦人や徴税人や律法を守らないいわゆる罪人たちを指しているでしょう。救いが及ぶ範囲は、決して、ユダヤ人だけではありません。また、当時はユダヤ人のなかでも、律法を守っている者だけということになっていましたが、そうではない、罪人にもそれは及ぶことをイエス様は言われています。囲いの外にいる羊たち、者たちにもその救いは及ぶことを言われました。また、現代で言えば、囲いの内は、キリスト者たちの群れ、教会と考えることができます。
 しかし、イエス様は、教会の外の羊をも、導かなければならないと言われます。ここに、私たち囲いのうちにいる者たちの使命があります。まだ、イエス様のことを知らない人々に、イエス様のことをお知らせする使命があります。伝道をすることの使命があります。それから、外にいる羊たちの中に、羊飼いであるイエス様の声を聞き分けることのできる羊たちが大勢いるのです。
 特に、日本という国は、99.2%の人々は、イエス様のことを知らないでいます。先週、ミッションボランティアでカンボジアに行かれていた嶋田神学生のご報告にもありましたように、現在、カンボジアでもキリスト教徒の数は、2%だそうです。日本は、0.8%です。日本には99.2%も囲いの外にいる羊たちがおられます。そうでありますが、イエス様は、「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」と言われました。また、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊も導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける」と言われました。
 ところで、このように、自分の羊、とか、その羊もわたしの声を聞き分ける、とか、言われますと、ここには、選びの問題があるようにも思えるのです。イエス様が自分の羊とする人々がいる、誰でもではなく、イエス様の声を聞き分けることのできる人々と、そうでない人々がいる。けれども、わたしたちにできることは、種まきしかありません。
 イエス様の声を聞き分けることのできる人もおれば、そうでない人もおられる、イエス様が自分の羊と言われる羊もおれば、そうでない羊もおられます。私たちには、99.2%の人々に種まきをするしかありません。しかし、イエス様がこの世に来られたことによって、ユダヤ人だけに限られていた救いの範囲が、あらゆる人々といっていいほどに、随分と広がったことはわかります。
 さて、私たちは、平尾教会の伝道の業について、この聖書の箇所からいくつかの示唆を得られるでしょう。一つは、羊たちにとっての門が、イエス様であるということ、それは現代の見える形ということで考えると、キリストの体なる教会も、そのなかの一つと言えます。ある形をイメージするのですが、キリスト者でない方々でも、その教会に出入りしているうちに牧草を見つける、命に至るということです。
 平尾教会の礼拝に出席したり、しなかったり、大名である礼拝に出席したり、しなかったり、教会のいろいろな行事に参加したり、しなかったり、その他、大名で誰かのコンサートがあり、それを鑑賞に来たり、映画や演劇があり、それを見にきたり、その他のイベントに来たりで、私たちの教会とのかかわりを持つなかで、礼拝につながり、救いへと至る、命へと至る、そのことが起こることを願っているのです。こういう形で、広く多くの方々に種まきをしているのです。
 それにもう一つは、囲いの外にいる大勢の羊たちに対して、教会はいつも開かれており、囲いのうちへと招くことが求められています。そのためにも、現在、行われている平尾と大名での伝道の業は、囲いの外にいる人々に向けられています。日本人の99.2%の人々に向けられています。平尾では、特に、こどもたちに向けられた行事が大名に比べると多いでしょう。こども特別集会、児童祝福式、もちつき、こどもクリスマス、教会バザーのこどもコーナーなど、結構な数になります。
 これらのことがらは、これからも、平尾がその場としてはふさわしいでしょう。また、大名では、町の中心部という特性を生かし、不特定多数の多くの人々に来てもらうイベントについては、適していると考えられます。最近行われた、被災地をおぼえての支援のバザーや、また、昨日の久山デーのコンサートとバザーにも、随分の人々が来てくださいました。囲いの外にいる人々が大勢来られました。
 被災地支援のバザーは、今年からできた被災地を忘れないミニストリーであり、久野姉を中心に、今回は、渕上姉の指導によるデコパージュなどの作品の販売により、4万円以上の献金をすることができました。また、久山デーは、主催は、久山療育園でボランティアをされている方々のグループでしたが、教会も後援という位置づけで協力をさせていただきました。当教会の窓口は、久山をおぼえるミニストリーでした。久山デーは、久山療育園をおぼえていただくと同時に、ケアホームを建設するためのチャリティーコンサート、バザーでもありました。
 そして、たくさんの人々の応援をいただき、これはかなり、広範囲な方々の支援を得られました。ファゴットの埜口さんやジャズピアニストの立花さんや地元ではかなり著名な方々、また、久山のテーマソングになっている「たとえばわたしが」の作詞作曲をされた鳥栖教会牧師の野中さんや姪浜教会の鈴木姉など、そして、久山ボランティアの方々、いくつかの連合の教会からの有志の方々、久山に通園している方々とその家族、久山の職員の皆さん、そして、平尾教会のフラチーム、女性会の方々、ほかにもたくさんの手伝いを得て、行われたのでした。
 そして、私たちは、久山療育園へのお手伝いと同時に、この地にキリストの教会があることを知らしめ、教会のクリスマスの案内と教会案内をお配りもできました。一つのお証になりました。また、昨日は、久山デーのあとに、アイラブ天神というNPOグループ主催で、天神大名の教会めぐりという企画があり、大名カトリック、日本キリスト教団中部教会、警固教会、そして、大名クロスガーデンと4つの教会めぐりがなされ、最後が大名クロスガーデンでした。
 主催者側によると、初め、20名くらいということでしたが、募集をしたところ、希望者が多くて結局40名にしぼったということでした。40名という段階で、それも、久山デーの直後ということで、少々難しいと判断し、お断りをいったんしたのですが、よく考えてみると40名の方々が教会に足を踏み入れるということを考えると、ちょっともったいないかな、と考え直し、受け入れることにしました。
 私と森牧師で、二手に分かれたグループに対して教会を案内しました。そして、森牧師が、クリスマスの案内を致しました。そのあと、ぶどうの木で、コーヒーとケーキを召しあがってもらって、帰られました。ケーキは、女性会の方々が5種類ものものを出してくださいました。昨日だけで、およそ延べ人数300名以上の人々が、平尾バプテスト教会大名クロスガーデンを訪れたでしょう。囲いの外にいる99.2%の人々への種まきを致しました。
 12月7日(土)もまた、コールジョイとチャイムアンダンテのご奉仕によって、当教会主催のクリスマスコンサートを行う予定です。こちらは、伝道委員長の諸岡兄が責任をもっておられる伝道委員会が担当されます。しかし、二つの演奏グループを指導されているのは、青野詔子姉です。昨年は、このコンサートは、120名の入場者がありました。
 11月23日の被災地支援のためのバザー、30日の久山デー、12月7日のクリスマスコンサートと、三週続けて、私たちは、大きなイベントを行います。否、それから、12月14日は、平尾でのこどもクリスマスとなっていますから、4週続けてということになります。それぞれ、担当される方々は、異なります。奉仕が重なる方々もおられますが。このような教会は、めったにあるものではありません。一部の人々ではなく、実に多くの方々が、ほんとうによく種まきをしています。
 これまでは委員会が、多くのものをそれぞれ分類して、束ねてきたのですが、このように、ミニストリーでできることによって、それぞれ、したいことを集中的に行っていくようになれば、それは、好きなもの、関心のあるものは、皆さんの取組方も違いますので、よりいいものができる可能性が高くなります。そのかわり、今回のように、ミニストリーをされる方々にかなりの自由裁量を認めることになります。お掃除などもミニストリーということになれば、それだけを考えるということになりますので、より徹底した美化が図れることでしょう。
 ところで、ヨハネによる福音書10章の16節の後半には、このようなイエス様の言葉が続いております。「こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」。羊飼いは、イエス様です。イエス様に導かれて、私たちは、種まきの業も行っています。そして、その業を行っている者たちの群れを一つにしてくださるのもイエス様です。わたしたちに先立っておられるのは、イエス様です。羊たちが命を受けるために、豊かに受けるために、イエス様は、この世に来られ、私たちのめに、命を捨ててくださいました。しかし、そのようなお話の内容を伝えるのは、イエス様を宣べ伝えるのは、私たちの使命です。私たちの教会は、囲いの外にいる方々に思いを向けます。イエス様が、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊たちもいる。その羊をも導かなければならない」と言われているからです。
 今日は、午後から臨時総会を行います。ある意味では、教会がさらに囲いの外にいる方々に福音を宣べ伝えていくための事項について、話し合うときだと言ってよいでしょう。議案に対して、賛成される方もあれば、反対される方もおられるでしょう。双方がよかれと判断して、決めることです。どのような結果になろうとも、それぞれが、イエス・キリストの福音宣教を思って決断したことであれば、互いを赦し、互いを讃えながら、新たなる一つの群れを目指しつつ、歩みをなしてまいりましょう。
 「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊たちもいる。その羊をも導かなければならない」。私たちイエス・キリストの教会は、このイエス様のご意志に対するお手伝いをこれからも行ってまいりましょう。


平良師

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