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迷歩録  ふざける

2018-03-21 11:03:44 | 日記
 <strong> 長雨に  首を垂れる  菜の花や  蝶も呼べずに  青空を待


                                ひのひら  ろくべえ




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    国会、相撲界、レスリング界、文部省、様々な所で「ふざける」行為が表ざたとなり、

   国民の一人として「ふざける」なと大声で叫びたい心境である。

   「ふざける」とは、たわむれる、おどけたことを言ったり、したりする。うかれて遊び騒ぐ

   ばかなまねをする。人をばかにする。(広辞苑)とある。

    国民を愚弄する国会、政治家、官僚、酷すぎはしませんか?連日繰り返し繰り返し、報道

   される内容を視聴すればするほど、悪「ふざけ」のひどさに、気分が悪くなるほど、目をそ

   むけたくなるが、目をそむけるのでなく、しっかりと見届けて、選挙の時の参考としたいと

   頑張って、見ようとしている。これも人生の修行かと諦めながら。

    「ふざける」という行為は、本人たちが意識している場合と意識していない場合がある。

   意識している場合はそれほど問題とならない、すぐに訂正が可能であるから、しかし意識して

   いない悪「ふざけ」は問題である。本人たちが「ふざけている」とは思っていないから、その

   ことを証明して伝えるだけでも、エネルギーを必要とする。本人たちが認めるまでには、その

   エネルギーは地球を燃やすほどいるのではないだろうか。

    政治家、官僚の「わるふざけ」は、酷いと感じるのは、私だけではないであろう。

    森友学園問題だけではない、文部省問題、さらには年金機構問題、次から次に「ふざけた」

   問題が表出してくる。このような国の指導者がいくら自分たちは、真摯に丁寧に説明をしてい

   ると、鸚鵡のように繰り返しても、国民は信じないのではないだろうか。政党支持率がゼロに

   ならないことが不思議ではないだろうか。ゼロではなくても一桁になってもおかしくないのでは

   ないだろうか。言論統制を知る、戦争体験者は、今回の文部省に声をかけた自民党の政治家をど

   のように思うのであろうか。

    いずれにしても「ふざける」というのは、無意識に行われた時がとても問題なのである。

   コミュニケーションを行う時、自分は冗談とか「いたずら」と思って、相手に投げかけたとして

   も、相手はそのようには受け取ってもらえない、そんな場合、相手は胸の奥で「ふざけんな」と

   つぶやいているのかもしれない。そのつぶやきを察するほどの感覚を研ぎ澄まし、コミュニケー

   ションを行う事が大事であることを学びたいものである。

    相撲界もレスリング界も、社会のありとあらゆる分野で、コミュニケーションを知ることが必要

   なのではないだろうか。人間の生きる営みとして、食事や休養、運動のように知ることが大切な時

   代であろう。