貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

那須の与一

2005-10-07 19:38:27 | 屋島散歩
これは何?

そうです、源平・屋島の合戦で有名な、那須の与一の「扇の的」です。




「那須の与一」
後方の山が屋島です。山頂付近はあいにくの雲…




屋島の南西、我が家から1kmちょっと離れた、新川という川にかかっている橋のたもと*にあるブロンズ像です。
幅約10m、長さ100mたらずのそれほど大きな橋ではありませんが、10年あまり前に架けかえられた際取り付けられた、と記憶しています。
反対側にはもちろん扇の的の像、両岸に一対ずつ、与一が的を狙っている格好で向かい合ってます。
 *10/12追記:
 正確には「親柱(おやばしら)」というそうです。



いろいろ調べてみたところ、与一と的の距離は約70mとか。
高さ50cmくらいですから縮尺はあってるのかいな?(笑)
ちなみに扇の的の舞台は屋島の反対側、今の牟礼町のようです。

夕方の暗くなりかかった時間帯でしたので、クモの巣は写ってないな?(笑)
発想はすばらしいんだから、たまに掃除しないと…

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2 コメント

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Unknown (もも)
2005-10-08 04:01:18
嬉しい!又最高の写真!

これらをいつでも見られるんですね。羨ましい・

背景に屋島とは最高の舞台ですね。

以前、埼玉県の知り合いの所へ行く途中の交差点に「小手指ヶ原」と書いてありました。義経が北へ追われて行く途中に小手指ヶ原を馬で駆け抜けたという文章を思い出し、ここを走ったのか・・と想いにふけったものです。

屋島を背景に与一の像など見たら1日いても飽きないかも。

いつか行くことが出来たらいいのに。
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Re: (讃岐の団塊オヤジ)
2005-10-08 08:45:31
また、がっくりさせるようで恐縮ですが、この橋の下流西岸には「極めて背景としてふさわしくない」建物が、何軒か建っているのです。

また本文で書いた牟礼町の北にある「八栗山」は、良質の御影石が採れるので、山の形が変わってしまっています。



前のコメントにも書いたとおり、屋島周辺は商業地・住宅地として開発が進み、便利さと引きかえに「歴史の舞台となった」たたずまいが、どんどん薄れている感がします。



もちろん何百年前のままというのは不可能ですが、その昔を偲べる風景にしていくことは、開発とは別次元でやれないことはない、と思うんですよね。

これは日本中どこでも同じで、それが「豊かな国」のひとつの証しにもなると思っています。



せっかく屋島に住んでいるのですから、新カテゴリに入れた「点描」の写真をUPしていくつもりです。ヘタですが…(笑)
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