今日で2月も終わり、あっという間に過ぎ去って行った、って感じです。
20日まで母が入院していたので、以前にも増してダラダラ過ごしていたむくいか、
カタログ配達の急増もあいまって「家事の手抜き」に拍車がかかっています(笑)
まぁ、米だけ炊いておけば、家から100メートルほどのところに「ほか弁」も生協もあるので
おかずだけ買ってくれば間に合う、というのも良くないのでしょう
今日は「夕方まで雨が残る」という天気予報でしたが、昼過ぎには上がって「ラッキー!」。
先日(26日)の「9℃くらい」という予報もはずれて、それほど寒くならず「やれやれ」。
朝夕はまだまだ冷え込むことがありますが、日中日差しがあると、配達しているときには
「春がもうすぐ!」と感じられるようになりました。
今日、雨が上がるのを待っているときテレビで、今日は千利休(宗易)の命日※だとか。
※秀吉に切腹を命じられた
たまたま帰宅(昼食)していた家内と、茶室の「にじり口」の話になり、
「お茶の心得」なんぞ全くない私が、何で知っているのか?
高知時代に読んだ今東光の小説「お吟さま」で憶えました。
ちなみに、お吟さまとは利休の長女、小説の中では利休の後を追って死んだんじゃなかったっけ?
ずいぶん前なのでよく憶えてません
全く↑の話題とは関係ありませんが、ビールか発泡酒のCMで使われている曲を。
オールディーズには間違いないけど、曲名が思い出せません。↓
結構ヒットしたはずで、口笛ジャックとかなんとか…(笑)
20日まで母が入院していたので、以前にも増してダラダラ過ごしていたむくいか、
カタログ配達の急増もあいまって「家事の手抜き」に拍車がかかっています(笑)
まぁ、米だけ炊いておけば、家から100メートルほどのところに「ほか弁」も生協もあるので
おかずだけ買ってくれば間に合う、というのも良くないのでしょう
今日は「夕方まで雨が残る」という天気予報でしたが、昼過ぎには上がって「ラッキー!」。
先日(26日)の「9℃くらい」という予報もはずれて、それほど寒くならず「やれやれ」。
朝夕はまだまだ冷え込むことがありますが、日中日差しがあると、配達しているときには
「春がもうすぐ!」と感じられるようになりました。
今日、雨が上がるのを待っているときテレビで、今日は千利休(宗易)の命日※だとか。
※秀吉に切腹を命じられた
たまたま帰宅(昼食)していた家内と、茶室の「にじり口」の話になり、
「お茶の心得」なんぞ全くない私が、何で知っているのか?
高知時代に読んだ今東光の小説「お吟さま」で憶えました。
ちなみに、お吟さまとは利休の長女、小説の中では利休の後を追って死んだんじゃなかったっけ?
ずいぶん前なのでよく憶えてません
全く↑の話題とは関係ありませんが、ビールか発泡酒のCMで使われている曲を。
オールディーズには間違いないけど、曲名が思い出せません。↓
結構ヒットしたはずで、口笛ジャックとかなんとか…(笑)
懐かしいですね。
何かの番組のテーマ曲でしたね。ラジオかなんかの。
よく耳にした曲です。
利休の義理の息子の千少庵(せんのしょうあん)を会津藩主だった蒲生氏郷が
会津にかくまったというお話はご存知ですか?
松坂藩の殿様だったころ蒲生氏郷は千利休と親交厚かったんですよね。
利休が切腹した後、少庵まで害を及ぼされたら、利休のお茶は途絶えてしまうことを
心配した氏郷は許されるまで
会津にかくまったのです。
その時に少庵が建てたとされるお茶室が
鶴ヶ城内にあるんですよ。
麟閣(りんかく)といいます。
鶴ヶ城が明治政府によって取り壊される際、
もちろん麟閣も取り壊されるはずだったんですが、
城下の大店の主人がそれでは忍びないと
自分の家の庭に運んで120年物間メンテナンスして保存してくれていたんです。
平成2年の市制90年の記念の年に
発掘して確かにあったという証拠が分かったので
元の位置に移築されました。
今では鶴ヶ城内に風情あるその姿、観光客の皆さんに楽しんでいただいています。
毎月の月命日(七日)にはお茶会が開かれます。
鶴ヶ城をお尋ねの際はぜひご覧になってくださいね。
(ガイドしてしまいました!)
仰るとおり、ラジオ番組のオープニング曲で聴いたような気がします。
「千少庵」、利休について念のためウィキペディアを参考にしましたが、
利休の二人目の妻の連れ子だったとか。
(最初の妻とは死別)
会津藩が関わっていた、とは知りませんでした。
会津藩主といい、茶室を保存した大店の主人といい、後世に伝えられるべき
「大切なもの」を守る、というのは相当な覚悟が要るはず。
雪国という厳しい自然環境が、そういう「気質」を育くんだのかも?、と思います。
ガイド、ありがとうございました