雨上がり 冬田に集まる 椋鳥や 春が来るなと 歓喜の踊り
ひのひら ろくべえ
「気分転換」という言葉がある。確かに気分を変えるというのは
効果的であり、時に必要なことであるが、そうそう簡単にできること
ではないのも事実ではないだろうか。
気分というものが如何なるものなのか、それ自体もわからないのに
それを転換させるとは如何なること言ううのであろう。人間という動物は
知的動物が故に、精神性が発達しているし、そう簡単に失わないという
構造の脳を持っている。その脳を刺激して、気分を作り出し、その気分
によって、日常を暮している。気分のよりどころが大切なのだが、その
よりどころが、過剰になると、気分そのものが疲れ果て、気分というもの
が、不快となる。この不快となった時こそ、「気分転換」が必要なのだが
不快にこだわり、別の行動をして忘れようとしても、なかなか忘れること
できず、脳裏に焼き付いてしまい、自分というものを攻めてくる。
忘れようと思えば思うほど、苦しむ結果にもなってしまう。それ故に
「気分転換」という、精神活動は難しいのであろう。「気分転換」をはかろ
うと、する時、非日常活動がいいのだが、それ自体が、自分を見失うほ
どの快感を要するほどのことでないと、「気分転換」とはならない。
「気分転換」することで、脳をリセットして、明日からの生きる活力を
得ることは、如何なる宝石を手にするより、素晴らしいことなのである。
快感を軽く見てはいけない、快感こそが、人間を支えているエネルギー
快感と縁遠いひと、避けている人、如何なる人も、快感を取り戻し、日常の
精神的過剰な負担を軽減して、豊かに愉しく過ごしたいものである。
日常の「気分転換」をスムーズに行い、豊かに愉しく暮らすために
今日も努力したいものである。