貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

ひとりぼっち

2017-01-11 12:13:21 | 訃報
昨年末、我が家に届いた「喪中はがき」は3通。
去年で郵便物の転送(2年間過ぎた)をやめたので、差出人に戻されているかもしれませんが
10通近く届いたころに比べると半減。
我々の親の世代(大正~昭和一ケタ)がほぼ一巡したのかも…。

その3通の中に驚いたのが1通ありました。
それは、尼崎時代の隣家のヨシコちゃん(確か3歳下)からで、ココでも触れたことがあります。
おばさんは'09年9月に衰えが目立つようになった母を連れて会いに行った翌年晩秋に亡くなり、
その知らせをくださったおじさんに会ったのが'11年の春でした。
そのあとウチの母が死に、おじさんと年賀状だけはやりとりしていましたが、
訃報は、そのおじさんが昨年11月末に亡くなられた、というものでした。
驚いたのは、おじさんが亡くなったのはおばさんの七回忌の3日前、さらにその3日後には
ヨシコちゃんの2~3歳下だった妹も亡くなった、ということでした。
わずか一週間の間に家族が二人も減り、「ひとりぼっちになってしまった」という文面に
幼かった面影が浮かび、かける言葉が見つかりません。

尼崎時代のおじさん宅は昔でいうところの分家にあたり、木造平屋建ての風呂なし一軒家。
本家は近所にあって裕福な豪邸でしたが、私の同級生の娘がいましたっけ。
家業が燃料店だったせいか、居間に練炭の掘り炬燵があったのを憶えています。
なぜか銭湯が休みの日は子供たち(二人娘)だけウチのお風呂に入りに来ていたことも。
40年以上会っていませんが、私のただ一人の「おさななじみ」といつか再会できれば…。

改めて、「会いたい人には会えるときに会っておかなければ…」を実感。

【体調不良その後】
おかげさまで、ほぼ80%回復しました。
お医者さんによると、ただの風邪でそれも治りかけとのこと。
お医者さんにインフルエンザの検査スティック?を鼻へ突っ込まれた際、
『広いなぁ、スッと入ったわ』
って、それ鼻息が荒いからかい?ってツッコミそうになりました(笑)

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