平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2008年11月2日 放蕩息子の父

2009-02-23 23:04:30 | 2008年
ルカ福音書15章11~32節
     放蕩息子の父

 神様は、私たちに自由意志を与えておられます。神様に背を向けて人生を歩むことも自由ですし、神様に向かって歩むことも自由です。神様は、私たちを愛しておられるので、自由意志をお与えになられました。ご自分のロボットとして、言いなりになる存在としての人間を造られたのではなく、人間は自ら自由に考え、振舞うことのできる存在として、お造りになったのです。まさに、神様に似せて、人間を造られたといわれるとおりです。

 しかし、神様は、ご自分が愛をもって創造した人間が、その自由意志で神様を愛し、神様に従い、神様のもとへ戻ってくることを願っておられるのです。にもかかわらず、人は、神様のもとから遠く離れ、神様に背を向けて歩んでいます。これが、罪なのだと聖書は私たちに教えております。

 この15章には、放蕩息子のたとえ話の前に、二つの譬え話が書かれてあるのですが、それらもまた、同じテーマのたとえ話になっています。

 はじめは、一匹のいなくなった羊のお話です。100匹の羊を持っている人がいて、1匹がいなくなり、その羊のことを探し回り、見つかったら近所の人々を集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言うだろうという話。次は、10枚の銀貨を持っている女性がいて、1枚をなくして、家中をくまなく探し、それを見つけて、友達や近所の人たちを呼んで「無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください」という話です。そして、どちらも最後の方で、このように悔い改める一人の罪人について、天では大きな喜びがある、と言うのです。

 この放蕩息子のたとえ話も基本的には同じです。ある人に二人の息子がいました。父親が神様で、二人の息子が私たちです。しかし、二人の息子は立場を異にしています。それは、これらのたとえ話が、どのような状況の中で語られたかをみるとわかります。

 「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている、と不平を言い出した。そこで、イエスは次のたとえ話をされた」というので、このあと、3つのたとえ話をされたのでした。ですから、放蕩息子の弟は、徴税人や罪人であり、兄は、ファリサイ派の人々や律法学者たちということになります。

 さて、その弟が、あるとき父親に対して、自分が受け取ることのできる財産の取り分をくれというのでした。父親は分けてやります。神様は、私たちが神様に背を向けて生きていくとき、それを強引に引き留めることをなさいません。その自由さをも受け入れられるのです。

 彼は、それらをお金に換えて、遠い国に旅立ちました。神様に背を向け、離れ、遠い国に行ってしまう、つまり罪のはじまりです。そこから始まって、具体的な諸々の罪を犯すようになるのです。

 彼は、放蕩三昧をして、ついに財産を無駄に使ってしまったのでした。それから、その地域が飢饉となります。彼は食べることにも困りはじめます。そこで、ある人のところへ身を寄せるのですが、この人はユダヤ人である彼のことをまったく考える風はありません。なぜなら、ユダヤ人が、汚れた動物として忌み嫌っていた豚の世話をさせるくらいだからです。そこで、腹をすかしている彼は、その豚が食べているエサのいなご豆を食べてでもお腹を満たしたいと思います。それほどに落ちるところまで、落ちてしまっていたのでした。

 しかし、そのような憐れな彼に、食べ物を与えてくれる優しい人は誰もいなかったのです。親身になってくれる人は誰もいませんでした。そこで、ようやく彼はわれに返ります。思えば、父親のところでは、あんなに大勢の雇い人にも有り余るほどのパンがあった、父親のところは、あんなに恵まれていて、豊かだったのだ、と、今になってそのことがわかるのでした。しかし、今自分は、ここで飢え死にしそうになっているのです。

 彼は、父親の家に帰り、「お父さん、わたしは天に対しても、また、お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と言おうと考えました。甘いといえばとても甘い弟息子です。ある意味では、父親を捨てて勝手なことをやったのです。彼が落ちぶれて果て、飢え死にしそうになっているのは、自業自得でした。

 それでも、父親のところに戻るしか、彼には道がなかったのです。彼は帰っていきました。「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」とあります。ここには、失われた羊、なくした銀貨のたとえ話のように、99匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回る、羊飼いの姿、また、ともし火をつけ、家をはき、見つけるまで念を入れて捜す女性の姿と、重なる父親の姿があります。

 「まだ、遠く離れていたのに、父親は息子を見つけ」とあります。父親が、来る日も来る日も、息子の帰りを待っている姿を想像致します。そして、その息子をみつけたとき、「憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」のです。

 放蕩息子は、父親に用意してきた言葉を語ろうとします。ところが、「もう息子と呼ばれる資格はありません」と言って、「雇い人の一人にしてください」と言おうとしたら、その言葉を遮るようにして、父親は、僕たちに言いつけて、「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい」と言ったのでした。

 それは、父親が、この放蕩息子をかつてのように愛する自分の息子として扱おうとしたことを意味していました。それだけでなく、肥えた子牛を屠り、食べて祝おうと、言ったのでした。当時としては、最高のご馳走だったことでしょう。そして、そこまでこの父親がするのは、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」ということでした。

 この父親にとって、自分のところから離れて遠くへ行ったということは、死んだも同然だったのでしょう。その息子が戻ってきた、それは死んだ息子が生き返ったことを意味し、いなくなっていたのが、見つかったことでもありました。息子が死ぬ、いなくなる、それはどんなにか、つらいことだったでしょうか。ですから、父親の喜びはこのうえもないものだったのです。

 私たちが、神様のもとから遠くはなれて行ってしまうことを神様は悲しまれます。そして、もし出て行ったのなら、その帰りを待っておられるのです。父親が、戸外に出て、出ていった息子を今か今かとおそらく毎日のようにして待っていたように、私たちのことを待っておられるのです。私たちが、神様の恵みにより日々守られていたことを知らずに、その家を飛び出し、勝手きままに生きていたとしても、その自分の過ちに気づき、父のもとに返ってくるなら、父は、いつでも両手を広げて、私たちを迎えてくださるのです。

 ところで、このお話の後半には、兄が登場してきます。この兄は、これらのたとえ話を始めるきっかけを作った、ファリサイ派の人々や律法学者と考えられます。ファリサイ派は、当時の社会規範であった律法を徹底して実践しようとしていた人々でした。また、律法学者は、その律法の研究家でした。ですから、これらの人々は、当時の社会にあって、とてもまじめで、正しい人々と目されていたのでした。イエス様が、徴税人や罪人(律法を守ろうとしない人々)と食事をしていることを赦すべからざることと捉えたのでした。

 そのファリサ派、律法学者の代表者として兄は、描かれているようです。その兄は、父親が、放蕩三昧をして帰ってきた弟を手厚く迎えたことを聞いて、おまけに祝宴までしていることにとても腹をたてます。そこで家の中へ入って来ようとしません。それで、父親が、外に出てきて、この兄をなだめるのです。

 この父親は、兄息子もまた、弟息子と同様に愛しています。兄はこのように言いました。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったはありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。

 兄は、父親に仕えてきました。従順に父親の仕事を手伝い、一緒になって働き続けてきたのでしょう。その父親の言いつけに背いたことも一度もないと言い切るのです。そして、そうした自分が友達と宴会をするときには、子山羊一匹すらくれなかったと、その不平等を嘆いているのです。

 彼の中には、正しいことをする者は、それなりの報いを受けて当然、それが、自分には何もなくて、父親を捨て、放蕩三昧をして、父親が働いて蓄えたものをまたたくまに遊びに使った、この好き放題やって身を持ち崩し、帰るところがなくて帰ってきたような弟を父親は、帰ってきたというだけで、赦し、大いに喜び、かつてのような息子としての扱いをしてやる、おまけに、最高のご馳走までふるまって、祝宴までしているというので、非常に腹を立てたのでした。

 それに対して、父親は何と言ったかと言いますと「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて、楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。まず、兄は、いつも父親と一緒にいる、神様と共にいる、それだけで十分満足すべきなのではないか、ということです。一緒にいたがために、破滅の道を歩まなくてもよかったのです。

 弟のように、豚の世話をさせられるといった屈辱を味わうこともありませんでした。また、弟がいなくなっても、兄に何かの仕事が増えて、実害を被ったということもなかったと思います。大勢の雇い人がいたのですから。それに、父親が所有していたすべてのものは、今や、兄のものなのです。何の不足があるでしょうか。

 正しいことを願い、正しいことを行っているつもりの人は、他者に対して、ときに厳しすぎることがあります。自分が正しいと信じているがゆえに、そうできない人を赦せないことも多いのでしょうか。父親は、兄に、お前のあの弟は、と言いました。父親にとっては息子ですが、この兄にとっては、愛すべきお前の弟ではないか、ということです。

 そして、「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった」のだと言いました。父親のもとから離れて遠い国に行った、それは、神様に背を向け、罪を犯した結果、至る、死という滅びを意味していました。それが、生き返った、そして、いなくなっていたものが、見つかった、それほどの喜びなのです。祝宴を開いて喜ぶのは、当たり前ではないか、というのでした。

 それは、15章の7節のいなくなった一匹の羊のたとえの最後のところの言葉「このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99匹の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」、この放蕩息子のたとえ話では、悔い改める一人の罪人というのが、弟の放蕩息子でしょう。そして、悔い改める必要のない99匹の正しい人の側に、位置していたのが、兄だったでしょう。

 ところが、本当に、兄は、悔い改める必要はないのでしょうか。父親は、兄にも、自分と同じように、この弟のことでは、喜んで欲しかったと思います。自分のことしか考えることのできない兄の姿こそ、ひょっとしたら、弟よりも、問題とされるべきなのかもしれないのです。

しかし、父親としての神様は、帰ってきた弟を憐れに思い、また、戸外にたって入ってこようとしない兄をなだめる、といった具合で、両者に対して愛情を注いでいるのです。この父親がもし神様というなら、毅然として、裁きを下すべしと考える人もいるかもしれません。しかし、イエス様が語る父親たる神様は、とてもやさしく、すべてを赦される神様です。弟息子をしかれない、兄をもしかれない、そのような弱々しい方なのです。

 イエス様は、このお方こそ、私たちの創造主なる神様であられると私たちに教えておられるのです。それほどに私たちを赦し、受け入れてくださる深い愛のお方であられるということです。

この父親は、いなくなった迷子の羊を捜す羊飼いです。なくなった一枚の銀貨を捜す女性です。そして、まだ遠くにいるのに、めざとく息子だと認めて、かけより、抱いてくださるお方なのです。それは、神様です。

 神様は、確かに、私たちがこの父親のもとに立ち返ることができるようにと、私たちを捜し求め、見出してくださるお方です。ヨハネによる福音書の15節の16節にも「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」とあるとおりです。しかし、同時に、また、私たちが神様の元へ自ら戻ってくることも願っておられるし、そのことをたいへん喜んでくださるのです。

 今日、神様のもとへ一歩でも立ち返りましょう。神様は、まだ遠くにいるのに、つまり、完全には神様の方に近づいてはいないもにもかかわらず、まだ遠くにいるのに、わたしたちの存在にお気づきになり、神様の方から、かけよってくださり、懐に抱いてくださるのです。


平良師

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