犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

御木歳三著 『不動産屋の手口とやり口 業界のウラのウラ』より

2011-12-21 23:46:14 | 読書感想文
p.14~ 「客を人間と思うな。ポチに仕上げよ」より

 ダメな営業マンはなぜ、成績が上がらないのか。それは客の注文(言い分)を聞き過ぎて、客の方が主導権を握ってしまい、客に対して発する言葉にパンチ力がなくなってしまっているからだ。一発KOパンチ力を繰り出すためには、絶えず営業マンが主導権を握っていなければならない。

 『ポチ』というのは自分自身のことを何でもハイ、ハイ、と素直にきく従順なる犬(客)のことを指していう。そのために営業マンは客と面と向かったとき、客の顔を見ながら、「お前は俺のポチだ」「お前は従順なる犬だ」と心の中で何度も何度もつぶやいているのである。当然のことながら、「どうやって落とそうか」と心の中でつぶやいているのである。

 客は自分の前でニコニコしている営業マンを見て、まさか、そいつが自分のことを「ポチだ。犬だ」などと心の中でつぶやいているなんてことは、夢にも思っていないはずである。


p.43~ 「菓子折は客の前で踏みつぶせ」より

 気の弱い客は契約書にサインはしたものの、すぐに目がさめ、平常の心、神経に立ち戻ってしまい、「さあ、どうしよう!」ということになる。朝には営業マンが集金に押しかけてくることになっているため、「さぁ、なんとしよう?」というわけなのだ。

 営業マンが集金できずに戻って来る場合には、2つのケースがある。1つは、客が逃げてしまうことである。いわゆる営業マンが、いくら呼び鈴を鳴らしても誰も出てこないというやつである。この場合、営業マンは最低2時間は呼び鈴を鳴らしたり、電話をかけ続ける。2時間も攻め続けられると、青くなって出てくる場合もあるし、近所の人間から「2時間も家の前で粘ってましたよ」と聞かされると、ゾッとする。当然のことながら、その夜も営業マンはその家を攻めに行く。

 なお、逃げ出し組の客などが午後になってから菓子折などを持って会社に謝りに来ることなどがある。その場合、そこの責任者が出て来て、客の目の前でその菓子折を思いっ切り叩きつけ、足でグリグリと踏みつぶしてしまう。「こんなもん、誰に喰えと言うとるんだっ。持って帰れっ、こんなゴミクズ」。客はブルブルと震える手で、グシャグシャになってしまった菓子折を拾い上げ、生きた心地もしない様子で店を出ていく。こうすることで客を、二度と他の会社にも怖くて行かせないようにしてしまう。


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 「これまでの弁護士は加害者の権利ばかり主張し過ぎた」「自分は被害者の権利を擁護する弁護士になりたい」との志を語る新人弁護士の多くは、2~3年のうちに、いわゆる「普通の弁護士」に落ち着きます。この原因を探ってみると、刑事・少年事件の側ではなく、仕事の圧倒的なウェイトを占める民事・家事事件のほうに解答らしきものが見つかるように思います。例えば、上にあげたような不動産売買に関するトラブルなどです。

 法律事務所に持ち込まれる民事・家事の案件は、すでに人間の醜い部分が剥き出しにされた争いごとであり、専門家の手を借りなければ解決できない段階に来ています。そこでは、学生時代に習った「憲法」「人権」「正義」を論じている暇などなく、とりあえず自分の依頼者の側の醜さは正義であり、相手方の当事者の醜さは不正義であるとして戦いを始めなければなりません。そのため、弁護士の職業病として、どうしても好戦的になり、正義が勝たなければならないため気が強くなるように思います。

 そして、仕事の数としては少ない刑事事件は、弁護士が精神のバランスを取り、心を浄化する作用を担わされることになります。「人はどんなに悪いことをしても反省し、立ち直ることができる」「人生は何回でもやり直せる」という論理は単純であり、民事・家事の醜い争いに明け暮れている中では、この論理の登場は救いとなるからです。学生時代の「憲法」「人権」「正義」も復活し、仕事へのモチベーションも上がります。民事事件の敏腕・辣腕弁護士が、刑事事件の人権派弁護士である例は多いと思います。