宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

言明(命題or判断)の意味とは「事柄そのもの」であり、世界と同じ広がりを持つ!:ハイデガー『存在と時間』(1927)「第33節 解意の派生的様態としての言明」(その1)

2019-07-12 11:47:38 | Weblog
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第5章 内存在そのもの」「【A】現の実存論的構成」「第33節 解意の派生的様態としての言明」(その1)

(1)「解意」において分節される事柄そのもの・・・・が「意味」である!
A 「すべての解意(※類型化、《として》)は了解(※ノエシス=ノエマ構造をもつ存在という出来事、つまり意識という出来事!)にもとづいている。」(154頁)
A-2 「解意において分節される事柄そのもの・・・・が意味である。」(154頁)
《感想1》「意味」とは、「事柄そのもの」だ、そして「事柄」は背景のうちにある、そして背景は世界の全てを地平とする。かくて「意味」は世界と同じ広がりを持つ。

(1)-2 「解意」の派生的な遂行形態である「言明」も、「意味」を持つ!
B 「言明(『判断』)は了解にもとづき、解意の派生的な遂行形態をなすものであるから、言明もまた、意味を『もって』いる。」(154頁)

(2)言明は「挙示」(Aufzeigung)である!(一)
C 一、言明(Aussage)は第一義的には、「挙示(提示)」(Aufzeigung)を意味する。そもそもロゴスの根源的意味はアポファンシス、つまり「存在するものをそれ自身の方から見えるようにすること」だ。Ex. 「この槌は重たすぎる」(154頁)

(2)-2 言明は「述言」(Prädikation)である!(二)
D 二、言明には「述言」(Prädikation)という意味がある。すなわちある「主語」についてある「述語」が陳述される。つまり主語が述語によって「規定」される。(命題!)(154頁)
D-2 この場合、「述言」(二)として言明されたもの(※「主語」)は、「挙示」(一)として言明されたものより狭まっている。Ex. 主語は「挙示の範囲を制限して」槌へしぼりこむ!(155頁)
D-3 「規定することは挙示の一つの様態である」。(155頁)

(2)-3 言明は「伝達」(Mitteilung)である!(三)
E 三、言明は「伝達」(Mitteilung)、そして「公言」を意味する。「それは、規定という仕方で挙示されたものごとを、共同に見えるようにすることである。」(155頁)
E-2 「噂話で聞くことも、世界内存在であり、かつ、聞かれた事柄を指向する存在である。」(155頁)

(2)-4 「意味」の概念を「判断実質」という意義に局限せずに、それを実存論的現象として理解する!
F 「判断」論の手引きとされる「妥当」(Geltung)の現象は三つの意味を持つ。①「理念的なるものの存在様相」としての妥当(「無時間的」な妥当)、②「客観性」としての妥当(「客観」について妥当する)、③「拘束性」としての妥当、「普遍妥当性」(理性的に判断するすべての人にとって妥当する)。(156頁)
F-2 だが「われわれは意味の概念をはじめから『判断実質』という意義に局限せずに、それ(※意味の概念)を実存論的現象として理解する。」(156頁)

(2)-5 まとめ:「言明とは、伝達し規定する挙示である。」(156頁)
G  まとめ:「言明とは、伝達し規定する挙示である。」(156頁)
《感想2》「主語」についてある「述語」が陳述されること、つまり主語が述語によって「規定」されること、つまり「命題」は、実存論的現象として理解されねばならない。言明(命題or判断)の意味とは「事柄そのもの」であり、世界と同じ広がりを持つ。
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