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迷歩録  さえずる

2018-03-08 10:18:39 | 日記
  日が暮れて  しとしと落ちる  春雨や  啓蟄騒ぐ  高隈裾野


                                 <strong>ひのひら  ろくべえ




      高隈裾野のでは、早朝から鶯が「さえずる」季節となり、畦道には所狭しと菜の花が

     その綺麗さを競い合っている。

      鳥たちは恋をして、相手を探すためにより良い声で「さえずる」と聞く、恋のコミュ

     ニケーションである。梅の木や、椿の木、桜など多くの花咲く木のもとで「さえずり」

     恋を繰り返す。春である。

      人間は言い訳や、うそぶくために「さえずる」今、国会で「さえずり」を行っている

     人達は、そこには何のロマンもない。悲しいことではないだろうか、書き換えを行った

     行っていない、と繰り返すだけではなく、他者がなるほど、凄いと思うような「さえずり」

     は、できないものなのだろうか。

      大事な国の書類が書き換えられるとは一大事、しかしそのことが庶民の生活にどのように

     影響を与え、どのような不利益が生じるのかを、質問すべきではないだろうか。隠す方も

     隠す方、質問追及する方も、質問追及する方ということになる。国民には分かりにくい論戦

     が繰り返されているのに過ぎない。国会という舞台で「さえずる」時は、国民に解るメッセ

     ージを込めて「さえずり」を行ってほしいものである。

      鳥たちのコミュニケーションの多くは、「さえずり」という行為から始まるのであろう。

     暖かくなった途端、早朝からホーホケキョと「さえずり」が始まる。ホーホケキョに起こ

     されて、朝が来る、朝はどこから来るかしら、林の中の鶯の声から来るかしらといった感じ

     である。

      いずれにしても「さえずり」はとても大切なコミュニケーション手段、その手段を有効に

     活用して、社会を良き方向に導いてほしいものである。