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気分転換

2014-01-26 17:39:27 | 日記・エッセイ・コラム

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     雨上がり  冬田に集まる  椋鳥や  春が来るなと  歓喜の踊り
                                               ひのひら  ろくべえ



  「気分転換」という言葉がある。確かに気分を変えるというのは

  効果的であり、時に必要なことであるが、そうそう簡単にできること

  ではないのも事実ではないだろうか。

    気分というものが如何なるものなのか、それ自体もわからないのに


  それを転換させるとは如何なること言ううのであろう。人間という動物は

    知的動物が故に、精神性が発達しているし、そう簡単に失わないという

  構造の脳を持っている。その脳を刺激して、気分を作り出し、その気分

  によって、日常を暮している。気分のよりどころが大切なのだが、その

  よりどころが、過剰になると、気分そのものが疲れ果て、気分というもの

  が、不快となる。この不快となった時こそ、「気分転換」が必要なのだが

  不快にこだわり、別の行動をして忘れようとしても、なかなか忘れること

  できず、脳裏に焼き付いてしまい、自分というものを攻めてくる。

    忘れようと思えば思うほど、苦しむ結果にもなってしまう。それ故に

  「気分転換」という、精神活動は難しいのであろう。「気分転換」をはかろ

  うと、する時、非日常活動がいいのだが、それ自体が、自分を見失うほ

  どの快感を要するほどのことでないと、「気分転換」とはならない。

   「気分転換」することで、脳をリセットして、明日からの生きる活力を

  得ることは、如何なる宝石を手にするより、素晴らしいことなのである。

   快感を軽く見てはいけない、快感こそが、人間を支えているエネルギー

  快感と縁遠いひと、避けている人、如何なる人も、快感を取り戻し、日常の

  精神的過剰な負担を軽減して、豊かに愉しく過ごしたいものである。

   日常の「気分転換」をスムーズに行い、豊かに愉しく暮らすために

  今日も努力したいものである。

  


家鶏野鶩

2014-01-25 17:28:52 | 日記・エッセイ・コラム

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  椋鳥や  戯れ遊ぶ  冬田かな  春の足音  響き聞こえる
                                        ひのひら  ろくべえ





    
  ウインドショッピングに行くと、とかく目移りをする。

    買い物に行っても、自分を自制するのは至難の業、あれやこれやの

    消費拡大を狙う商業専門家にしてやられる。

    私の意志が弱いのか、商人がうまいのか定かではないが、ついつい

    不必要なものを購入してしまうという事は、私がいたらないのであろう

     「家鶏野鶩」(かけいやぼく)という言葉がある。

      これは、家にある良いもの見捨て、外にある珍しいものを好むという

    意味の言葉らしい、人間みなそうなのか、私だけなのかわからないが

    目移りしたり、新しいものに引かれたり、とかく商業ペースにはまり

    不要な消費を重ね、後悔をする。そんな暮らしを続けている。その度に

    反省はするが、時がたつと同じ事を繰り返している。

     4月に消費税が値上げされる。買い込み需要が今から始まって

     いるらしい。買い込みが悪いことではないが、買い込みしすぎると、

    商業ペースの思う壺にもなってしまう。買い込み、買占め騒動は

    過去にもあった。トイレットペーパーが店頭からなくなる、米がなくなる

    などの騒動が過去にあったことを思い出したいものである。

     マスコミに煽られての、消費行動は危険で、自分で自分たちの

    首を絞めることにもなりかねない。気をつけたいものである。

     「家鶏野鶩」でなく、冷静に必要なものの購入を目指したい

    冷静な行動は混乱を避ける手法でもあろう。

     


春の気配

2014-01-24 14:24:24 | 日記・エッセイ・コラム
                                    

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   太陽の  香りとどきて   目を覚ます  禽獣草木  歓天喜地
                                            ひのひら  ろくべえ




     凍てつく日が続き、禽獣草木、縮こまって過ごしていた

  久しぶりの太陽の恵み、世の中が明るくなったごとく、一斉に

  喜びを表し、動き始めた感じ、春の足音が聞こえてくる感じ、

  これからは三寒四温を過ぎて本格的に春がやってくる。

   春はどこから来るかしら、あの山越えて、谷超えてと思わず

  歌いだしそうな喜びが、伝わってくる。

   寒さは残っているものの、どことなく春の気配、雀たちも膨れ

  上がり、寒さに耐えて過ごしていたが、今日は違う、思い切り

  羽を伸ばし、暖かさ春を喜び、跳ね上がるように、ピイチクパチク

  と声をだし、戯れている。

   春という季節は、禽獣草木すべてに幸せを運んでくるのか、

  もしれない。人間も同じ、春を首を長くして待ち望んでいる。

  春が来たら、あれもしたい、これもしたいと、とらぬ狸の皮算用

  をしながら、春を待つ、春の気配、歓天喜地。ありがたきかな

  陽の恵み。

 

冷汗三斗

2014-01-23 17:51:39 | 日記・エッセイ・コラム

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    朝焼けに  鱗輝く  東空  手袋つけて  歩く川べり
                                        ひのひら  ろくべえ



    
 人間にとって、恥ずかしい思いや、恐ろしい思い、冷汗をかく

  などの体験は非常に大切で、その後の人生に大きく影響を与え

  る。特に羞恥心というものは、人間的成長に大きく影響すると考

  えられている。しかし時代であろうか、羞恥心というものがゆるん

  でいる感じがする。満員電車の中での行動、大衆が集合する場所

   での行動、公共の場と、自分の部屋と変わらないであろう言動、

  びっくりすることは多々ある。特に子供たちにそのことが悪影響

  を与えることに対しては、大人たちは懸念しなければならないので

  はないだろうか。

   恥ずかしいことが、当たり前になってしまうと、歪んで成長する恐れ

 もある。大人の責任であろう。恥ずかしさを教えたいものである。

  学業成績より大切なことではないだろうか。

  大人になって、「冷汗三斗」を体験して、人生に挫折をしないためにも

  恥かしいことを、学び自分をコントロールできる人間となってほしい。

  そのためには、一にも二にも、大人が大切ではないか。気をつけたい。

 

 

    


コミュニケーション

2014-01-22 18:50:13 | 日記・エッセイ・コラム
                                    

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ちぎれ雲  冷たさ抱き  西え行く  襟あし立てて  急ぎ足かな
                                             ひのひら  ろくべえ





    話をするつまり伝えること、話を聴くつまり受け止めること

   この二つがコミュニケーションの基本である。しかしこの二つ

   をうまく行うことができずに、コミュニケーションに悩んでいる

   人が多いのではないだろうか。

     特に対人援助スキルはコミュニケーションスキルと言っても

   過言ではないであろう。そのコミュニケーションに悩んでいる人

   の特徴は、人の話を理解しようとして聴くのではなく、ただ単に

   音として捉えている傾向が強い感じがする。言葉というものは

   音に中に言葉をはめ込み、言葉の中に感情を含ませ、自分の

   思いを伝えようとしていることを、知ることが大切ではないだろうか

   言い換えるならば、言葉という道具を使って、言葉にならない自分

   の思いをハートを伝えようとしているのであろう。それ故に聴く方は

   言葉でなく、ハートを受け取ろうとして聴くことが大切なのであろう。

   上滑りな言葉だけに捉われていると、伝わらないというジレンマの

   中に身を置くことになるのではないだろうか。

   自分を知って、相手を知る、そのプロセスを大切にする、心を

   持つことがスキルではないか、スキルを高めて、対人援助に

   まい進したいものである。