犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

将棋棋士・谷川浩司さん 『がんばりすぎずに』より

2011-03-23 23:39:29 | 時間・生死・人生
朝日新聞 3月22日朝刊  震災関連連載より
 
 救助を求めておられる方の身の安全を、まず第一に願います。復興ということまで考えられるような状況ではないと思います。そのうえであえて、阪神大震災で被災した私の経験から言えば、これから長い長い闘いになる。あのとき、ちょっとの差で生死が分かれた。人間は本来、平等であるはずなのに、なぜ自分は無事だったのか、今も答えが出ません。

 被災された皆様には「がんばってください」ではなく、「がんばりすぎないでください」と申し上げたい。気力だけで乗り切れる期間は限られています。一歩ずつ、少しずつ。そんな気持ちが大事ではないでしょうか。


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 哲学者・永井均氏の『子どものための哲学対話』に、次のような一節があります。
 「将棋をさす仕事とか、存在する意味があるのかな? そんな仕事、なくてもいいんじゃないかって思うんだけど?」「それは違うよ。人間は遊ぶために生きているんだからね。高度な水準に達した人のために役立つような、将棋のさしかたを示してくれる人が、必要になってくるんだよ。」

 いつまでも落ち込んではいられない、暗い気持ちを何とか和らげたいという希望は、容易に強迫に転化するものと思います。この余裕のなさは、「この震災の大変な時に小さな盤の上で駒を動かして遊んでいる場合か」といった視線につながるものと思います。私は、谷川氏の凝縮された言葉を読み、同氏は狭い将棋板から無限の宇宙に通じ、その宇宙から地球に通じ、その上の日本列島に戻ってきているような、そんな感じを受けました。