gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録  わだかまり

2018-03-15 11:40:40 | 日記
  八重椿  光に向かい  紅色に  薄く広がる  雲に浮かぶや


                                 ひのひら  ろくべえ






    マスコミの中心的話題は、森友学園問題、官僚の証人喚問を認め、ついに、トカゲのしっぽ切りが

   始まったようだ、尻尾を切って、頭は助かろうというこんたんだろうが、国民は頭がだれであるかは

   予測がついている。なのに、逃げることばかり策略して、自分の手足であった官僚までも犠牲にしよ

   うと、責任は官僚がやったことという、鞘の納め方をもくろんでいるように見える。

     官僚は「わだかまり」を持ちながら、証人喚問に応じなければならないのではないだろうか。

    国民に対する、奉仕を第一に行った仕事が、実は政治家に利用されるだけの仕事だったと気づけ

    ば、落胆どころでなく、人間性そのものまで自己否定せざる負えない所に追い込まれるのではな

    いだろうか。

     そのような状況の中で、政治家たちは自己の身の保全だけに、動き回り、人の命さえ踏みにじ

    る。そんな人間の懐には「わだかまり」というものはないのであろうか。

     国民の財産をめぐる私物化、身内に便宜を図る行動を繰り返し、傲慢で驕り高ぶった政治をし

    てきたことの責任は重たいのであろう。

     民主主義の根幹である、三権分立を無視して行政を指導してきた現政権与党、今になっても素

    直さなく、なんの「わだかまり」もないような答弁を繰り返し、腹の底では騒ぐ方が可笑しいと

    あざけ笑っているようにも見える。

     いずれにしても、人と人がかかわるコミュニケーションの場において、腹の中の悪感情が見え

    透いてしまう非言語的要素は隠せないということではないだろうか。

     正直に、自分たちの考え方をオープンにして、そこに基づいた考え方の行動であることを証明

    するのがいいのではないだろうか。

     人間は人間とのコミュニケーションを一番大事にしてこその発展ではないだろうか。

    「わだかまり」を持たずして、相手とかかわるコミュニケーション技術こそが、大切なのではな

    いだろうか。