平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2013年12月24日 恐れるな

2014-07-02 18:58:46 | 2013年
(キャンドルサービス)

ルカによる福音書2章1節~20節
恐れるな

 恐れは、誰にもあります。現在、恐れと不安の中にいます、とお答えになる方がこの中にどれくらいおられるでしょうか。私たちの日常には、平和な生活を脅かす多くの事件や事故があります。また、近年の自然災害も脅威です。地震や集中豪雨、竜巻、台風など大きな自然災害の脅威にさらされています。原発の問題も、もう無視のできない大きな脅威となってきました。
 その他、恐れには個人的なものもあれば、これからの日本社会を考えて、そのように思っておられる方もおられることでしょう。確かに、これからの日本は、どうでしょうか。先日、特定秘密保護法案が、可決されました。私たちの日本は、これを皮切りに、軍備が増強されたり、戦争ができる国になったり、徴兵制が復活したりと、これまでの平和がウソであったかのような時代がくるのではないかと恐れを抱いている方もいます。自由で平和な国だったのが、じわじわと崩れていくようで不安でならないと思っている方々も少なくありません。
 経済的には税金が高くなり、その分、物価も高くなっていくことでしょう。収入がそれに伴いあがることが予想される方々はまだしも、そうでない方々はどうなっていくのでしょうか。医療費負担の値上げ、福祉関係の予算の削減も心配され、これからの生活を思って不安になっている方も少なからずおられるでしょう。力のない弱い貧しい者がますます追い詰められたり、路頭に迷うような、そんな社会になりはしないかと、不安におののいているのです。
 そうです、社会的には、大きな不安の中にあるといって過言ではありません。そうなのでありますが、一庶民の力など、大きな権力の前には、ひと吹きのチリに過ぎません。
 このとき、ヨセフとマリアも、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出て、住民登録のために自分の生まれたダビデの町ベツレヘムへ、ガリラヤのナザレから旅することになったのでした。ローマ帝国が、税金をしっかりと集めるために行った人口調査でした。こうした国家の政策によって、小さな市民の暮らしは、波間を漂う木の葉のように翻弄されていくのです。このときも、いいなずけのマリアは聖霊によってみごもっておりましたが、こうした長旅は、とても危険な旅だったと言えるでしょう。それでも、ローマ帝国という強大な国の政策に抗うことなどできるはずもありません。マリアとヨセフは、お腹の中にいる小さな命をかばうように旅し、ようやくベツレヘムに到着しました。
 ところが、ベツレヘムの滞在中に月が満ち、マリアは、旅先ではじめての子を産まねばなりませんでした。初めてですから、これもまたいかに不安であったことでしょうか。しかも、彼らには、泊まる宿はありませんでした。それもそのはず、人口調査のために多くの人々が当時としては世界的な規模で移動し、それぞれの土地に戻ってきていたのですから、宿屋はどこもいっぱいでありました。それで、いたしかたなく家畜小屋で出産をすることになり、そこの飼い葉桶に、生まれた子は寝かされることになったのでした。私たちの人生は、自分たちの自由意思で動いているようでも、時代やそのときの生きている場所、社会という大きな枠のなかで、実は、根本的な動きを定められているものです。外から与えられる不安材料は、計り知れません。
 それから、少なくとも、当時、救い主を待ち望んでいた人々は、この世の救い主ですから、一国の王子のようにもっと立派なところにご降誕されるだろうと、期待しておりましたが、それが家畜小屋というのは、意外であったことでしょう。
 一方、この子の誕生の知らせは、その地方で羊の番をしていた羊飼いたちに真っ先に届きました。何故、彼らだったのかはわかりません。それは、夜、彼らが野原で野宿しているときのことでした。一説では、逆に、いと貧しき者のところにこそ、救い主誕生の知らせが真っ先に届いた、ということです。当時は、羊飼いたちというのは、蔑まされた仕事だったようです。彼らは、その日、いつものように夜通し羊の番をしておりました。そこへ、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、羊飼いたちは非常に恐れたとあります。異常な明るさがあたりを包んだものと思われます。それで、彼らは非常に恐れたのでしょう。
 天使は、「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなたがたは、布にくるまっている飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と言いました。恐れるな、とは、異常な明るさに驚いている彼らに言っていると直接的にはとれますが、しかし、これは、日々の生活のなかに不安を抱えて生きているすべての人間に述べている言葉として、受け取りたいと私は思います。
 羊飼いたちは、家族を残して、羊の世話をしています。その生活は、不安定極まりないものであったと思われます。周りからも家族を顧みない者たち、羊たちを連れて他人の土地を荒らす者たち、いろいろなことを彼らは言われておりました。それゆえ、律法を守らない彼らは、罪人のなかに入れられて、救いからもれた者たちと考えられておりました。しかし、この羊飼いたちは、まさに、現代社会でその日その日一生懸命に働いている私たちの姿ではありませんか。
 なかには、明日に希望を見出せずに、ただ、ひたすらに今を生きるために働いているだけという方々もおられるはずです。羊飼いたちも、夜の深い闇のなかで、野の獣たちから羊を不安なおももちで守る仕事をこのときもしておりました。今、働いている人々の中には、家族を顧みることも許されないほどの忙しさのなかに生きている方々がおられます。弱肉強食の競争社会に生き残りをかけて生きています。それでいて、明日に希望をつなぐことができず、ただ闇の不安のなかで生きています。
 このイエス様の時代の羊飼いたちとそれはあまり変わらないかもしれないのです。その彼らのもとに、真っ先に救い主誕生の知らせが届きました。「恐れるな」。その喜びは、民全体に与えられるものですよ、日々労しているあなたはもちろんのこと、しかし、あなただけではない、すべての人々に与えられる喜びです。それも、大きな大きな喜びです。それは、あなたがたのために救い主がお生まれになった、という知らせです。
 そう、あなたがたのために、です。救いからもれたと言われていたあなたがたでしたが、これからは、そうではありません。そして、むしろ、この家畜小屋でお生まれになったお方は、あなたがたのための救い主です。あなたがた、そして、同時に、すべての人々にとってもそのお方は、救い主になられるお方です。
 私たちは、不安を抱いたとき、いったい誰を頼りにするのでしょうか。否、だれをも頼りにしないという強い方もおられます。あるいは、自分は、そんなときには、誰それと頼りにする人は決まっているから大丈夫と言われる方もきっとおられます。そのような方は、とても恵まれた方でしょう。ですけれども、もし、そう強くもないあなたに、頼りにしていた方がいなくなったときにはあなたはどうされますか。なかには、自分には誰も頼る者などいない、という方もおられるでしょう。あなたがたのための救い主、つまり、あなたのための救い主が、イエス様だと聖書は述べているのです。
 だれも頼る者がいない、否、いたけれども、今はいなくなった、まさに、そのようなあなたのための救い主ですよ、その方が、お生まれになった、それがクリスマスの出来事です、と聖書は述べるのです。このお方だけは、あなたのために救い主となってくださるお方です。あなたと共に歩んでくださるお方です。ですから、もう、ひとりでも大丈夫なのです。
 それは非常に喜ぶべきことです。「恐れるな」と述べる根拠は、あなたのためにあなたの救い主がお生まれになった、ということです。
羊飼いたちは、そのお方は確かにあなたがたのめのお方であるという、しるしを示すから行って、そのことを確かめるといい、と天使に言われました。
 「いと高きところには、栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」、そう天使たちは、讃美しました。神には、栄光があれ、御心に適う人には、平和があれ、平和とは前にも言いましたように、平安といってもよいのです。平安、それは、恐れとは対極にある言葉です。救い主がこの世に来られて、私たちに与えられるのは平和、平安です。「恐れるな」、恐れることは必要ないのです。
 ここに登場しているヨセフもマリアも、羊飼いたちも、それは、日々、恐れと不安の中に生きている私たちの姿でもあります。大きな権力のなかで、大きな社会の流れのなかで、夜の深い闇のなかで翻弄されて、小舟のように波間に漂う私たちの姿です。生活の安定や保証もなく、将来に希望も持てずに、そうでありながらも、今を生きるために、ただ一生懸命に働いている私たちです。ちょっとした嵐にも、すぐに呑み込まれてしまうほどの危うさの中で生きている私たちです。
 しかし、この救い主は、民全体に告げられる喜びのお方なる救い主でありますが、もっと大事なことは、あなたがたのための救い主なのです。否、この使信を聞いたあなたのための救い主なのです。そして、このお方は、「恐れるな」とあなたに言ってくださるお方なのです。
 なぜなら、このお方は、神の御子でありながら、家畜小屋で生まれ、飼い葉桶の中に寝かされるという、この世の一番低みに来て下さったお方であって、生まれたときから、誰よりも、この世の貧しさと人々の痛みと苦しみを知り、そして、生涯の終わりには、私たちのために十字架という苦難に遭われ、三日目に甦らされ、この世の一切に勝利された方だと聖書によれば証言されています。そして、今もなお、私たちと共に歩んでくださっておられるお方なのです。このお方が、「恐れるな」と言われます。
 羊飼いたちは、天使たちが去ったとき、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と言って、でかけていきました。そして、まさに、その御子を見つけ出して、天使たちの言っていたことが本当だったと、神様を讃美しながら、帰っていったのでした。
 この世のキリスト者たちも、かつては、救いからもれたとされていた羊飼いたちのような存在でした。しかし、聖書をとおして、聖書からこの世を見る目をいただいて、主が知らせてくださった救いの御業を確かめることができました。
 今宵、ここにお集まりの皆様も、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と、聖書の世界へでかけてきてくださった方々であることを知っています。キリスト教のはじめの物語の中へ、一歩を歩み出された方々です。
 救いがここにお集まりのひとりひとりに、新たに訪れますように。そして、これから「恐れるな」と言って下さる方が、それぞれの方々の人生に共にいてくださいますように。


平良師

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