犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

土屋賢二著 『ツチヤ教授の哲学ゼミ―もしもソクラテスに口説かれたら』

2011-12-19 23:11:35 | 読書感想文
p.26~

学生: 性格でもルックスでもなくてわたしそのものを愛するって、ちょっと考えにくいんじゃないかな。

土屋教授: たとえばね、君の親はたぶん君のことを愛していると思うんです。親は君のことを、ルックスがいいからとか、性格がいいからとか、そういう理由で愛しているのではないと思えるでしょう? 君の外見や性格がどんなことになろうとたぶん親はずっと愛し続けるんだから。君が犯罪を犯しても、寝たきりになっても愛情は変わらないんだよ。
 親だったら、たとえ君の見た目がガマガエルそっくりだとしても、ガマガエルと見た目が区別できないとしても、君が交通事故なんかで知能が普通の人間ではなくてカエル並みになったとしても、それでも嫌いになるということはないと思うんですね。

p.68~

学生: 魂や心はどこにあるんですか? 脳にあるんですか?

土屋教授: どこに心や魂があるのかはぼくも分からないんだよ。心がどこにあるのか言えますか? 頭蓋骨の中にあるとは言えないような気がしますね。中には脳しか入っていないように思えるし、脳を調べても脳細胞や血管しかないように思えるからね。
 でも、どこにあるのか分からないものはけっこうあって、たとえば5という数もどこにあるのか分からないし、時間というものがどこにあるのか分からないよね。空間がどこにあるのかだって分からないし、この宇宙がどこにあるのかも分からない。ドミソの和音がどこにあるのかも分からないし、ベートーヴェンの「運命」がどこにあるのかだって分からないよね。

p.97~

学生: 脳死状態になっていても、家族がずっと生命維持装置を切れないってことがあるじゃないですか。人格も魂もない身体を愛しているから、その人自身を愛していることにはならないと言わなきゃならないんですか?

土屋教授: ソクラテスなら何というかな。ぼくの想像を言ってみるね。愛する人が脳死状態になっても、あるいは完全に死んでも、愛はなくなるわけじゃないし、火葬になって身体が跡形もなくなっても、ふつうはそれで愛が終わるわけではないよね。それは認めますか。

学生: はい。

土屋教授: 脳死状態でも死んだ後も、魂が存続していると考えれば、愛が続くという事実は説明できるよね。

学生: ええ。

土屋教授: 問題は死後は魂がないと考えたときです。かりに死んだら魂はなくなるとするよね。その場合には、死後も愛が続く現象を、魂によって説明することはできないよね?

学生: はい。

土屋教授: では、死んだ後も愛が続くのは、身体を愛しているからだと説明できますか?

学生: できないと思います。

土屋教授: 身体が消滅しても愛は続くんだからね。身体を愛していたら、身体が消滅したとたんに愛が消えてもいいはずだよね。死後も魂があるかどうかは分からないけど、身体は確実に消滅するよね。だから少なくとも、「死後も愛が続くのは身体を愛しているからだ」と言えないということは確実だよね?

学生: そうですね。


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 数年前、鳴り物入りで始まった司法制度改革の目玉が法科大学院であり、さらにその目玉が「ソクラテス・メソッド」でした。これは、旧司法試験の予備校による暗記中心のテクニックが受験生の思考力を減退させ、法曹の質の低下を招いているとの批判に基づく施策であったと記憶しています。すなわち、大学院の教授と学生との緊張した問答により、将来の実務的な思考力が鍛えられるとの触れ込みでした。

 現在の法曹界の議論を見てみると、法科大学院制度開始後の法曹の質の低下の問題ばかりが指摘され、「ソクラテス・メソッド」など悪い冗談のような扱いを受けています。これは恐らく、哲学的懐疑を持続し続ける能力と、法律実務を処理する能力が全く逆の方向を向いていることによるものと思います。理論と実務の融合など、そもそも無理な話ではなかったかと感じます。

 実務の現場で必要な事務処理能力とは、例えば作成すべき書類が山積みである時に限って急なトラブルが起きて時間を割かれ、しかも宅急便で送ってくるはずの書類が届かず、和解が暗礁に乗り上げて先が見えず、さらにそんな時に限って話が長い人からの電話が来た場合に、どうやって早く穏便に話を切り上げるか、といった能力です。決められた時間内に並行して複数の案件を捌く法的実務能力は、「ソクラテス・メソッド」によって身に付く能力とは全く異質のものであると思います。

(上に引用したのは、法科大学院ではなく、お茶の水女子大の哲学ゼミの問答です。)